route・零【とある航空交戦録】
(……はぁ、はぁ、はぁ……)
ヘルメットの中で、自分の呼吸音が反響し頭がくらくらする。長時間続いている飛竜種との交戦で、磨り減った集中力が音を立てて流れ出て、口から漏れていくようだ。
(……まただっ! くそ……っ!?)
背後に回ったサラマンダーを振り切ろうとスロットルを開け、機速を上げた瞬間、元居た場所を紫色の光が通り抜け、大気との摩擦が生じたのか細かい稲妻を引きながら視界の隅へと消えていった。
(追い込まれてるのか……いや、まだまだ……やれる!!)
ただ、運が良かったのか、第六感で避けたのかは判らない。何度も背後からのブレスを避け続け、その度に危うく掠めて黒い焦げ跡を増やす程の接近戦を繰り広げてきたが、それもいつまでも続けられる訳も無い。
握り締めた操縦桿のレバーに指を掛けたまま、いつでもガトリングガンを発射出来るように掌だけで握りつつ、背後をミラーで確認しながらの単独飛行……だが、周囲を見回しても友軍機の姿は見当たらず、万が一包囲されれば……
【……遅れて済まない。只今到着した……こちらはパーソナル・ネーム《紫電》だ。支援を開始する……】
突如、無線機から声が響き、聞き慣れないパイロットの言葉と共に迫っていた筈のサラマンダー達が反転し、自分が取り残された事に気付くまで時間が掛かってしまった。
【……そうそう、こっちの方が活きがいいぜ? 聞き分けの良い奴等は……大好きだ】
声の主は面白そうにそう言うと、こちらに向かって語り掛けてきた。
【……こちらは防衛軍・航空LARPの菊地一尉……残念だが、君以外の遼機は……残っていなかった……】
その言葉を聞いて、一人だけ生き残ってしまった事への落胆と共に、死の恐怖から解放されて張り詰めていた緊張の糸が解けかけたが、気を取り直して答える。
【……了解しました……で、菊地一尉は今から……何を……】
と、そこまで話しながら不意に疑問が生じた。いや、そうじゃない……あれだけ飛び回っていたサラマンダーは、一体何処に消えたんだ?
【……ん? ああ……そうだな。今からもう少し……強目に消毒する】
こちらの質問に、曖昧な表現で答える菊地一尉だったが……そう言えば、LARPと呼称する部隊は、噂に聞いた【シルヴィとの混成航空部隊】だった気がする。不思議な力で飛竜種と対等に渡り合うシルヴィと、彼女達を戦闘機に乗せて共に戦う凄腕のパイロット……しかも、生身の身体では耐え切れない程の強大な加速を誇る複座式戦闘機を手足のように扱う、身体強化された者達の集団だと……。
【……ああ、それでいこう。よし、任せた……】
と、菊地一尉は誰かと機内で声を掛け合いながら、続けてこちらに向かって指示を出す。
【……よし、そちらはそのまま同じ速度で前進していってくれ。俺が合図したら《フレア》を撒け。それに反応した連中を叩き潰す】
一瞬、言われた事を理解するまで時間が掛かったが、何とか意味を理解してサイドボードのスイッチに手を掛け、合図を待った。
【……今だ、《フレア》を飛ばせ!!】
言われた瞬間、サイドボードから突き出たスイッチを押し上げて、フレアを放出する。
……カシャッ、と乾いた音を伴いながら射出孔が開き、続けてカラララ……と、機体の中から球体が転がる音が鳴り響き、フレアが外に向かって放出される。
機体から放たれた球形のフレアはシンプルな構造で、推進力も持たず大気中に飛び出すと自動的にスイッチが起動し、一定の時間が経過すると起爆する。つまり、破壊力の無い爆薬みたいなものだ。
しかし、フレアは起爆する瞬間に派手な光と熱量を放射し、視覚以外の熱量にも敏感に反応する飛竜種達の注意を惹き付け、僅かの間だが囮の代わりにもなる。
案の定、機体から飛び出した数個のフレアが起爆した瞬間、遮る物一つ無い大空の何処から湧いてきたのか、十頭近いサラマンダーが死角から飛び出すと、新たな獲物と勘違いしたのか我先にと殺到し、奪い合うように襲い掛かった。
【……よし……今だカズン!! 一番デカイ奴を食らわせてやれっ!!】
菊地一尉が叫んだ瞬間、後方で強大な質量の膨張を感じ取ると共に、後方視界を補うバックカメラの画像がモヤで霞み、一瞬で見えなくなった。
(……あれが、シルヴィが操る【魔導】って奴か……)
今しがた起きた出来事を把握しようと眼を凝らしてみたが、真っ白い靄が晴れた後、空に飛び交っていたサラマンダーは一匹も残っていなかった。
【……おい、大丈夫か?】
無線が発する音声で我に返ると、自機の直ぐ横に巨大な黒い戦闘機が並びながら飛行し、菊地一尉と名乗っていたパイロットが自分に向かって呼び掛けていた。
【……あ、はい……失礼しました、こちらの身体及び機体に問題は有りません】
無線を通じて無事を伝えると、相手はキャノピー越しに手を振って答えてから、
【そうか、なら良いが……空戦開始から四十五分経過している。そちらの燃料は余り残っていないだろ? 先に降りていいぞ】
彼にそう言われて自機の燃料計を確認すると、デジタル表記された燃料の数値は残り僅かだった。しかし……混戦の最中、向こうがこちらの機動を確認するようなアクセス記録も存在していない。つまり……純粋に【各機を見ながら】確認していた、と言うのか?
先行して着陸を済ませると、後方から威圧的な機体がゆっくりと降下し、滑走路へと着陸する。
各タイヤから白い煙を噴きながらタッチダウンした機体は、次第に速度を落としこちらへと近付いてきた。
「おい、宮一尉!! ボーッとしてないでブレーキを解け!!」
解放したままのキャノピーの隙間から地上要員の怒鳴り声が響き、慌ててレバーを操作して機体のタイヤをフリーにすると、移動用車両に連結された自機がゆっくりと動き出し、掩体壕へと牽かれていった。
(……運が、良かっただけか……)
部隊で唯一生き残り、寒々とした気分で機体から降りる。そのまま歩いて報告をする為、待機所の扉を開けて中へと入ったが、疲れが出たのか目についたベンチに腰掛け、そのまま項垂れて座り込んでしまった。
そうして、どれだけの時間が過ぎたのか。一瞬だけ微睡んでいたのか、それとも気付かぬ内に眠っていたのか。判然としないまま、顔を上げた瞬間、耳慣れない音に気付いた。
……カツン、カツン、カツン……
硬く鋭利な何かで磨き上げられた床の上を突くような、乾いた音を立てながら誰かがこちらへと近付いてくる。
「……お、さっきのパイロットか?」
声を掛けられて顔を上げると、そこには無機質な金属で組み合わされた構造体の頭部を載せた、全身義体の兵士が居た。
「……え、ああ……はい、自分だと、思います……」
その兵士は感情の欠片も見当たらない鳥の頭蓋骨に似た頭部を傾けて、左右二対の視覚機器のピントを合わせながら、
「ふーむ……落ち込んでたのか? そりゃ悪かったなあ……ま、生き残るのも才能のうちだぞ。胸を張っていいんだぜ?」
意外に砕けた口調でそう言うと、背後に振り向いてから、
「あー、判った判ったって……カズン、先に食堂に行ってていいぞ」
その大きな身体の陰に隠れて見えなかった誰かに語り掛けた。すると、彼の脇からひょこっと小柄な女の子が顔を覗かせて、こちらと兵士の顔を交互に見交わしてから、聞き取れない速さで何かを呟いた。
「んー、俺もそう思ったんだがな……でも、人生の先輩として何か実になるような事を……へいへい、判った判ったよ……」
見た目は恐ろしげな兵士だったが、女の子に向かって穏やかに話しつつ、顎の辺りを指先で掻きながらこちらに向き直り、
「ま、元気出しなって。生きてりゃまた次があるさ」
そう手短に励ますと、先に立って走り去っていった女の子の後を追いながら、
「……奴ら、飛竜種を根絶やしにするまで……生き残るんだ」
ボソリ、と呟いて……廊下の曲り角へと歩いていった。