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挿話 ある王宮魔術師の決断

 雲のない、星がよく見える夜だった。


 尋常ではない速度で螺旋階段を駆け上がる足音に、灰色のフードをすっぽりと被った老人――アルテミシオン王国の王宮魔術師(ウォーロック)は望遠鏡のピントを合わせる手を止めた。


 王宮の一角に備わる彼の住まい――王国中で最も空に近いとされる塔の頂上は、当然ながら地上とかなりの距離がある。

 政の行く末を占う時など、任された役目を果たす際は彼の方から「降りる」のが慣例だ。


 にも関わらず一切の躊躇なく、しかも夜更けに自分を訪ねてくる――「上がってくる」人物。

 一人しかいないその相手を思い浮かべ、彼は思わずといった様子で小さな笑みを浮かべた。


「……全く、王妃殿下ともあろうお方が、こんな遅くに老いぼれの元を訪れるなぞ」


――いかがなされましたか、シルヴィア様。


 ぴたり、と足音が止まった。

 それからややあって、ぎい、と、先ほどまでの勢いに比べるとやたら慎ましい音を立てて扉が開く。


 その向こうから顔を覗かせる、すらりとした立ち姿が印象的な一人の女性――シルヴィア・アルテミシオンは、ばつが悪そうに微笑んだ。


「……こんばんは、ウォーロック。ごめんなさいね、あなたなら起きているとはいえこんな遅くに」

「ほっほっほ、今更ですな。お座りなさい、今茶を淹れますから……蒲公英でよろしいですか?」

「ありがとう、そうしてくれると助かります」


 程なくして、小部屋の中に柔らかな芳香が漂う。

 カップの中で揺れる透明な赤茶色に口をつけたシルヴィアの目元が緩み、ほうっと穏やかな息が漏れた。


「相変わらず、あなたの淹れるお茶は絶品ね」

「恐悦至極にございます。どうぞ、他の使用人たちの前でその話はなさいませぬよう」

「心得ているわ」


 望遠鏡を片づけ、自分の分の茶を用意し、ウォーロックもその向かいに腰を下ろす。


 和やかでありながらもぴんと張った、沈黙――魔術を使わずとも、目の前の女性が何か大事なことを相談しに来たのだということは察せられる。

 表情を見る分に、「決して悪いことではないが、自分一人で抱えるには些か荷が重い」……といったところだろうか。


 こちらから、話すよう促してやるべきだろうか。

 そう考えたウォーロックが口を開くより先に、ぴんと背筋を伸ばしたシルヴィアの声が空気を揺らした。


「あなたに、確かめてほしいことがあるの」

「ほう」

「……この子について、なのだけれど」


 この子――今この瞬間もなお彼女の中ですくすくと育つ、未だこの世界を知らない赤子。

 膨らみ始めた腹に手をやり頬を緩めるも束の間、シルヴィアは再び真剣な表情でウォーロックを見据えた。


「私一人では確証が持てないから、あなたに『視て』ほしい。この子が、どれだけの力を秘めているのか」


 「力」。シルヴィアの口から出るその言葉が何を指しているのか、正しく理解しているのはこの国で……否、この世界でたった二人。ウォーロック、それから彼女の夫であるアルテミシオン国王のみだ。


 しかし、国王は妻の境遇に深い理解を示してこそいるものの、自身は魔力を一切持たない。となれば、シルヴィアが駆け込む先はこの塔の天辺の他にない。

 あれだけ急いた足音の理由を理解したウォーロックは、徐に立ち上がるとシルヴィアの前に跪いた。

 

 そして、あと数月で生まれ出る命を『視る』ため、瞼を下ろし右手を王妃の腹部へ(かざ)す。


 その指先に音もなく灯った淡い光が消えた時、


「……こ、れは」


 ウォーロックの背筋に、永らく味わうことのなかった――「アルテミシオン」ではなかったシルヴィアと初めて会った時以来の、震えが走った。


「やはり……そう、なのね」

「……ええ。私が耄碌(もうろく)したのでなければ、あなたに宿る赤子は――」


――世界を揺るがすほどの力を、魔力を秘めている。


 重々しい声音で告げたウォーロックをじっと見据え、シルヴィアはゆっくりと頷いた。


「……きっとこの子は、生まれた瞬間からとてもつらい思いをすることになるわね」

「そう、ですな。あなたから切り離されてしまえば、この『力』を一人で背負うことになる」

「私に……支えてあげられるかしら。母親としての経験がない私に、この子を導く役目が務まるかしら」


 平素と変わらず凛ときらめく双眸が、しかしわずかに揺れている。

 ぎゅっ、とスカートの上で握られた拳の片方を、遥かな年月が刻まれた手のひらが優しく包んだ。


「……ウォーロック」

「確かに、この子の母親はあなた一人です。ですが、この子を育て、教え導くのは、あなただけではない。――この老いぼれを含め、城に住まう者皆が、あなたのお子を見守る役目を背負います」

「そう……ね。そうよね。私、一人じゃないわよね」

「そうですとも。私にできることはそう多くありませんが、使用人に隠れて淹れたての茶を届けるくらい造作もない」


 冗談めかしてそう言えば、ほのかに目を潤ませたシルヴィアは蕾が綻ぶように微笑んだ。

 そのまま、ほんの少し残っていたカップの中身をぐいと飲み干す。


「ありがとう、ウォーロック。この頃ずっと不安で気が狂いそうだったけれど、おかげで少し楽になったわ」

「それはようござった。さて、体が冷える前にお部屋へお戻りください。私がお送り致します」

「あら、押しかけてきたのにごめんなさいね。でも、せっかくだからお願いするわ」


 すっくと立ち上がったシルヴィアの足元へウォーロックが杖を向ければ、するすると魔法陣が描かれ出す。


「本当に、何から何までありがとう。おやすみなさい、ウォーロック」

「はて、何のことやら。ゆっくりとお休みください、シルヴィア様」

「……もし、」

「ん?」

「もし、私に何かあったら。この子のこと、お願いね」



(と、確かにあの時、彼女はそう仰った。だが――)


――まさか、こんなことになろうとは。


 王宮の地下に備わる、儀式用の祭壇。

 すうすうと寝息を立てながら横たわるのは、「彼女」の面影を色濃く残す忘れ形見だ。


 人知れず深々と吐き出されたウォーロックのため息が、音もなく夜気に溶けて消えていく。


「何をしているの? とっととその娘を遠くへ――自分の足では決して戻ってこられない、海の向こうへ送ってちょうだい」

「……大掛かりな術を使うには、それに見合った精神統一が要るのです。しばしのご辛抱を」

「ふん……まあいいわ。成功するならなんでも」


 運命の悪戯か神の気まぐれか、この娘を取り巻く環境がめまぐるしく変化し続けた数年間。

 他の誰にも知られないよう、陰から見守り続けたのが功を奏したのか……はたまた、凶と出たか。


 今や女王となった新たな王妃により、心も体も虐げられ尽くした第一王女に――前王妃(シルヴィア)の愛娘に転移魔法を掛け、生まれ育った城から追放する張本人になるなどと、一体誰が想像するだろう。


 もっともらしく目を瞑って深い呼吸を繰り返しながら、ウォーロックは考えた。

 

(反旗を、翻すべきだろうか。どうせ老い先短いのだから、彼女を救って逝くというのも悪くない。だが……)


 熟考したのち、ウォーロックはゆっくりと瞼を上げた。


「陛下、どうぞ祭壇から離れてください。あなた様まで巻き込まれては一大事です……それから、最後に一つ、確認しておきたく」

「何?」

「王女殿下をお送りするのは、『自分の足では決して戻ってこられない、海の向こう』……でよろしいのですね?」

「ええ、その通りよ。さあ、準備ができたならちゃっちゃと片づけて」


 自分の足では決して戻れない、海の向こう――


(――具体的に「どこ」と指示をしなかったのは、あなただ。ドローレス女王陛下)


 にやり、と。

 深く被ったフードの下で不敵に笑い、ウォーロックは軽く両手を掲げた。


「荒野の果てへ、天空の彼方へ、そして深海の奥底へ。道なき道をも切り拓き、我が望む地へ彼を送らん――」


 祭壇を中心に、とても目で追いきれない速度で魔法陣が組み上がる。

 ふわりと浮き上がる華奢な体を見つめ、ウォーロックは静かに祈った。


 かの島に眠りし叡智よ、彼女(ライラ)の行く道を眩く照らし出したまえ。


「――よい旅を(テレポート)


 詠唱の終わりと共に、複雑な軌跡を描く図形が強い光を放つ。


 ウォーロック、王妃、そして彼女に付き従う従者の視界が真っ白になり、そして。


 不遇の第一王女は、この国から姿を消したのだった。

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