①記憶
いつからその光景を眺めていたのかは自覚していなかったが、目の当たりにしている景色に見覚えを感じて記憶を手繰ってみると、生まれ故郷の幼少期を過ごした集合住宅の部屋の中で窓の外に眼を向けたまま座り込んでいるようだった。
身体中が硬直し、力が入らない。まるで石か鉄を手足の先に詰め込まれたかのように身動きが取れず、ただ首を動かして周囲の様子を探るしかない。薄暗闇の空間で視界に入るタンスや家具は引っ越しの際に処分した物ばかりで、この空間は明らかに夢だと判る。何とか右の方へと首を回すと一人の女性が離れた場所に立っていた。そして、うつ向き加減の顔をこちらへ向けると、涼やかな声で俺へと語りかけてきた。
《私、保母さんって天職だと思ってるんだ♪》
……やめろ、やめてくれ……。
俺の胸の内など気にすることもなく、彼女は眩しい位の笑顔で話し続ける。勤めていた保育園の勤務服ではなく、水色のワンピースに、紺色のパンプス。控え目な配色の組合せは彼女のお気に入りだった。
《ねぇ、うちの組の子達ってホント個性的なのよ?》
……頼む……後生だから……勘弁してくれ……。
俺は薄暗がりの中、ただ見詰めるしか……出来ない。身動きを許されぬまま、ただ、眺めるしか……出来ない。声も出せないことに気付いたその時、いつの間にか現れた子供達。
《ほら、こうやって手を繋ぐと……みんな、私の子みたいじゃない?》
……君が例え子供が産めない身体だったとしても、傍に居るだけで……よかったのに……
視界が一瞬で光に包まれて眼が眩む中、突然の光に眼が慣れて次第に周囲の景色がハッキリしてくる。
雲一つない晴天の下、保育園の園庭らしき場所に立ち、朗らかに笑う彼女と共に手を繋ぐ子供達の姿が見てとれる。……○○ちゃんに、○雄くん……ああ、あの時ちゃんと聞いてやっていれば……彼ら彼女らの一人一人の名前も覚えてやれたのに……
なのに……、やめろ、やめてくれ……
雲一つない晴天の空に、ぽつんと黒い点が現れる。その点は次第に大きくなり、ぐんぐんと近づいて大きくなる。……やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ……くそっ!!声の限り叫ぼうとするが、俺の声帯はかすれ声一つ挙げることも出来ずにただ空気を漏らすのみ。
笑う彼女が後ろを振り向くと……巨大な翼を持つ蜥蜴そっくりの何かが覆い被さるように宙に浮かび、ゆっくりと羽ばたきながら頭を反らし、
やめろやめろやめろぉ……やめてくれぇ……その口を閉じて消え去ってくれッ……頼むから……ッ!!
牙の並ぶ口を開けた瞬間、紅蓮の焔が容赦なく噴き出され、眼前で固まる彼女と子供達を即座に包み込む。極温の無慈悲な吐息が周辺の遊具や柵をも分け隔てなく溶かして地面へ吹き流していく。焔に包まれた彼女は一瞬で表皮を焼け焦がして松明のように燃え盛り、子供達も後を追うように崩れ落ちながら消し炭と化す。その様子を見せつけられている俺は、気が付くと地面に伏して絶叫しながら地面を殴り泣いていた。
……だからやめろと言ったのだ!!何回も何回も見せやがって……何回も何回も……俺の一番大切なモノを……お前らは……無慈悲に消し飛ばしやがった……。
握り締めた拳は血を流し、骨が見える程に傷付いているにも関わらず、俺は一切の痛みを感じず、この状況が夢であると認識させられる。現実の彼女の骨壺には髪の毛一本だけしか納められず、それとて遺された衣服の端に残った唯一の物だった。
俺は……俺だけが、何も出来ず生き残った……。
次第に揺れ動く身体を意識し始め、それが誰かに揺らされているから、と判った瞬間、俺は夢から現実へと引き戻されていた。
「……イチイ!大丈夫!?……カズン、ここ居る……よ?」
「…………。ん?……あぁ……、大丈夫だ……」
目を覚まして周囲の様子を窺うと、心配顔で覗き込みながら肩を揺するカズンと、狭いキャビン内の薄暗い照明と乳白色の内壁が眼に入り、自分達が飛行要塞から久々に地上へと降りて、三日間の休暇を消化しに行く予定だと思い出した。
艦長から「謹慎と精密検査を兼ねた休暇だ」と言われて強制的に与えられたせいで、有り難みも薄いのだが、「カズンにも休みを与えてやれ」と言われれば大人しく従うしかなかった。
しかし、あまりにも急に決まった故、言い渡されたその日から丸一日費やして、偵察の引き継ぎと必要な書類の提出、そしてカズンの外出許可(彼女の扱いは民間人なので軍施設内と外での書類が倍以上必要)と滞在申請……それらを全て俺一人で造り上げて、不眠不休の身体を引き摺りながら往復用運搬機に飛び込んで、そのまま眠ってしまったようだ。
「……イチイ、うなされてた。イヤな夢?」
カズンはそう言いながら、片手で掴んだ束ねた髪の毛の先を、不安げに見つめながらもう片方の指先でクルクルと廻している。落ち着かない時に見せる特有の癖……だろう。肩の下辺りまで伸ばした深緑色の髪の毛は、陽の光の元では艶やかに光を反射して美しく煌めくが、仄かな照明のキャビン内では独特の落ち着いた濡羽色に近い光沢を放っている。
「……んん、イヤ……な夢ではない……かな……?」
俺は後味も悪く、寝覚めも最悪に決まっている夢にも関わらず、簡単には肯定出来なかった。例えそれが【見ている筈のない想像上の産物】だったとしても、それでも鮮明に死に別れた妻の面影を偲ばせる物ならば……それは嫌なものではなかった……目の前のカズンには申し訳ないが。
「イチイ、奥さんの夢、見てた……違う?」
多少ジットリとした湿気を籠めた彼女の言葉に気付き、俺は内心で彼女の……いや、女の勘って奴の普遍性に苦笑いするしかなかった。見た目は少女と大人の中間にしか見えないのに、時として老成した面も覗かせるカズン。彼女らシルヴィ達に年齢を数える習慣が定着していない為、正確な年齢は不明な所もあるのだが……。
返答をはぐらかそうかと迷っていたその時、キャビン内の照明が一段落とされて耳元のインカムから「……着陸体勢に入った。……ベルトの確認と、最期のキスを忘れずに済ませてくれ。……無事着陸したら賞賛を許可する」と冷やかし半分のアナウンスが入り、思わず監視カメラの所在を確認してしまう。……悪い冗談だが、着陸への緊張は霧散した。
「カズン、平気か?」
「はい、たぶん、平気……です……ッ!?」
慣れた飛行要塞からの発進と違い、地上への着陸は数える程もないカズンにとって苦行のようなものなのだろう……と、フルフルと肩を揺らして堪えていたカズンを見つつ、てっきり恐怖から解放されて安堵したのかと思ったのだが……
……いや、どうやら浮遊感が楽しかったらしく、見せたのは満面の笑みだった。
着陸前の急減速からの浮遊感とズシン……という衝撃、そして震動が続き……最後に流れる景色が次第にゆっくりと通過するようになり、
「……到着した。感謝のハグは何時でも大歓迎だ。……一尉のはお断りだが」
機長の軽口を聞き流しながらベルトに悪戦苦闘中のカズンを手助けする。実際、彼の飛行は快適で、噂で聞いた元国際線パイロットだったとの話はあながち嘘ではなさそうだ。
狭いキャビンから操縦席の後ろを抜ける時、珍しくカズンが機長の横へと走り、
「機長さん、ありがとうございました! 楽しかった! です!!」
そう言いながら座席越しに機長の頬にキスをして、足早に機外へ続くドアへと掛けていった。
「……珍しいこともあるもんだなぁ……シルヴィって、あんなに外向的なのか?」
顎をさすりながら、カズンの後ろ姿を見詰めつつ機長が俺に尋ねるが、
「……さぁ、ね。比較対象になるシルヴィ自体が、余り居ないからな。カズンはかなり外向的かもしれないが。」
カズン以外は二人しか飛行要塞に所属していない為、そう返事するしかなかった。まぁ、エニグマはともかくドロシーは人見知りしないと思うが。