2話 ローザ
先客との一悶着を終えたのち、黒衣の男は腰に垂らした鞘から剣を抜いた。
鞘から姿を現したのは、雲の姿が写り込むほどに研がれ、磨き抜かれた剣身。
刀剣の鑑定に一家言ある人物なら、まずその業物の素晴らしさを肌で感じ、だからこそ「惜しい」と感じるだろう。
なぜなら彼が手にする剣は、その見事な剣身を、半ばから先で失っていた。
男は、それまでの眼光の鋭さが和らぎ、まるで我が子を慈しむような眼差しで愛剣を眺めた。
「お主のおかげで、我が悲願しかと成就したぞ、礼を申す」
男は、宿願を叶えてくれた剣に感謝を述べ、先達により積み上げられた剣の山、その麓にそっと置いた。
しばらく手を合わせ黙祷を捧げたのち、吹っ切ったような表情で呟いた。
「さて。ここにいては様々な事に、いつまでも名残が尽きぬ。どこへ向かうとしようか」
男が、今後の身の振り方と、目的地について思案を始めた時だった。
「いたいた! カミィ、カミィー!」
聞き慣れた甲高い声を耳にして、黒ずくめの男は振り向いた。
その視線の先には、長く、美しい金髪を振り乱しながら駆けてくる女がいる。
男にとっては馴染みの顔で、やや呆れたような視線を女へと投げかけた。
絶世と表現して余りあるほどの美女だが、少し世間ずれしたような瞳の持ち主で、やや胸元が開いた、扇状的な軽鎧を身にまとっている。
彼女からは、自分が男の目にどう映るのか、そしてどうすれば、それを利用できるのかといった、計算高さを感じさせる。
やがて女がそばに来て立ち止まったの見て、カミィと呼ばれた男は、表情同様に呆れたような声色で注意を促した。
「ローザ、俺の名は『カミィ』ではなく『カムイ』だと再三言っているだろう」
カムイの苦言に、ローザと呼ばれた女は悪びれる様子も見せずに返答した。
「呼びにくいのよ、東方の名は。わかるんだからいいでしょう?」
「それにしても三年も直らないとは、全くお主というやつは⋯⋯で、何の用だ?」
問いには答えず、ローザは剣塚にある、先ほど加わったばかりの彼の剣にちらりと視線を走らせたあと、カムイへと反対に質問した。
「アンタ⋯⋯旅立っちまうつもり?」
「ほう⋯⋯流石の勘働きだな。しかしなぜわかった?」
「城の兵士から、アンタがここに向かったって聞いてさ。前に、お酒を飲んでいた時にちらっと言ってたでしょう? 戦神本院に『剣塚』って場所があって、戦神流の剣士が、そこに使い終わった剣を捧げるって話」
「お主、よく憶えてたな」
感心しながら言ったのは、カムイ自体、そんな話を彼女にしたことを忘れていたからだ。
「たまたまよ、たまたま。そんな場所があるのなら、転がってる剣を持ち去って、材料として鍛冶屋にでも売り払って、酒代にしようと思っていたのよ。戦神様の祟りとやらから、目を盗む算段がついたら、ね」
ローザは肩を竦めながら謙遜したように言っているが、斥候として罠の解除や情報収集を担い、些細な事も忘れないその記憶力に、カムイを含め魔王討伐に赴いた仲間たちは随分と助けられた。
お互い深く酔っていた酒の席で、何となく口にした事をローザが憶えていてくれたことが、カムイは嬉しかった。
「確かに魔王軍との戦いは終わったわ。でも、何で旅に出る必要があるの? 城に住み続ければ良いじゃない、アンタの功績なら⋯⋯」
「元より国王陛下に乞われたのは、魔王討伐まで王子を補佐して欲しい、とのことだったからな。既に目的は果たし、そこに置いた剣と同様に、俺も役目を終えたのだ。いつまでも好意に甘んじて、余所者が城に逗留して無駄飯を食う訳にもいかん」
「タダ飯が嫌なら、兵士に剣技でも教えたら? アンタなら引く手は数多でしょう?」
「戦神流には『技の伝授にて金を稼いではならぬ』という流派の掟がある。それに、そもそも少し学んだ程度で扱えるほど戦神流は浅くはない。俺とてそこに置いた剣同様、登るべき山の裾野にようやく足を掛けた程度だ」
カムイの言葉に、ローザは深く溜め息を吐いた。
「堅物のアンタが言いそうなことね、まぁアンタだし、そんなとこだろうと思ったけど」
「それでわざわざ、別れの挨拶に来てくれたのか」
「違うわ、引き止めにきたのよ」
「⋯⋯引き止めに? ふっ、賭け事のカモがどこかへ飛び去らないように、か?」
ローザはよく、カムイを賭け事に誘った。
といっても、小銭やその日の酒代といった些細なことであったが、カムイはその都度彼女の誘いに応じるものの、終ぞ一度も勝てることがなかった。
「ふふ、それもあるわ。だけどね、アンタ挨拶もなく、一人でどっか行こうとしてるみたいだけど、そりゃちょっと水臭過ぎるんじゃない? 私や王子、堅物のデニールの奴はともかく、フィアナには挨拶するべきなんじゃないの?」
「聖女どの、か」
呟きながらカムイが目を閉じると、瞼の裏に、想い人であるフィアナの姿がありありと浮かぶ。
彼女に対し、なんの未練もないと言えば嘘になる。
だからこそ、その気持ちを断ち切る為にも、早く出発しようと思っていたのだ。
カムイの心中を察したように、ローザが言ってくる。
「そうよ。彼女が王子の求婚を断り続けていることは知っているでしょう? あれはアンタの言葉を待っているのよ? それに最近王子がアナタによそよそしいのも、それが原因よ」
「そんな筈がないだろう。俺のような剣しか能がない者に、聡明な彼女が惹かれるとは思えんし、王子もそのような狭量な方ではない。何よりも、王子と聖女、実に似合いの二人だ」
「そうね、端から見てもお似合いの二人だわ、アンタなんかよりよっぽどね。私が吟遊詩人なら、毎晩のように二人のことを歌って小銭を稼ぐでしょうね」
頷きながら、カムイの言葉を認めつつ、ローザはさらに言葉を続けた。
「だとしても、そんなのはしょせん周りの評価でしかないわ。大事なのはお互いの気持ちでしょう?」
「王子、聖女となれば重要な立場だ、お互いの気持ちだけとはいかんだろう? そこに一剣士でしかない俺が、厚顔をぶら下げて割り込む気にはなれぬ。剣を失った今では、剣士ですらないのかもしれんが」
「剣はまた買えばいいでしょう? アンタならどんな剣でも⋯⋯」
「それはできん、これを命懸けで打ったダンダルフ殿との約束、お主も聞いていたであろう?」
もちろんローザも憶えている。
生来の鍛冶職人と言われるドワーフ族、その中でも随一の職人だった老鍛冶師ダンダルフが、最高の素材で、しかも余命を懸けて鍛えたのがこの剣だ。
ただ彼の遺言は、半分冗談だと思っている。
「『これから先は、それよりショボい剣持つんじゃねぇぞ?』ってやつ? あんなの死に際の冗談じゃない、約束でもなんでもないわよ」
「仮に冗談であっても、俺は承諾したのだ。それに俺自身、今更この剣より劣るものを持つ気にはなれん」
頑ななカムイに、ローザは再び溜め息をついた。
フィアナの事だけではない、ローザはカムイの、剣の腕前も惜しんだ。
そのため今日に至るまで、情報網を駆使して代わりとなる剣を探した。
しかし、不世出の鍛冶師が、言葉通り命懸けで鍛えた名剣と比肩するものなど、ローザの広い情報網をもってしても見つからなかった。
つまり彼の言っていることは、ほとんど剣士としての引退宣言に等しい。
全く、ダンダルフも厄介な遺言を残したものだ、と今は亡き友人に恨み言が募る。
元より説得は難しいと思っていたのか、ローザは
「いいわ、どうあっても何も譲る気はないのね? なら、ここは一つ、賭けといこうじゃない」
と、提案してきた。
「ふむ、お主と最後の賭けということか」
「あのね、今生の別れみたいに言わないで、いちいち大袈裟ね! とりあえず、最後かどうかは置いといて、賭けよ、賭け」
「受ける前に聞いておくが、ちなみに何を賭けるんだ?」
「もしアンタが勝ったらもう何も言わないわ。だけど、私が勝ったら、気に食わなくても新しい剣を用意して、フィアナを連れていきなさい」
「剣はともかく、連れて行く云々は相手の気持ちがある、勝手には決められん」
「じゃあ、俺に付いてこいと伝えるだけでもいいわ。そしたらきっと、彼女はアンタに何処までも付いていくわ」
「そうは思えんが⋯⋯わかった。伝えるだけなら構わぬだろう。では、賭けの内容は?」
カムイの問いに、ローザは腕を組み、しばし思案する様子を見せたのち、少し離れた場所に見える王城を、よく手入れされた爪を見せつけるかのように指で示した。