ブラック企業忍法帖
全消灯し、ブラインドも閉ざされたオフィス。
明度を下げたモニターだけがぼんやり光り、そこに蠢く社員たちを照らしていた。
社外には深夜残業などないホワイト企業のように偽り、俺たちはひっそりと闇に生きている。
労基法を超えた先に、俺たちブラックリーマンはいるのだ。
「仮眠……完了」
主任のデスクの下から低い声が響く。
床での15分の睡眠で6時間分の労働体力を回復する。
ブラック企業忍法・土遁の術だ。
のそりと巨体を椅子に乗せ、主任はゲッゲと笑った。
「タイムカードは切ったか?」
「ええ、とっくに」
俺は栄養ドリンクのキャップを片手で回しながら答える。
18時と同時に、俺がここにいる全員分のタイムカードを「退勤」で切った。
分身の術だ。
「よぉし。今夜も思う存分サビ残できるぞぉ」
ねっとりと唇を舐め、主任の太い指がキーボードを叩き出す。
同時に、引きつった独特の笑い声が響き、首に下げたライトを光らせた部長の姿が背後に浮かぶ。
「その調子だ。闇に生きる子らよ。無償で富を生み続けるのだ……」
今日は娘の誕生日なのでお先に失礼、と部長は退勤する。
完ぺきに闇に紛れる木遁の術。背すじが冷える思いだ。ブラック企業の幹部たるもの、部下の監視にあれぐらいのスキルは使えないとな。
俺もこの会社で数々のスキルを得てきた。
給湯室で髪を洗う水遁の術。
会社の愚痴をつぶやくアカウントを見つけたら即炎上させる火遁の術。
ストレスチェックシートに模範的な回答例を書き写す空蝉の術。
上司からの信頼も厚く、そろそろステージを上げて地獄の中間管理職にならないかと誘われているところだ。
俺たちブラックリーマンは、忠誠と結束によって24時間働き続ける戦士。
走り続けるのみだ。この果てしない労働の人生を。
「あの……」
新人のブラックOLがおずおずと手を挙げる。
「私、今月で会社辞めます」
「はあ!? 抜けるだと!?」
「それでもブラック社会人か!」
「どうやって食べていくつもりだよ!」
彼女は、自分のスマホを闇に浮かび上がらせた。
「転職アプリに登録したら、普通にここより条件のいい会社が見つかりました」
「なにそれ、ガチの忍法じゃね!?」
「俺もやろう!」
「こんな会社すぐ辞めたるわ!」
主任はキーボードを枕にいびきをかき始め、俺も社員証をくるくる回して投げ飛ばし、転職アプリをインストールしつつ「退職届 テンプレ」でぐぐる。
目覚めよ、闇に生きる者たち。
まずは無料の会員登録からだ。