20 とらわれの竜(2)
「この、ッ大馬鹿者が!」
「っ、⁉︎ ギルダさん!」
「おーおー、穏やかじゃないねえ」
外から訪れる者の視界を遮り、頬を打ち、体温と意志を奪い取る。
そのためだけに存在しているかのような吹雪をギルダさんの背に乗って越え、ようやくその住処へ辿り着いた、瞬間――洞窟全体が軽く揺れるほどの衝撃を伴い、彼女の体が岩壁へと叩きつけられました。
「大丈夫ですか……⁉︎」
「ってて……ええ、問題ないです」
怒鳴り声の出どころを探すまでもなく、松明の火を受けて聳え立つような影がのしのしとこちらへ近づいてきます。
ぼうっと浮かび上がったその姿は、ちょうどギルダさんをひと回り大きくし、そして赤く染め上げたかのようでした。
「ギルダ! 取り決めをもう忘れたか⁉︎ あの方は静かに逝くことをお望みなのだ! だというのに、この、お前という奴は……!」
「それならそうと、クレム様ご自身の口で仰っていただかなければ納得できません! わたしは昨日もそう言いました、姉さんこそもう忘れたの⁉︎」
「わざわざお聞きするまでもない、この吹雪が何よりのお答えだ! 父なる風と共に、母なる雪と共に生を終えたいという切なる願いの証だ!」
あまりの剣幕、そして声量に圧される私たちをじろりと睨め付け、「姉さん」はギルダさんへと視線を戻します。
「我らは、あの方の言葉なき遺志を尊び重んじる。結論は変わらない。たかが魔術師一人と妖精一匹を連れてきたところで、あの方の終焉は避けられない!」
「……あの、ちょっといいかな」
「あ、リー……!」
「だいじょぶだいじょぶ」
ぜえぜえと息を荒げるフランさん、土埃を立てながら体勢を立て直すギルダさん。突然の姉妹喧嘩が落ち着いた一瞬を狙い、上着のポケットからするりと抜け出したリーが二頭の間へ入りました。
「ギルダちゃん、それから……」
「……フラン」
「フランちゃんね、オッケー。あたしはリー、こっちはライラ」
「は、はじめまして」
「ひとまず、あたしたちに正しい状況を説明してくれる? クレムさんを治してほしいっていうのは、あなたたちの総意じゃないってことでいいの?」
『……わたしたちも、その可能性は考えました。ですが、近づくことすらできないとなると、どう確かめたらいいのか』
『そりゃそっか。――それで、あたしたちに声をかける話が出たと』
『はい。そういうことです』
昨日のやりとりを思い出したのは、私だけではなかったようです。
目を見開いて、俯き、そして縮こまりながら、三対の視線を浴びるギルダさんが気まずそうに口を開きます。
「わたしの独断だと知ったら、引き受けていただけないんじゃないかと思って……」
「なるほど。ま、そんなとこだろうとは思ってたけど……で、取り決めっていうのは? 『今後何が起ころうとクレムさんには手出ししない』的なやつ?」
「部外者に教える義理はない」
おっと、予想以上のバッサリ具合です。
こちらを振り向き苦い(オブラートに包んだ表現です)顔をしつつ、リーはフランさんへの問いかけをやめません。
「あのね。こっちは妹さんから依頼を受けて来てるんだけど」
「関係ない。依頼は解消だ、嵐になる前に帰れ」
「ちょっと姉さん、いくらなんでもそんな言い方」
「黙れギルダ。お前が招き入れたのだから、責任を持って送り返せ」
「あーあ、話も聞いてくれないんだ。こちとら一晩中調べ物して、吹雪まで越えてきたってのに」
「……あの」
「ふん、勝手に来ておいて図々しいことこの上ない」
「ふうん、恩人になるかもしれない相手にそういうこと言っちゃうんだ? あたし絶対忘れないからね、今後あんたたちに何があっても助けになんか来ないからね」
「あの」
「脅しのつもりか? 我々はよそ者の情けなど要らぬ」
「いい加減にしてよ! 本気でクレム様を見殺しにするつもり⁉︎」
「すみません、少しだけ話を」
「口を慎め! 我らの判断にこれ以上楯突くならば、妹といえど容赦は――」
「――私の話も聞いていただけますか⁉︎」
ますか、ますか、すか、すか、か、か、か……
自分でも引くほどの大声――無意識に魔力を使っていたのかもしれません――が出たおかげで、どうにか言い争いを止めることができました。
リー、ギルダさん、そしてフランさんまでもがぽかんとした表情でこちらを見ています。うっかり笑いそうになりましたがなんとか堪え、やっと勝ち得たチャンスを無駄にすまいと私は口を開きました。
「埒が開かないので、結論から言わせていただきます。クレム様は、『暗闇病』という病に罹っている可能性があります」
「オブス……? なんだそれは、聞いたこともない」
「資料を持参しています。口頭での説明にはあまり自信がないので、読み上げさせていただきますね」
リュックから一冊の本を取り出し、栞紐を頼りにページを開きます。
表紙に記された文字を目で追ったフランさんが、小さく息を詰めるのが分かりました。
「それは……かつてこの島に生きた、有翼人の文字か」
「はい、おおよそ二百年ほど前に書かれた本だと推測します。では、失礼して……『暗闇病――視覚の遮断を伴い、精神が著しく不安定になる病のこと』」
――元々短気ならいっそう拍車がかかり、そうでなければ凶暴な性格に豹変する。現在発症が確認されているのはドラゴン、そしてグリフォンのごく一部。
症例に乏しく直接的な原因も不明。だが、「強い魔力と知性を併せ持つ長命種」が何らかのきっかけ(過剰な心労等)で発症するのではないかという仮説が立てられている。
現段階で判明している明確な治療法は、「ヘリオスの目薬」の点眼、及び白魔術「万能の治癒」の二つ。抜きん出て優秀かつ危険を承知で治療にあたる薬師、もしくは魔術師が必要になるため、実質我々ができることはないに等しい。
周囲に被害が出ないように努めつつ、患者の自然治癒力に任せるのが唯一の策と言えるだろう。
「……強い魔力と知性を併せ持つ、長命種」
「クレム様は、この一帯に住む皆さんからの尊敬を集める存在だとお聞きしました。だからこそ……差し出がましいようですが、見えない気苦労を抱えていらしてもおかしくないのではないかと」
思わぬ形で開けた可能性に戸惑っているのか、ギルダさんのそれとよく似た金色の双眸がわずかに揺れました。
しばし黙り込んだあと、フランさんは改めて私を見下ろします。
「……対処法は?」
「目薬の方は作るのが少々手間なので、『パナケイア』を覚えて参りました。それから、万一に備えてよく効く眠り薬も準備しています」
「その矢に塗ってあるのか」
私の肩周りを見ながら問いかけるフランさんに、頷きを一つ。
「注射器を使う方法も考えはしましたが、近づけない可能性の方が高いと思ったので」
「ん……魔術を使えば済む話ではないのか?」
「はい、と言い切れず情けないのですが……魔術の効き目は、術者の精神状態にある程度依存します。万が一私が大きな恐怖や不安に駆られたら、巡ってきたチャンスも逃してしまうかもしれません」
「薬ならその心配はない、ということか」
「はい。眠っていただければその心配もなくなりますから、『パナケイア』に関しては問題なく使用できるものと考えます」
縮めて首から提げた杖に代わり、今日の私は明確な武器を――御前試合を終え、「冥王も愛する眠り薬」の調合方をきっちり書き記し、メディス山へ帰る際にエルフの王からいただいた弓矢を背負っています。
『杖と同じく、柊の木と水晶で作った弓だ。お前なら、魔力を注ぐことである程度扱えるようになるだろう』
『……ありがとう、ございます』
『しかし、あくまで『ある程度』だ。足りないと感じたらいつでもここを訪ねるが良い、ヴィラドが喜んで師を務める』
『…………容赦はしないぞ』
『――ライラ・アルテミシオン。その弓が、その矢が、お前の行く険しい道を切り拓く助けとならんことを』
「ふふん、イケメン仕込みの弓術がついに火を噴くわけだ」
「何度でも言うわ、本っ当にその呼び方やめて」
回想がまるっと台無しです。
「あたしも何度だって言うけど、エルフで、しかも王子でしょ? もうぴっかぴかだよ。イケメン中のイケメンだよ。イケメンと呼ばずになんとする」
「や、め、てったら。……こほん」
じろり、と私たちを睨むフランさんにきちんと向き直り、私は改めて口を開きました。
「少々手荒なやり方であることは否定しません。ですが、もし苦しみの原因が『暗闇病』であるならば……クリム様をお助けできる可能性は、まだ残っています」
「お願い、姉さん。お二人を湖へ運ぶ役はわたしがやるから、他の誰にも迷惑はかけないから」
「どーすんの。あんたを含めて、ここの連中全員が本気でクリム様に死んでほしいって言うんならあたしたちは帰るけど」
咄嗟に咎めかけましたが、私は口を噤みました。
フランさんの表情が、何より雄弁に答えを語っていたからです。
ますます吹き荒れる雪と風の音だけが、しばらくの間洞窟を満たしました。
「……覚悟はあるのだな、ギルダ」
「はい」
「…………他の者へは私が説明する。魔術師、その書物を借り受けることは可能か」
予め用意しておいた、該当するページの複写。
少し大きくして手渡せば、じっと見つめたあとフランさんは表情を鋭く引き締めました。
「日が落ちる前に決着を。夜になれば、あの方は凍れる湖へ潜ってしまわれる」
「分かりました。行こう、リー、ギルダさん」
「よし来た」
「はいっ!」
「――クレム様。どうか妹に、そしてあの者たちにご慈悲を」
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