⑨戦闘機教習
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複座式の戦闘機は珍しくはないが、後部座席から操縦や射撃管制も行えるのは、俺達の【紫電】ならではの機能だろう。
格納庫から朝日を浴びながら大気の只中へゆっくりと進み、やがて眼下に広がるオレンジ色の雲を眺めつつ発進準備を進めていく。
「……各計器異常無し……感覚素子反応問題無し……連動誤差許容範囲内……ま、いつも通りだな……菊地一尉、チンイェン搭乗員……スタンバイOK」
飛龍・改二の後方に突き出された収納アームに吊り下げられた【紫電】は、折り畳んだ翼を伸ばしつつ収納アームから切り離されて、大空へと落とされるだけだ。
今こうして簡単な書類上の手続きだけでチンイェンは習熟訓練を受けているが、俺が防衛軍に参加してからは一度も無かった。それだけでも三カ国協同作戦の影響力は十分有った、と言うことか。
「自由落下開始…………チンイェン、何時ものように飛んでみろ」
俺が訓練開始を促すと、チンイェンはHMD上の表示を視野選択でクリックし、機体を加速させる。
……言葉にすればそれだけだが、膨大な推進力を得た機体は僅かな時間でマッハ手前まで加速し、チンイェンの全身に途方もない力……荷重が加わり、その小さな身体が小刻みに震えているのが見てとれた。
【……はぁ、はぁ……菊地一尉、こ、この挙動……ぐうッ!!】
荒く息継ぎをしながら強烈な加速に耐えるチンイェンの声は、聞きようによっては微妙に艶やかにも聞こえてしまう。もちろん俺には今の加速も日常に過ぎず、必死の形相で全身に掛かる荷重に抗うその姿も他人事に過ぎない。
「……コイツの本当の加速はこの程度じゃないぞ……HMD上に仮想飛竜種が見えるか? あいつらは亜音速域でも平気で急転換して後方に回り込むぞ」
【はぁ……はぁ……そんなのは、し、知ってる……わ……んぐっ!!】
そう、俺達の戦闘機は圧倒的な加速力を武器にして、確かに飛竜種共の駆逐には成功している。だが、未だに奴等を根絶出来ない大きな理由の一つは奴等が全種類のレーダーに映らない、と言うことだ。
レーダーで奴等を捕捉出来ない理由は単純だ。奴等は金属では出来ていない。当然と言えばそうなのだが……にも関わらず生身のままで飛翔速度はマッハに迫り、地上から対空砲で狙撃してもほぼ当たらない。空域全体を破片と弾頭で埋め尽くす、濃密な弾幕を張れば可能かもしれないが、それはあまりにも非効率過ぎる。
結果的に同高度まで飛翔して撃ち落とすしか方法がないのだが、奴等はレーダーに映らない、と言うことは誘導兵器が無効なのだ。
赤外線ホーミング? ……変温動物らしい連中は、飛翔時の体表温度は大気と全く同じかそれより低い位だ。現在、追尾出来る誘導兵器はカメラ搭載型位だが、そんな鈍足な飛翔兵器では歯が立たない程の速度、そして機動性を持ち合わせた厄介な連中だ。
……そしてもう一つの理由は……俺は詳しいことは理解出来ないが、カズン達シルヴィ曰く、飛竜種も風の加護を受けているから恐るべき速度で飛翔出来る、と言うことだ。
それはそうだろう……亜音速域を酸素マスク無しで飛び、しかも空気抵抗の強い剥き出しの肉体のみ……普通に考えれば全てが無茶苦茶だ。翼の端から空気の摩擦熱で白い雲を引きながら飛ぶなんて通常の生物なら不可能な筈なのに、連中は当たり前のように飛べるのだ。況してや航空力学を無視した不可思議な制御で方向転換を繰り返す姿は、有翼飛翔の常識を遥かに超える存在だ。
【……き、菊地一尉……ターゲット……ほ、捕捉……したッ!?……はぅっ!!】
照準距離に入りはしたが、まだ仮想ターゲットとの距離は離れている。チンイェンは射程範囲内に入ったグリーンから、必中距離を示すレッドにするために瞳孔入力(HMDのカメラにより瞳孔の収縮等から加速を選択出来る)した瞬間、それまでの加速感は通常時のリミッターオン状態だったことを思い知り、チンイェンから悲痛な叫びが上がる。
「……無理はしなくていいぞ……この機体はあくまで義体用だ。生身の人間が扱える代物じゃない」
【……はぁ、はぁ……た、ターゲット、……ロック……オン……ッ!!】
彼女は何とかトリガーを引いて、ターゲットを撃ち落とそうとしたが、必中距離を一瞬で飛び越して仮想飛竜種の上方まで行き過ぎてしまい、慌てて速度を落とす。
【ひぁっ!?……ま、真後ろだとっ!?……うぅ……駄目だ……引き離せないっ!】
あっという間にマッハの領域を離脱した【紫電】は、後方に位置した飛竜種から強烈な熱線を叩き込まれ、《飛行不能・パイロット死亡》の無慈悲な表示で習熟訓練は終了した。
【……悔しい……確かにこの機体は優れているが……操縦が難し過ぎるわ……】
「まぁ、そう落ち込むなって。生身の身体では速度調節をHMDカメラのみに頼らざるを得ないし、それも人間側が機械に反復学習させて、やっとこ本領を発揮出来るんだ。本気で使いこなすには乗って操って慣らすしかないさ」
【慣らすって、だいたいどの程度……必要?】
「……まぁ、実際に飛行しない状態で模擬運用に徹して三百時間……その後、実際に飛行して方向転換や加速時の入力誤差を学習させる為に……三百時間……ってとこだな」
【さ、三百時間……!?……ち、ちなみに全身義体の場合は!?】
「ふむ……俺は三十時間ってとこだ。三日程で終わったよ」
その言葉を聞いたチンイェンは、黙り込み無言のまま飛龍改二へと帰還した。
【おかえり! チンイェン! イチイ!!】
【紫電】から降りた俺とチンイェンを、整備場の端からカズンが出迎える。空域偵察の無い非番の時は、いつも少し大きめの作業着姿だが、今日も変わらぬ格好だ。ま、何を着ていようと目立つ奴だが。
【……ありがとう、カズンさん……キクチさん、報告書は後で送ります】
チンイェンは飛行訓練がだいぶ堪えたのか、疲れたように弱々しく微笑みながらそう言うと、自分の部屋がある区画へとゆっくり歩いていった。