8.屋敷の家令はスーパー出来る
「おはようございます、お嬢様」
部屋に戻るとマリアがミィルフィーヌの支度のために来てくれていた。
「…おはようマリア」
しまった、ちょっと遅かったか…。
バツが悪い思いをしながら、私はマリアと距離を置くように壁沿いに部屋に入る。
マリアは私の髪型や一人で着たワンピースをじっと見て、少し息を吐くように目線を下にそらした。
「本日のモーニングティーはミントティーでございます。」
マリアはそう言いながらいつものように完璧な紅茶を煎れてくれて、私のために椅子をひいてくれた。
何も聞かないでくれる彼女はメイドさんとしてやっぱり優秀で、そして優しい人だと改めて思う。
「ありがとう」
私は壁沿いからテーブルに向かって進み、おずおずと椅子に座った。
暖かい紅茶を口に含むと、朝の空気の中で少し冷やされた体が、ジワリと暖かくなった。
マリアに身支度を整えてもらい、高くポニーテールにしていた髪はいつものようにダウンスタイルに変えた。
今日も令嬢教育を午後から受ける予定があるので、午前中のうちに家令のルドルフさんに会って話を聞いておきたい。
私がミィルフィーヌになった日から、ルドルフさんには1回も会ったことがない。
マリアに聞いてみたところ、ミィルフィーヌのお父さんやお母さんの代わりに屋敷の切り盛りをしたり、来客対応や領民の視察、使用人の皆様の諸々の管理等、日々忙しくされているため、執務室で作業したり、私が眠った後の時間などに屋敷の確認などをされているらしい。
そんな忙しい方にアポイントも取らずに会いに行くのは正直気が引けるが、ミッドライトをあの場所からできるだけ早く出したいので、そこは割り切っていこうと思う。
「あんまり、怖い人じゃないといいな…」
私はルドルフさんの執務室に足早に向かった。
道すがら、朝にミッドライトからもらったクッキーのついて考えていたら、ちょっとだけ元気がでた。
あの優しさが嬉しかったので、次に行くときは私からクッキーをあげたりできないかな。
いろいろ想像をしている中で、ふと気になったことが生まれた。
ゲームのミッドライトは、妹のミィルフィーヌについてどんな風に思っていたんだろう。
思い返せば彼のルートでは、攻略対象に絡む悪役令嬢であるミィルフィーヌは登場しない。
ミィルフィーヌの母親が黒幕であり、彼女がミッドライトの未来を邪魔するのを、アカリちゃんの力を借りて退けるのだ。
彼の妹という情報でのみ登場し、キャラクターとして登場しないため、ミッドライトがミィルフィーヌについてどう思っているのか、描写されることはなかったと思う。
(憎まれていてもおかしくないよね。)
おそらくミッドライトはとても優しい。
それでも自分を塔の中閉じ込めている人間の娘を好きになれるのかと問われたら、
…好きになれるとは言えないと思った。
シンプルでありながら優美さを感じる、センスの良い扉の前で私は立ち止まる。
ここが昨日マリアから聞いたルドルフさんの執務室であるはずだ。
私はドアをノックして室内からの声を待った。
令嬢であるミィルフィーヌなら、ルドルフさんを呼びつけることもできたと思うが、中身は私なので気が引けた。だって庶民なんです…。
中からの返事を待っていたのだが、返事よりも先にルドルフさん本人がガチャリとドアを開け、私に対してうやうやしく頭を下げてくれた。
「おはようございます、ミィルフィーヌ様。足をお運びいただき申し訳ございません。」
待って、なんでミィルフィーヌが来たって分かったの!?
私が何も言えずに止まっていると、私の心の声が聞こえたかのようにルドルフさんは答える。
「ミィルフィーヌ様の足音が聞こえ、私の部屋の前で止まりましたので。」
スーパー出来る家令、怖い!
シルバーグレイの髪をオールバックにした家令のルドルフさんは、すらっとした体躯で、年齢を重ねているだろうに若々しく、口元に微笑みをたたえており、とにかく大人の魅力がすごい。
スパカレ(スーパー出来る家令)に圧倒されてしまったが、そうともなれば話が早いと気持ちを切り替えた。
「あの屋敷の端の尖塔で暮らしている方は、私のお兄様で間違いありませんか?」
ルドルフさんは微笑みをたたえたまま、首を振って答えた。
「何も申し上げられません。」
マリアと同じように答えては貰えない。
私はルドルフさんを見上げて続ける。
「私はお兄様とこの屋敷で一緒に暮らしたいです。何かいい方法はありませんか?どうしたらいいんですか?お母様やお父様に言えばいいですか?ルドルフさんから何かしてもらえることはありますか?」
ルドルフさんの口元は変わらず感情を読み取らせないような微笑みをたたえたままだが、目の奥の光が少しだけ変わったような気がした。
「…あの方はとても尊い方です。あの塔の中で暮らされていても、絶対に不自由はないようなしなければなりません。」
ルドルフさんはつぶやくように言うと、うやうやしくまた頭を下げた。
「大変申し訳ございません、ミィルフィーヌ様。私の力が及ばないばかりに、ミィルフィーヌ様とお話させていただく時間をこれ以上作ることが出来かねます。執務に戻らせていただいてもよろしいでしょうか。」
ダメとは言わせない圧力を感じ、私が渋々と頷くと、ルドルフさんは呼び鈴を鳴らしメイドさん一人を呼び寄せ、私を部屋に送るように伝えた。
「さあ、ミィルフィーヌ様。参りましょう。」
メイドさんに案内され来た道を引き返えす。でも、まだ。
「ミィルフィーヌ様?」
メイドさんはピタリ立ち止った私に不思議そうに声をかけた。
私は振り返って、ルドルフさん見る。
「また来てもいいですか!?」
ルドルフさんは私の背中を見送ってくれていたのか、部屋の前で立ったままであった。
「もちろんでございます。」
先ほどと変わらない微笑みのままのルドルフさんはそう言った。
私はルドルフさんへ向かって頭を下げ、そのまま前を向いた。
ミッドライトがあの塔の中で、不自由に暮らしていないというのはきっと本当で、ルドルフさんは彼の事を大切にしているように見えた。
やはり訴えるべきはミィルフィーヌの父親と母親なんだろう。
まだ幼い子供達を残してずっと家におらず、視察をしているという二人は何をしているのか。
ミィルフィーヌの中にある父母を慕う気持ちを感じるも、私は見たことのない二人へ怒りを募らせた。