17 御前試合は突然に(6)
かつてこんなにスピード感溢れる追いかけっこをしたことがあっただろうか、いやない。
「失礼を承知で……ッ、申し上げ、ますが! 形式上で構いませんので、降参、していただけませんか⁉︎」
「お前こそ、倒れる前に、潔く白旗を上げたら、どうだ……!」
我ながら信じ難いことに、訓練場からだいぶ離れた今も深山幽谷での追走劇は続いていました。
王子は地の利に、私は移動速度にものを言わせ、めまぐるしく攻守を入れ替えながらとどめを刺す機会を伺っているところです。
びしばしと木の葉が肌を掠め、あちこちにできた小さな擦り傷や切り傷がちりちりと痛みます。ですが、そんなことは気にしていられません。
今はただ、一刻も早くこの試合に決着をつけることが最優先です。「ヒール」はいつでも使えますからね。
「アイシクル」は砕かれる、「サンダー」はあと一歩のところで当たらない(場所を考え「フレイム」は除外です)、「ペトリフィカ」は特に警戒されていてきっちり躱される、「重力」は掠めたものの木から落とすまでには至らず――同じだけ私も先方の攻撃を避けたり退けたりしているものの、はっきり言って膠着状態です。
距離を詰めたくとも、これ以上箒の速度を上げれば制御が不安定になります。かと言って、きちんと狙いを定めるために停止すれば、その瞬間私は行動不能へ追い込まれることでしょう。
はてさて一体全体どうしたものか、と途方に暮れかけた、その時。
「ん……?」
いつもの数倍鋭敏になった耳が、どこからか水の流れる音を拾いました。荒々しく激しく、高低差の感じられるそれ――おそらく、出どころは滝です。
すんでのところで避けた矢に顔まわりの髪の先をすぱんと持っていかれ、心臓が止まりそうになりながらも、私は散らばる思考を必死に手繰り寄せました。
滝があるということは、河川ないし湖が近いということです。
悲しいことに、こうして森の中にいる限り、どう頑張っても勝率は上がりません。十中八九私の方が先に力尽きます。
正直言ってものすごく疲れているので、この際勝負を投げ出してもいいかも……とは思えず。想定の何倍も労力を費やした以上、「冥王も愛する眠り薬」の調合法をなんとしてでも持ち帰らなければ気が済みません。王の仰る「闘志」とはだいぶ違うような気もしますが、それはそれこれはこれです。
「…………よし」
諸々を鑑みて、私は覚悟を固めました。
実現できるかどうかはその時にならなければ分かりませんが、今私が考え得る勝ち筋はこれしかありません。
「ヴィラド殿下!」
「なんだ!」
「場所を変えましょう!」
「は!? 変えるも何も、お前、自分が今どこにいるかも分かっていないだろう――!」
そうです。この王子、意外と冗談が通じるタイプなのです。
背後から飛んできた真っ当なツッコミに、ぎゅいんと方向転換しながら私はそっと頬を緩めました。
ヴィラド殿下は「お父上の提案で」「ぽっと出の余所者(しかもど素人)と試合をする羽目になった」ことに腹を立てていただけで、私という個人に敵意を抱いてはいない……ということは、玉座の間を出てしばらくすれば自ずと分かりました。訓練中も、突然の見学者に色めき立ってあれこれ聞こうとする兵士たちに怯える私を見かねてか、彼らを鋭く一喝してくださいましたしね。
贔屓発言はしばらく根に持ちますが、「やっぱり試合を辞退しよう」とならなかったのは他ならぬ王子の人柄によるところも大きいのです。閑話休題。
次第に大きくなる落水音だけを頼りに箒を進め、その間も攻防を繰り返しつつ、あと少しで開けたところへ――おそらく滝の上へ出ようか、というところで。
このあとの展開を察したのでしょう、王子の目がはっと見開かれました。
そこからはおそらくほぼ一瞬の出来事でしたが、私の目には一つ一つの動作がとてつもなくゆっくりに見えました。
番えかけた矢を矢筒に戻し、さっと周囲に視線を走らせ、短剣の柄に手をかけながら太い枝の上を駆け、そのしなりを利用して二度三度と別の枝へ飛び移り――
「っうわあぁぁ!?」
「ぐ……っ、!」
――あろうことか、箒の柄を足場にして私の首元を狙いに来たのです。もう人間離れどころの騒ぎではありません。
咄嗟に構えた杖が奇跡的に短剣を受け止め、めりめりと不穏な破壊音を奏でました。
「い、いくら苛々したからって……ッ、うわっ、何も、ひゃっ、首を切りに来なくても……!」
「馬鹿を言うな! 面を叩き込んで、気絶させようとしただけだ……! 防がれるとは思っていなかった、だから手元が……狂って、っ」
片や箒に跨り、片や箒の上に立ち――男性が助走をつけて飛び乗ってもヒビすら入らないどころか、しっかり重みを受け止めるくらいに強靭な作りだと知れたのは良かったですが――、噛み合って外れなくなった杖と短剣で押し合いへし合いしている。側から見ればかなり奇妙な光景ですが、私たちにとっては予期せぬ大問題です。
さすがの王子もこの事態は予測できなかったのでしょう、顔にはっきりと焦りが浮かんでいるのが分かります。
「それにしても……ッ、なんだ、この、強度は! さてはこの杖、ドワーフが鍛えたものか⁉︎」
「その通り、ですが! それより、なんとかしてこれ、外さないと……!」
ぐらぐら、めりめり、ゆらゆら、みしみし、ぐわんぐわん。
危なげたっぷりに揺れる箒から振り落とされないよう、そして杖を落とさないよう、死に物狂いで両方にしがみつく中。ふと視界の隅に入ったのは、日の光を浴びてきらきらと輝く水面でした。
すったもんだしていてまったく気づけませんでしたが、いつの間にか森を抜けて川の上まで出てきていたようです。
透き通った、そしてぼんやり想像していたよりもだいぶ深そうなその流れを数秒見つめて――私は、自分がやろうとしていたことを思い出しました。
静かに視線を戻すと、王子は未だ短剣を握ったまま呻いています。彼なら力押しでなんとかできそうなものですが、下手をすると私に切り傷をつけかねないため思い切れないといったところでしょうか。
正直申し訳なさは拭えませんが、絶好のチャンスです。
そうっと深呼吸をして、考えた手順を頭の中で繰り返して、結果がどうなっても全て終わったら王子に謝罪することを心に決め。
「殿下」
呼びかけに応えてこちらを向いた眼差しに力なく(へろへろなのは事実ですが)微笑みかけた、そのあと。
「――申し訳ありません。あとのこと、お願いします」
それだけ口にして、私は全身の力を抜きました。
「は? 何を言って――ッ、おい! 魔術師!?」
杖から箒から手を離した私の行き先は、一つ。
上空でやいのやいの騒ぐ私たちに少しも構うことなく、悠然と流れゆく大河の只中です。
「嘘だろう、よりにもよってこんな場所で……! くっ、」
しばし唖然としたあと、しかし噛み合ったままの杖と短剣を抱えて王子が追いかけてくるのが見えました。
「慣れないことをして気力体力を使い果たし、意識を失った」演技が成功したことを確認して安堵しつつ、事が終わったら何がなんでも謝ろうという意志をより強固なものにします。
あと瞬き一つすれば、この身がどぼんと沈む。その瀬戸際まで待って、私はごくごく小さな声で詠唱しました。
「『メタモルフォーゼ』」
言い切るより早く落水し、最後の方は口から吐き出される泡へと変わりました。
が、無事に魔術は発動しました。
数秒遅く飛び込んできた王子の目が真ん丸になっている、それが何よりの証拠です。
混乱に混乱が重なれば、さすがの王子といえど数秒は動きが止まります。
その隙を見逃さず、私は尾鰭をぐんっと蹴って彼との距離を一気に詰めました。
困惑で瞳を揺らす王子に内心思い切り頭を下げながら、ぴんと尖った耳元に唇を寄せ――
「手放せ。委ねよ。今はひととき、安らぎの海を揺蕩え――『甘眠』」
ここがどこかも分からない私が、すっかり脱力しきった男性を連れて訓練場まで戻れるはずもありません。このあとやることは、もう決まっています。
――ひゅるるるる、どんっ、ぱらぱらぱらっ。
エルフの里を秘匿する結界すれすれに位置する河、その上空。
雲のない晴れ模様を背景に、大きな赤い花火が打ち上がりました。
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