エピローグ 元王女はかく変わりき
「ええっ⁉︎ そ、そんな……つまり、みんなライラさんのことを忘れてしまったんですか?」
「あたしらに文句言う筋合いはないけど、いくらなんでもあんまりじゃねえの……?」
依頼達成の旨を書き記した矢文を放ち――元々は万が一に備えた救援要請用に持たされた矢ですが、いくらエルフ謹製の超遠距離用といっても飛びすぎではないでしょうか――、クレム様の背に乗って穏やかな空模様をのんびりと楽しむことしばらく。
出発時と同じく浜辺で待っていてくれた皆さんに、私は事の顛末を報告しました。
「嫌な記憶を消す薬」混じりの雨を降らせたくだりに差し掛かると、思わずといった風にギルダさんが悲鳴を上げます。セレナさんも同意を示してくれてとてもありがたいのですが、ここは少し訂正しなければいけませんね。
「忘れた……というより、『記憶が書き換えられた』ですね」
死を招くほどの冬をアルテミシオンから追い払ったのは、長老が国の外から呼び寄せたとある魔術師。
そして、元凶たるドローレス・アルテミシオンはラザラス宰相の名の下で国外に追放され、新たな女王として娘のイライザが即位した――それが、ごく一部を除いたかの国の民たちの認識です。
本来なら名前通りの効能を発揮し、おそらく「果てなき冬」に関する記憶がまるごと消えるところでしたが……調合時にいろいろと細工を施したため、少しやんわりとした効き方になっています。
まあ、つまりあの、あれです。ごたごたの中心にいた私が、王位を継がず静かに立ち去るために施した隠蔽工作というやつです。
「『ごく一部を除いた』ということは、真実を知る者もいるんだな?」
「ええ。宰相、今代の女王、世話をかけたメイドと執事の四人よ。……厳密に言えば五人なんだけれど、まあ四人ということで」
「でも、お姉さん、きっとすっごく頑張ったのに……」
「ありがとう。でも、エイデンがそんな顔する必要ないのよ。私が決めてやったことなんだから」
おじ様、イライザ、マルタ、アルバート――戴冠式の前日、私が持参したお茶を飲んだ面々。アルテミシオンそれなりに広しと言えど、騒動の真相を正しく記憶しているのはこの四人だけです。
「ま、先生がすっきりしたんなら万々歳だわな」
「……分かります?」
「おう。いい顔してるよ、腰痛が治った時のうちのジジイみてえだ」
「ご……ご快癒おめでとうございます……!」
例えが絶妙すぎて逆に複雑ですが、ばしばしと背中を叩いてくれるセレナさんの掌が温かくてほっとしたのは事実。
顔を綻ばせつつ、私は水平線の方を見遣りました。沈みゆく夕日に染められ、穏やかな風に揺れる水面が優しく燃えています。
「…………やっと、終わったんだわ」
季節を二つ見送っても、「逃げている」という感覚をどうしても拭いきれなかった日々。一人になった時に限って心に広がる罪悪感。不可抗力とはいえ、明らかに王の器ではない相手に故郷を明け渡してしまったという自責の念――いつの間にか当たり前になっていた諸々をまるっと焼き尽くすような、それは美しい夕焼け。
心なしかいつもよりも染み入る景色を、しばらく眺めたあと。
私は、ゆっくりと背後を振り返りました。
「あの……その、だいぶ今更なんですけど――」
――ただいま。
思ったよりか細くなってしまった四文字も、だけどしっかり聞き取ってくれた皆さんの表情も。
うっかり瞼の裏が熱くなるくらいに、温かいものでした。
○
拝啓 親愛なるライラ様
山の雪が溶け始め、川の水も緩み出し、春の足音が日増しに近づいてきております。そちらはいかがお過ごしですか? 高熱に魘されてはいませんか? と、ここまで書いたところで、ライラ様はもうすっかり健康になられたのだと思い出しました。頭では分かっていますしこの目で確かに見たのですが、どうしても心配になってしまいます。
この癖は当分抜けなさそうなので、ご容赦いただければと思います。
あのあとのアルテミシオンは、少しずつ元の活気を取り戻しつつあります。無実の罪で捕まっていた人、やむを得ず出稼ぎへ行っていた人、暇を出されていた城の者たち(私もそうですね!)……日が経つごとに、そういった人々が国へ帰ってきています。嬉しいことです。
「果てなき冬」以前の暮らしを完全に取り戻すまでにはまだ時間がかかりそうですが、きっとなんとかなると思います。何せ、誰も彼も目の輝きが違いますから。
私とアルバートさん、そしてハンナさんは、日夜イライザ様のお世話に奔走しています。ライラ様ほど手はかかりませんが(怒らないでくださいね)、それでも幼い子のお世話をするのは久しぶりなので、いろいろと手探り状態です。でも、馴染みのないお屋敷に奉公していた時よりもずっと楽しいです。
どれもこれも、ひとえにライラ様が私たちの言葉に耳を傾けてくださったからです。本当にありがとうございます。
なんだかしんみりしてしまいそうなので、今回のお手紙はここまでにしておこうと思います。
事前にお知らせいただければお茶の用意をしますから、よかったらこっそり遊びにいらしてくださいね。イライザ様もお喜びになると思います。
ではまた!
敬具 マルタ
追伸
宛名を見て不思議に思ったかもしれませんが、実はこれイライザ様の発案なんですよ。「魔術師」は他にもいっぱいいるなあと思っていたところ、何かの本で見つけて「これだ!」と思ったそうです。
響きがめちゃくちゃかっこいいですし、辞書で引いたら「卓越した技術を善なる心のもとで振るう魔術師のこと」みたいに書いてあったので、これはもうどんぴしゃってやつですね。もうじき国民の間でも浸透すると思いますよ。魔術師じゃなくても予言はできるのです、なんちゃって。
「――へーえ、こりゃまたイカした宛名だこと」
「わっ⁉︎ びっくりした、声かけてくれてもいいのに」
「にこにこ読んでたから大人しくしてあげてたんだよ。な〜るほど、確かにこれはかっこいいわ」
「……うん。かっこいい」
封筒の表に書かれた文字を改めて眺め、なんだかくすぐったくなりながらも頷きます。そんな私ににやりと笑いかけたあと、リーはぐうっと伸びをしました。
「しっかし、精霊に手紙運ばせるのは世界中探してもあなたくらいだよ」
「や……なんというか、結構協力的な感じに見えたから……」
「それはその通り。というかそこがヤバいって話」
便箋を折りたたんで封筒の中へ戻したあと、私はふと窓の向こうを見遣りました。
「ここも、もうすぐ春ね」
「そうだねえ」
雪化粧の名残はいつの間にかさっぱり消え去り、膨らみ始めたいくつもの蕾が綻びの時をじっと待っています。
これから咲く花たちにとっても、私にとっても、ミラリ島で迎える初めての春が近づいてきているのは明らかです。
「……マルタへの返事を書き終えたら、例の依頼に取り掛かることにするわ。手伝ってくれる?」
「よしきた! リーさんにどんと任せなさい」
「ありがとう。よろしくお願いします」
羽根ペン,インク、封筒と便箋――城から持ち帰ってきた一式を取り出して、私は姿勢を整えました。
「ええと……先に宛名と差出人よね。『アルテミシオン城 マルタ・オルニティア様』……」
さらさら、さらさらさら。
万が一にも間違えないように、一文字一文字注意を払いながら進めていきます。
「……よし。あとは差出人……うわ」
「ん? どした?」
「いや……誰かに言われる分にはかっこいいけれど、自分で名乗るとなるとさすがに恥ずかしいなあと」
「いいじゃんいいじゃん、せっかくつけてもらったあだ名なんだから堂々と書きなよ! どうせ本名出せないんだから」
「はあ……」
黒く染まりきるのを目で確かめて、インクの海からペン先を引き上げます。
瞬き二回分ほど躊躇ったあと、小さく息を吐いて羽根ペンを握り直し――封筒の裏の隅っこに、ほどほどの大きさの字で、こう書きました。
――「ミラリ島のなんでも屋 または孤島暮らしの賢者」と。
気がついたら完結してました!!ありがとうございました!!
違う作品も書きたいな〜と思っていますので、その時はまたお付き合いいただけたら嬉しいです。
完結祝いがてらブックマーク及び↓の☆☆☆☆☆から評価をいただけると大泣きして喜びます。よろしくお願い致します……!




