4話 聖女
善は急げとばかりに、カムイは目的地へ向かうことにした。
ローザに別れを告げ、一人旅立つ予定であったが⋯⋯。
王都の外へと向かう道すがら、別れるはずのローザが横を歩いている。
わざわざ門の所まで見送りに来るつもりだろうか? とカムイが訝しげに彼女を見ると、視線がぶつかるや否や、ローザは言い放った。
「悪いことは言わないわ、カミィ。他の所ならともかく、『深淵の森』だけはやめておきなさい、とことんアンタに向かない場所よ」
「ほう? 確かに強力なモンスターが跋扈する難所だとは聞いているが、こう見えて無手であってもそこらのモンスターには遅れを取らんぞ。戦神流については剣技だけでなく、打撃、組打ちにおいても習熟してある」
「よーく知ってるわよ。アンタ初めてあったとき、私の腕をへし折ろうとしたじゃない」
「それはお主が、俺の懐をまさぐろうとしたからであろう」
「噂通りなのか、実力を見せてもらおうと思ったのよ。私は自分の目で見たものしか信じないの⋯⋯って、そんな話じゃないわ。アンタが剣を持ってなくても強いなんて十分知ってるわ、そういうことじゃないの」
「じゃあ何をもって、俺に向かないなどと?」
どうやら自覚の薄いらしいカムイの言葉に、ローザは眉間を揉むような仕草のあと、質問した。
「一つ質問だけど、アンタ、どこに向かうんだっけ?」
「深淵の森だ。だからまず、街の外へと向かっているだろう」
予想通りの返事だったのか、ローザは「ふーっ」とため息をついたあとで、カムイへと告げた。
「アンタが向かっているのは、東門。深淵の森に向かうなら、西門から出ないとめちゃくちゃ遠回りよ」
そう、カムイは極度の方向音痴だった。
「少しここで待っていなさい、勝手にどっかいったら一生恨むわよ」
と、ローザに脅迫めいた待機を指示され、仕方なくカムイが街中で手持無沙汰にしていると、しばらくして住民のざわめきを耳にした。
カムイがふと、ざわめきの中心へと視線をやると、白い装束を来た集団がこちらへと向かって来ている。
(これはいかん)
とっさに建物の物陰へと身を潜める。
集団はこちらへと接近したことで、その輪郭をはっきりとさせた。
十名ほどの集団だ、そのうちの一人はよく見知った顔だ。
「聖女様! 是非こちらにお顔をお見せください!」
「ああ、聖女様こちらにも!」
人影の間から盗み見ると、住人からの歓声に、フィアナは小さく手を振りながら笑顔で応じている。
(聖女殿⋯⋯)
「二度と顔を見ることはないだろう」と思っていた相手。
それを旅立ちの前に見ることができた。
(これも、先ほどの賭けと同じく、天の配剤だろうか)
ふとカムイが空を見上げると──先ほどまで雲に覆われていた空が、今は不思議と晴れていた。
そして、また再びフィアナの姿を視線で追おうとした時──フィアナがこちらに振り向こうとしている気配を捉える。
(いかん)
さっとその場にしゃがみ込んだ。
そのあとで、ふと気付く。
(隠れる必要など無かっただろうに⋯⋯先ほどのローザとのやり取りで、過敏になっているのだろうか)
そのまま、集団が通り過ぎるのを待った。
──────────────
(あれ、今の⋯⋯カムイ様?)
人々から掛けられる声に手を振って応じながら、フィアナは視界の隅にカムイの姿を捉えたような気がした。
引っ張られるように、何度も振り返りながらそちらを見ていると
「聖女様、どうされました?」
と、同行者の一人、リリシュナが心配気に声を掛けてきた。
「いえ、何でもありません、ちょっと知っている方がいらしたような気がして⋯⋯」
「あ、もしかして王子様の幻でもお見かけになったのですか? 気さくな方とはいえ、この時間に城下にいらっしゃることはないと思いますよ」
「もう、違います」
「いえいえ聖女様。街中にて、そこにいらっしゃるはずのない殿方の姿を探すことなど、乙女なら誰でも通る道です。恥ずかしがることなど無いのですよ?」
「もう、違うと言っています。それに私は別に、王子様の事はなんとも思っておりません」
フィアナがピシャリと否定すると、リリシュナは眉根を寄せつつ、説得するように言ってきた。
「無理強いはできませんが⋯⋯我らが天神教を広く布教するには、王族の助力は欠かせません。フィアナ様と王子様がご成婚となれば、天神教は益々の繁栄が約束されたようなもの。お気持ちと信仰心、天秤にかけるように申し上げるのは憚られますが、是非ご一考を」
「⋯⋯わかっています」
リリシュナの言うことは良くわかる。
『聖女』なる身に余る立場を賜っている以上、天神教の布教が最優先であり、王子との婚姻はその中でも、もっとも有効な手段だ。
だが、彼女は迷っていた。
愛を説く天神教の聖女たる自分が、自らの気持ちを裏切り、そのような方法で教えを広めるのが、本当に神の御心に沿っているのか、と。
リリシュナの視線から、後ろめたい気持ちを隠しつつ顔を逸らした──と。
前方から、見慣れた人物が歩いて来るのが目に入った。
ローザだ。
街を歩くにしては、やや荷物が多い。
背中には、一緒に旅をしていた頃に持ち歩いていた背嚢をしょっていた。
見たところ一人だが、機嫌良さそうに、笑みをかみ殺したような、どこか心ここにあらずといった様子──何かが楽しみで、ウキウキとしているように見えた。