4.転生令嬢はやることがいっぱいあります。令嬢教育、礼儀作法、お庭のお散歩など!
階段から落ちた療養機関も終わり、本格的に令嬢教育を受けることになり、礼儀作法に関してはありがたいことに前世の経験が活きた。
お辞儀の角度や身振り手振り、インフォメーションで習ったことがこの世界では令嬢の作法と同じように使えるようだ。
「ミィルフィーヌ様、大変よくできていらっしゃいます。」
私は微笑んで礼儀作法の先生にお辞儀をする。
「ありがとうございます、先生。」
「では、これで本日の作法授業は終わりでございます。」
先生は身支度を整え一礼し、教育室を出ていった。
「ふう。」
私は先生がドアを閉めて出ていくのを見届けた後、息をついて椅子に掛けた。
礼儀作法教育は今までの経験を活かせるからよいが、語学と歴史の授業がなかなか厳しい。
異世界の歴史なんて当たり前に知らないし(元の世界の世界史だって、それなりにしか知らないし!)
普通に日本語を話しているから文字も日本語を使っているのかと思っていたが、違っていた。
『こんな字は見たことがありません。ミィルフィーヌ様、今までの授業のことを忘れて暗号遊びですか?』
すみませんでした…。
語学の先生に嫌味たっぷりに言われてしまったので、今必死に文字の習得をしているが、
なんせ全く知らない文字なので困る…。
「次の授業はあの先生かぁ…。」
ああ、嫌味言われたくないなあ、悔しいし。
私は天井を見上げて、大きく伸びをした。天井まで細やかな細工が入っているのが見える。
ええい、やってやる。
決意も新たに伸びた腕をおろしてガッツポーズをしてむんと息を吸った。
するとノックの音が聞こえ「はい」と返事をするとマリアさんがお茶のセットを持って立っていた。
「失礼します、ミィルフィーヌ様。」
学習机とは別に用意されたティーテーブルの上にセットを置いて、マリアさんが用意をしながら話し始めた。
「ミィルフィーヌ様、本日の語学の先生が体調がすぐれないとのことで、本日の授業がなくなりました。」
マリアさんはてきぱきと準備を進めてくれて、紅茶の良い香りがあたりに漂い始める。
「え?先生のご加減はどうなのでしょうか」
厳しい先生ではあるが、具合の悪い人に対して心配以外の感情はなかった。
マリアさんが完璧に煎れてくれた紅茶をカップに注ぎながらにこやかに答えてくれた。
「ひどく悪いというわけではないそうですよ。ただお嬢様にうつってしまってはいけませんので、大事をとって休講でございます。」
「そうだったんですね。」
マリアさんが煎れてくれた紅茶はいつもおいしくて、令嬢であることを感謝したくなるくらいは完璧である。
今日も煎れてくれた紅茶を飲みながら、(ああああ、おいしいぃぃぃ)と令嬢にはふさわしくない感情を心の中で唱え続けた。
「マリアさん、今日も紅茶おいしいです。」
自分で自分に『botなの?』とツッコみたくなるくらい同じ感想を毎日伝えている。
もうちょっと気の利いた感想言えたらな…。
私が心の中でしょんぼりしていると、マリアさんが思い出したように言った。
「お嬢様、その…。あの日から私のことを『マリアさん』と呼ばれていますが、以前と同じように『マリア』と呼び捨てにしていただけないでしょうか。お嬢様に敬称をつけて呼んでいただくのは恐れ多いことでございます。」
あ、そうですよね!?
私が固まっていると、マリアさんは真剣な顔をしてうなずいてくれる。
ああ、でも、今の私はマリアさんをマリアと呼ぶような関係じゃないような、ああ。
ぐるぐると何も言えずに黙っていると、なぜか自然に口が動いた。
「ええ、わかったわ、マリア」
ええ!?何今の!?こわ!!
マリアさんは嬉しそうに微笑んでくれたけど、自分の口から自分の意識してない言葉出るの怖い!
胸のあたりを抑えると、ピンクの髪の小さな女の子が笑った気がした。
語学の先生の授業がなくなったので、空いた時間は館内をマッピングすることにした。
「マッピング」と私は勝手に呼んでいたけれど、インフォメーションの仕事でよく施設内を歩いて回った。
どこに何があるのか、何が売っているのか、どうやって行くのか、どうやって説明するか。
いろいろ考えながら知識を更新し、最新の情報を把握する必要がある。
「まあ、今使うわけじゃないけどさ…」
もう体にしみ込んだ職業病みたいなものだ。
館内の配置などを覚えたらせっかくだから活用したいのだけれど、どんな時に使えるだろう。
「来客時の案内担当…ちょっとやりたいかも。でも10歳の子にそんな担当させてもらえないか。」
館内では誰ともすれ違わなかったが、笑顔を絶やさず進む。
誰が見てるかわからないもんね、私は施設の顔ですから。
にこにこ歩いているのが功をなしているのか、最近は使用人の皆さんに
『ミィルフィーヌ様は最近ずっとご機嫌である』と言われているらしい。
味方作りには結果オーライ!!
館内を歩き回って、だいたいの配置を把握したことで気が付いたことがあった。
万が一の断罪ルートだった場合の回避策として仲良くしておきたい、兄であるミッドライトの部屋はどこにあるんだろう。
館内の普通の部屋の配置は全部確認したが、ミッドライトの部屋のようなものはなかった。
今日行けていないのは、館の端にある尖塔の中だけれど、嫡子であるミッドライトがそんなところに住んでいるなんてことがあるのかな。
何よりも、彼はまだ12歳の子供だ。そんなところに一人で住んでていいはずがない。
私は館の窓から尖塔の方を見る。
美しく豪華に作られた館とは打って変わり、灰色の質素な壁で作られた尖塔。
「今日マリアに聞いてみようかな…」
同じ窓から見える庭園に庭師さんがいるのが見えたので、私はそちらに向かうことにした。
「こんにちは、アルベルトさん」
庭園の木を高ばさみで整えていた初老の庭師のアルベルトさんに声をかける。
「ああ、お嬢様。どうもこんにちは。」
アルベルトさんは高ばさみを一度置いて、日よけの帽子を外し、にこやかにお辞儀をして挨拶を返してくれる。
「ああ!ごめんなさい、邪魔をしてしまって!」
私がミィルフィーヌになってから、挨拶をするようになったアルベルトさんは、一番最初は跪いて挨拶をしてくれた。
申し訳なさ過ぎて「どうか辞めて欲しい!」と懇願したけど、まだまだ丁寧に挨拶してくれる。
こんなタイミングで声かけたらそうなるでしょ、私のバカ!
アルベルトさんは笑って「邪魔ではありませんよ」と言ってくれたが、次回からは気を付けなければ。
「どうされましたか。」
日が当たることを気にしてくれて、木陰に私を誘導してくれながらアルベルトさんが聞いてくれた。
ミッドライトのことを聞いても大丈夫かな…。
私が少し悩んでいると、さらに大きなシートを広げてくれて、木陰に座れるようにしてくれた。
令嬢はシートに座ってもいいものなのか悩ましい…。でも気持ちよさそう…。
アルベルトさんは私が座るまでは座れないので、立ったままである。
いや、いいか、私は悪役令嬢転生現代人だし。
「ありがとうございます。」
木陰はひんやりとして風もあり心地よかった。
アルベルトさんは私が座っても立ったままだったので、私はシートの端により「アルベルトさんもどうぞ」と手を伸ばした。
「そんないけません、お嬢様のためのシートでございます!」
「私はアルベルトさんにも座ってほしいです」
ちょっと悲しげに見上げれば、困ったような顔したアルベルトさんは、そのままシートの端の端に少しだけ腰かけてくれた。
激甘顔かつ子供の仕草はとこういう時にはとっても便利です。
そのまま何も言わずに庭園からも見えた尖塔を見つめる。
「ミッドライト様のことでございますか?」
尖塔を見つめる私に、アルベルトさんが声をかけた。
「何かご存じですか?」
何も知らないとは思ってなかったのだろう、アルベルトさんは少しびくっとして「いえ…」と口を濁した。
「もし知っているなら、教えてください!お兄様はどちらにいらっしゃるのですか?」
アルベルトさんが困ったように尖塔を見つめた。
やっぱりあそこにミッドライトはいるんだ…。
私は何も言えなくなってしまった。誰があんな寂しいところに彼を住まわせているのか。
未来のある子供をそんな風にしていいはずがない。
私は立ち上がり、アルベルトさんにお礼を言う。
「シートの用意をしてくださってありがとうございました」
令嬢らしい丁寧なお辞儀をした後に走り出した。