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まどうひと 1



 翌日は、ジェイと顔をあわせる機会は一度もなかった。客を滞在中にもてなすのは主人の役割なのだが、その役目を放棄してでも、ミリアンネと会いたくなかったのだろう。

 さて、夜となり、明日の出立を切り出そうとしているところに、ロジエンヌが体調を崩して寝台から離れられないと言われた。

 義理の妹が寝込んでいる間に出立するのも、憚られる。

 見舞いすら断られたが、一日、滞在を延ばすことにした。


 ところが翌朝も、やはり体調がすぐれないと同じ内容の伝言があり。

 やれやれと言わんばかりのレーヌを連れて、ミリアンネはロジエンヌが滞在している部屋へと、見舞いに向かった。事前に正式に申し込めば、また体良く断られてしまうことがわかっていたので、直接。

 強引ではあるが、レーヌがうまく屋敷の上級使用人を捕まえて、部屋の場所だけを教えてもらった。客から直接要望されれば、断ることはできない。しぶったものの、見舞いのためであり、また、ミリアンネがすでに主家の当主奥方であることを柔らかく説明して、承知してもらったとは、レーヌの談だ。

 案内されたとおりの部屋へ赴けば、ちょうど扉が内側から開き、出てきたアメリが、驚いた顔をした。

 こうまで感情が現れた顔を見たのは、初めてかもしれない。


「これは、ミリアンネ様」


 ひきつるアメリの背の奥で、ばたばたと気配が慌ただしくなった。


「これはアメリ様。ちょうどようございました。ミリアンネ様が、ロジエンヌ様のお見舞いに参られました。……寝台に起き上がることもできないと伺った昨日よりは、回復なさったようですね」

「え、ええ。そうですね。よかったですわ」


 レーヌの言及にアメリはすぐさま、整った微笑みを浮かべてみせたのは、さすがだ。

 やはり、仮病だったらしい。見舞いが来たと知って、慌てて寝台へ駆け込んだ、というところだろうか。相変わらず、目的がよめない。そろそろ、他に深遠な理由などない、兄を取られそうな妹の単純ながらタチの悪い嫌がらせか、と思ってしまっている。

 腹立たしくもあるが、本当に寝込んでいる可能性も考えていたので、ミリアンネは少なからずほっとした。

 

「ロジエンヌ様、少しだけ、お顔を拝見してもよろしいですか?」


 部屋の外から直接問えば、知らん顔をしているアメリの向こうで躊躇った挙句、小さな声で、いいわ、と答えがあった。

 部屋は、客間のようだ。壁紙や家具の全体の色調は違えど、質はミリアンネの滞在する部屋と同等に見える。

 その寝台にかしこまって座るロジエンヌは、部屋着を着て、いささかわざとらしく咳をしていたが。あっと叫んで、枕元のそれを、掛け布の中に押し込んだ。

 ——むしろ、何も動かなければ、特に目を止めることもなかったのに。

 だれもがロジエンヌに注目し、しん、と静まった部屋で、何事もなかったように振る舞うのはなかなか難しい。


「ロジィ様は、いつまでもそんなものを抱えてらっしゃる」


 意外に冷たい声を出したのは、アメリだった。


「い、いいじゃない。昔からずうっと一緒なんだから」

「そうは言いますが、御歳おいくつにおなりですか? もう来年には、デビューなさるかという歳で、お人形を寝台に入れるなんて」

「アメリは、侍女長みたいね!」

「お人形や、ままごと遊びは、小さな子供のものと決まっています」


 アメリの言葉には、揺らぎがない。

 ロジエンヌはむくれたが、ようやくミリアンネの存在を思い出したらしい。はっとして、ケホケホと咳き込んだ。


「お咳が出るんですか」

「そ、そうなの。だから、うつるから、近寄らない方がいいですわ」

「お気遣いありがとうございます。では、お体に触るといけませんので、すぐにお暇いたします。

 ……少ししか見えませんでしたけど、熊さんですか?」


 ぐっと、ロジエンヌは言葉に詰まったようだった。

 ぎゅっと、膨らんだ掛け布を上から押さえた。


「違うわ。兎よ。でも、耳がないの」

「耳が」

「取れちゃったの。あ、いえ、取れてしまいましたの。もう、古いから」

「そうなんですか」

「も、もうよいのです。アメリの言うとおり、いつまでも一緒にいられるものではないって、わかっています」

「寂しいでしょうね」

「寂しくなんか! 私も大人よ。さびしくなんか、ないです」

「違います、その、兎がですよ」


 何を言っているのかわかりません、とばかりに、ロジエンヌの口が、ぱかりと開いた。


「ずっと一緒にいたから、兎もきっと、寂しいでしょうね、と言ったのです」


 そうかも、とも、そんなことはない、とも、ロジエンヌは答えない。ただ、ぽかんとしている。

 仕方なく、ミリアンネは決めたことだけ、伝えることにした。


「ロジエンヌ様がご病気ですと後ろ髪を引かれる思いがしますので、出立を見合わせておりましたが、幸い拝見したところ、ひとまずはお元気そうなので、明朝、エルコートに向けて発ちたいと思います。素晴らしいおもてなしをいただきました。わざわざこちらにお誘いくださって、ありがとうございました。

 ——エルコートで改めて、クラーク様からご紹介いただくのを、楽しみにしております」


 はっと、ロジエンヌが顔を上げた。と思うと、アメリを見て、また俯いてしまった。

 ミリアンネはそのまま立ち上がり、依然冷たい顔をしたアメリにも歓待と湯殿の礼と、明朝の出立を改めて伝え、部屋へと戻ったのだった。




 結局最後までジェイと会わないまま、ミリアンネたちは出発した。

 天気はよく、風もない。時折遠くの草原で、葉が裏を見せて波を象っていたが、街道まで吹き付けることはなかった。

 旅程は順調。何事もなく、その日の夕刻には、目的地であるエルコートへとたどり着いた。

 当初の予定から遅れること二日。

 合計十二日間の旅路をやって来た花嫁を待っていたのは、しかし、夫クラークの不在の知らせだった。



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