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プロローグ 元王女はかく語りき

 むかしむかし、あるところに、お医者様から「もはや生まれたこと自体が奇跡」と評されるレベルで体の弱い王女がおりました。

 その名もライラ・アルテミシオン、お察しの通り私のことです。


 食べても食べても肉がつかない、三歩進めば即転倒。一年の半分以上は風邪っぴき、もう半分は喘息の発作……という破壊的ひ弱っぷりを発揮したため、王女は幼少期のほとんどを部屋の中で過ごしました。

 楽しみといえば読書、家庭教師の授業、使用人たちとの会話、そしてその日の公務を終えた母と過ごす夜。

 ろくに外を知らない王女にとって、彼らと過ごす時間は一秒一秒が何にも代え難い宝物でした。


 体を動かせない反動か貪欲に――家庭教師が引き気味になるくらいに、の方が適切ですかね――知識を欲し、習ったこと・聞いたことを次々吸収した王女ですが、特に興味を示したのは様々な「文字」についてでした。

 きっかけは確か、寝物語の挿絵に出てきた不思議な記号だったかと思います。


 王国で一般的に使用されているもの、同じ起源を持ちながら形や綴りがやや異なる近隣諸国のもの、成り立ちから全く違う遠い国のもの、王女が生まれる遥か昔に使い手が途絶えたとされる古代のもの、果ては他種族が使う(とされている)ものに至るまで――王女の知識欲と母の凄まじい博識さが重なった結果、王女は八歳にしてこの世界に存在するほぼ全ての文字を読めるようになっていました。

 ですが、「うっかり露呈すると妙な輩に利用されかねない」ということで、その事実は母と娘だけの秘密となります。

 閑話休題だと思ったそこのあなた、これ結構大事なポイントですからね。よくよく覚えておくように。

 

 それから二年、何度か死にかけながらも王女はどうにか十歳になりました。この頃から虚弱体質に改善の兆しが見え始め、城内を軽く散歩する程度なら問題なくこなせるようになります(もちろん付き添いは必須ですが)。

 しかし、まるで王女の成長と引き換えるかのように、国を揺るがす悲劇が起こります――そうです。国随一の賢妃と謳われた女性、王女の母が病により命を落としたのです。

 冷たくなった母の体に泣いて縋ったその日を最後に、王女の幸せな日々は終わりを告げました。


 王女の父である国王が新たな妃を迎えたのは、母が亡くなって三ヶ月ほど経った晩秋のことでした。噂に勝る華やかな美貌の持ち主で、少し話しただけでも自分に圧倒的な自信があるのが伝わるような人でした。

 言う時は言う、しかし基本物静かで控えめな性格だった母とは対照的な女性と言えるでしょう。少々気弱なきらいがある父が惹かれるのもまあ納得、と思う反面、なんだか漠然とした恐怖を感じたことを今でもよく覚えています。

 思えばこの頃から、すでに新王妃は王女のことを嫌っていたのでしょう。結婚相手の前妻にそっくりな忘れ形見など、彼女のようにプライドの高い方からすれば目障り以外の何物でもなかったのだと思います。

 もっとも当時の王女はまだまだ幼く、なぜ彼女の自分を見る眼差しがああも冷たいのかさっぱり分からなかったのですけれど。


 薄ら居心地の悪さを感じつつ、とりあえずは平穏に王女の時は流れていきました。十二歳になった王女は、もう日差しを浴びてもぶっ倒れたりしません。が、受難の始まりはここからでした。

 忘れもしません、太陽克服の喜びを侍女と分かち合っていたところに大急ぎで駆け寄ってきた執事の形相を――王妃様がご懐妊なさった、そう告げた彼の声色の重々しさを。

 侍女が差してくれていた日傘が地面に落ちる、とすり、という乾いた音を。

 はじめて直に浴びた日の光の、まるで肌を舐め上げるような熱さを。


 母が異なるとはいえきょうだいが生まれる、それはとても喜ばしいことでした。ですが、もう決して幼くない王女の胸には、嬉しさを補って余りある不安が広がっていきました。


 不安が的中したのは次の年の夏、王女が歳を重ねていくらも経たないある夜のこと。王妃の子が産声を上げるのと時を同じくして、国王が――王女の父が突如帰らぬ人となったのです。

 医師の見立てによれば、死因は急な心臓の発作。誰にも等しく訪れうると頭では理解していても、「両親を失った」という現実を王女が受け入れるのには時間がかかりました。

 母と比べれば会う機会は少なかったけれど、それでも王女の健康をいつも案じてくれる父でした。表面的にはいつもと変わらず振る舞いましたが、一人になれば悲しみと孤独に心が沈みます。

 どうして、と、答えのない問いを繰り返し、王女の眠りは次第に浅くなっていきました。


 幼少期に比べればだいぶマシになったとはいえ、生来の虚弱体質に睡眠不足が重なれば王女の体調は簡単に悪化します。

 頭痛に眩暈、気持ち悪さに吐き気。変わるがわる襲い来る諸症状にどうにか対抗しながら日々を過ごす王女の体も、そして精神も、坂を転がり落ちるように弱っていきました。


 それでも王女は両親の遺言を守るべく、国の未来を背負って立つ女性となるための勉強を続けました。がむしゃらに、心配の声も意に介さず、文字通り朝から晩まで様々な学問と礼節をその心身に叩き込みました。

 しかし、その血のにじむような努力は、王妃改め女王の放った一言であっけなく水の泡となります。


『私の跡を継ぐんだもの。どこぞの出来損ないなんかじゃくて、私の血を引く健康な子でなくてはね』


 言葉の意味は、誰にとっても明白でした。

 ぞっとするほど美しい笑顔で女王がこう言い放った夜を境目に、とうとう王女の生活は一変することとなるのです。

 

 日々の食事が残飯になり、服や靴、アクセサリーがなくなり……そんなことはどうでもいいと思えるほどの、女王から王女に対する陰湿な「いじめ」が――地獄のような二年が、幕を開けました。


 まず、毎日の勉強が中止になり、代わりとして王族が所有する古い屋敷を掃除するよう言いつけられました。もちろん王女一人で。屋敷は馬車で二時間かかる場所にあり、行って掃除して帰るだけでほとんど一日が終わってしまいます。

 それだけならまだよかったのですが、監視役を兼ねた御者が固い木の棒を持たされており、破損した部分がないと――「不出来」を叱るために王女を叩いたと分かる痕跡がないと知れれば、今度は彼の家族が鞭で打たれると知った時の王女の心境たるや。怒りという感情を王女が自覚したのは、間違いなくこの時が初めてです。

 自分と女王の(一方的な)確執に第三者を巻き込むなんてとんでもありません。その日から王女は、主に背中や脚など、服に隠れて見えないところを殴られ続けました。体に走る痛みよりも、棒を振りかざす御者の「申し訳ありません」「お許しください」という悲痛な涙声が王女を苦しめます。


 度を越した嫌がらせは続きました。そうして王女が城と屋敷を往復している間に、王女と関わりが深い使用人たちが次々と解雇されたのです。

 掃除自体は「辛いけど、きっと将来役に立つ」と前向きに取り組んでいた王女ですが、これはさすがに堪えました。幼い頃から面倒を見てくれていた彼らを失うことは、心の拠り所を奪われるのと同じです。

 さらには義妹の顔を見ることまで禁じられ、とうとう王女は正真正銘のひとりぼっちになってしまいました。


 いつの間にか、王女は十五歳になっていました。


 体も心もぼろぼろでした。気を抜けばうっかり死にそうな日々が続きました。が、決して自ら死のうとはしませんでした。城から出ていこうともしませんでした。

 そんなことをすれば女王の思う壺ですし、何より苦労しながら自分を育ててくれた、生かしてくれた人々に申し訳が立ちません。

 ある時は疲労に倒れ、またある時は高熱に魘され。それでも過酷な労働から逃げない王女の胸には、恩ある人々への想いの他にたった一つの希望がありました。


 たった一つの希望――それは、王女が十六歳を迎える翌日に開かれる、国中の貴族が集まるパーティのことでした。


 王女の現状はともかく、その存在は国に住む者なら誰でも知っています。王位継承権第一位の持ち主(元とはいえ、です)が参加しないとなれば、貴族たちからあることないこと言われるのは「新参者」たる女王の方なのです。

 さすがにそのことは理解していたのでしょう。国を覆う雪が溶ける頃、女王は王女を城へ呼び戻して告げました。


「もう掃除はしなくていいから、立派なデビュタントになるための準備をしなさい。私の顔に泥を塗るような真似をしたら許さないわよ」


 女王が泥まみれになろうがなんだろうが、王女としては知ったこっちゃありません。

 ですが、「立派なデビュタント」としてホールに立つ必要は大いにありました――パーティの場で結婚相手を見つけ、アルテミシオンの名と生まれ育った城に正々堂々別れを告げて、新たな人生を勝ち取るために。


 教養は十分、マナーもばっちり、あとはダンスを学ぶのみ。

 十六歳になるまでの数ヶ月間、王女はたまにふらつきながらもひたすら踊りました。女王派閥の使用人たちが囁く嫌味も何のその、「次の生徒は体がすこぶる弱い」と聞かされていた教師が仰天するくらいに踊って踊って踊りまくりました。踊り明か……すのはさすがに無理でしたが、それくらいの熱意で練習に取り組みました。

 皮肉にも、長きに渡る掃除生活が王女に(必要最低限の)体力と筋力をもたらしていたのです。

 

 そして迎えた、十六歳の誕生日。

 パーティの日に身につけるドレス、靴、そしてアクセサリーを決め、夕食の席につき、何年かぶりに好物のアスパラガススープを口にしたところで――ふっ、と、蝋燭の火が吹き消されるように、一瞬で王女の意識は途切れました。そして――


「――あ! 起きた! よかったあ、私ひとりじゃ上まで運べないからどうしようかと思ったよ」

「…………わたし、しんだ?」

「死んでない死んでない! ばっちり生きてるから心配しないで」

「え、ええ……?」


 透き通る緑の海に、雲一つない青い空。眩く輝く白い砂浜、かすかに漂う花の芳香、遠く聞こえる鳥の鳴き声。

 そして、ふよふよくるくる嬉しそうに目の前を飛ぶ、妖精。

 体躯に対して大きめの羽をひらりと広げ、彼女は王女の――私の手のひらに降り立ちました。


「シルヴィアの娘ちゃん、ミラリ島へようこそ! このリーが来たからにはもう安心、大船に乗ったつもりでついてきて!」


 拝啓 親愛なるお父様とお母様

 ごめんなさい、パーティには行けません。

 ライラ・アルテミシオン(十六歳と一日)は今、地図の端の端にある絶海の孤島にいます。


 追伸

 お母様、妖精と知り合いだってどうして教えてくれなかったの?

ここまでお読みいただきありがとうございました。


「面白そう」「続きが気になる」と少しでも感じてくださいましたら、ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価をいただけると泣いて喜びます。


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