③カズンと地上
あれだけの料理の数々を平らげながら、涼しい顔で締めの杏仁豆腐の三杯目をちゅるちゅるとスプーンで口に運びつつ、甘い甘いと満足げに繰り返すカズンを眺めながら、俺は代用コーヒーに手を伸ばして口を付けた。苦味以外は本物のコーヒー豆から抽出したそれとは程遠い、香料で似せた紛い物には違いないが、贅沢は言っていられない。香ばしさで誤魔化されていると判りつつ、飲む下す。
【……お腹一杯! カズン、すごく、嬉しい……♪】
そんな俺の気持ちとは関係無く、先程までの飢餓感をまるで感じさせない満ち足りた表情のカズンは、満足げに言うと俺の飲むコーヒーを眺めてから、
【……カズン、知ってる。コーヒー、苦い……美味しい、何故?】
さしずめ、過去に挑戦し敗退した記憶が甦ったのだろう。眉を寄せて苦しげに口元を曲げながら、俺に聞いてくる。
「ああ、苦いさ……でも、そうだな……」
再び一口啜り、少しだけ考えてから、思いを纏めて答える。
「……楽しい事も、嬉しい事も……それだけしか無いと、人間ってのは生きた心地が薄くなるんだ。だから、わざと苦い物も口にして味わって……バランスを取るのさ」
それを聞いたカズンは、不思議そうに口先を尖らせながら、苦い……美味しい? と繰り返してから、
【……カズン、苦い、苦手……だから、判らない……】
難しそうに呟き、杏仁豆腐の最後の一口を飲み込んだ。
いくら何でも【コミュニケーション・アクセ】が届いたその日から習熟訓練を始める訳にもいかず、俺とカズンは基地待機と銘打って施設の中を散歩していた。
しかし基地に着いた当日にも関わらず、カズンは既に有名人らしく行く先々で握手やら写メやらと対応に追われている。
【イチイ! カズン……そんなに、珍しいの!?】
黄色い歓声と共に数人の女性士官に次々と抱き付かれ、目を白黒させながら俺に振り返り助けを求めるのだ。その慌て方たるや……まあ、そろそろ気の毒になってきたな。
「済まない、まだ彼女も着いたばかりで疲れているそうだ。その辺で勘弁してやってくれないか?」
漸く割って入るだけの隙を見つけ、俺は女性士官達の落胆の声を背中で受け止めながら、カズンを引き離す事に成功した。
「あーん、もう! ……でも、ホント可愛いわよね~♪」
「うんうん! また会ったらお昼ごはん誘おっと!!」
「あ! それいい!! 私も私も!!」
嬉しそうにはしゃぐ三人の姦しい会話に、(二度と誘う気にならんだろうな……)と妙な期待をしつつ、カズンが落ち着けそうな場所を探し、ふと思い付いて昇降エレベータへと足を向けた。
【……イチイ、何処、行く?】
行く先々でもみくちゃにされたり被写体にされたりで、ややお疲れ気味のカズンだったが、俺の目指す先が気になったのか追い付きながら訊ねてくる。
「そうだな……たぶん、カズンには余り……楽しくない場所だろうが、間違いなく静かな所だ」
俺はそう答えながら、開いた扉の向こう側で操作ボタンを押し、地上へ向かうようエレベータを動かした。
「……まあ、確かに今は警戒警報は発令されてませんが、何かあったら直ぐに戻ってくださいよ?」
「ああ、判ってるよ。ゲートからは離れないし、何かあったら直ぐ退避するさ」
途中、更にエレベータを乗り換える為、巨大な戦闘機が鎮座する格納庫の前で警備兵に地上に出る許可を貰ってから、人間専用の小さなエレベータに乗り、斜めに揚がりながら漸く地上に出た。
【……眩しい……】
「……確かに地下要塞はグラスファイバーで太陽光を取り込んではいるが……やっぱり上の方が直だから強烈だな」
直接陽光が照らす地上に出ると、カズンも俺も光のシャワーを浴びて思わず目を瞑り、互いに手で庇を作りながら掩体壕脇の出口から一歩踏み出した。
【……飛竜種……沢山、死んでる……?】
と、カズンが直ぐに反応する。基地の外には、見渡す限りの遥か遠くまで埋め尽くす夥しい数の【飛竜種】の死体……いや、抜け殻が積み重なり、陽の光に炙られてチリチリと音を立てていた。
広い滑走路と僅かな地上設備を有する敷地、そしてその範囲を隔てる空間には、無人化された対空陣地が蜘蛛の巣状に張り巡らされ、地対空チェーンガンが剣山のように空を睨んでいる。
【スゴい……飛竜種、これだけ殺せる……でも……】
「ああ、確かに基地の近くに近寄る奴等は皆殺しだ。だがな……人間は再びこの場所には町を作れん。二度と、この土地では生活出来ないだろう」
何気無く足元に落ちていた石を拾い、重さのバランスを確認しながら振りかぶり、遠く離れた飛竜種の抜け殻に投げようとしたが、距離を見て止めた。代わりに腰の護身用ハンドガンを抜いて構えてから、
「カズン、耳を塞いどけ……」
【……はい】
声を掛け、右手の上の照準越しに飛竜種の頭を狙い、引き金を引いた。
……ドンッ、と発砲音を伴いながら銃口から弾頭が射出され、飛竜種の額に当たった弾丸が甲高い音と共に弾かれる。死して尚、飛竜種は人々に災いを残す。奴等の屍は風化せず、生前の姿を保ちながらしぶとく残り、地表の植物育成を妨げているのだ。おまけに雨が降ると死骸から鉄錆びに似た茶色の液体が流れ出て、草木の根を腐らせる。
「……あれを退ける為に撤去作業でもすれば、飛竜種共の格好の餌食になっちまう。しかし放置すれば……草一本生えてきやしない。全く迷惑なもんだよ」
俺はそう言うとカズンに座るよう傍らを指差し、先に積み重ねられた土嚢の上へと腰掛けた。
【……イチイ、何故、戦う?】
俺の脇にちょこんと座ったカズンが、唐突に訊ねてきたので俺は考えてから、答えた。
「……俺の妻は……飛竜種の大群に街ごと焼かれた。亡骸は……見つけられなかった」
左手薬指の指輪を眺めてから、雲一つない空へと視線を移し、カズンの顔を見る。神話時代を模したレリーフから出てきたような、清楚な印象の顔立ちと流れるような長く美しい銀色の髪。【シルヴィ】達は皆美しく、そして一様に若々しいと聞く。勿論、カズンも……見惚れる程の美少女だろう。ただ、その細身に似合わん食欲には驚いたが。
カズンの長い睫毛に縁取られた目が細まり、俺の顔から何か感じ取ろうとしていたのか、少し会話が途切れた。
改めて何か言おうと口を開きかけたカズンが、突如真上に顔を向け、中空の一点を凝視したその瞬間、頭上から真っ逆さまに何かが落下してきた。
【……サラマンド、来た】
カズンが呟いたその時、バサリと広げられた蝙蝠に似た翼が視界を覆い、防御用チェーンガンが反応する間も無く現れたサラマンダーが、同類の亡骸を踏み潰しながら俺とカズンの前へと降り立った。