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箱庭と精霊の欠片 すくうひと  作者: 日室千種


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帰還3

本日三話目の投稿です。帰還1、2からどうぞ

 休憩や馬の交換を挟みながら、かけ続けること一日と半。二度目の太陽が、東の空を駆け上がってふと息をついたころ、街道の先に黒々と立ちはだかる岩壁へとたどり着いた。果ての壁と呼ばれる断層だ。街道は、この大きな断層を越える唯一の道、巨大な岩盤を真っ二つに割る亀裂の底を行く細道へと繋がる。のし掛かるような岩の隙間を通り抜けるように上り、断崖の上へと出ると、視界が一気に開放され、風が草と土の匂いを巻き上げて吹きつけた。

 そして一行はようやく、再び緩やかに下る道の先に、セーヴィル辺境伯領の門都市、アンガスを見下ろした。

 遠目でも、灰色砂岩の隔壁と、同色の家々、小高い丘の上には鉄柵に囲われたジェイ・アコットの屋敷も見える。門を出入りする人々、街の外の畑、そしてはるかに広がる緑の草原にもぽつりぽつりと、人影。

 隔壁の外側に、簡易天幕がいくつか見えるのがやや見慣れない。あれはおそらく、辺境正規の軍だ。いつもは断崖を見渡せる位置にある砦に配置されているが、アンガス領主が留守の時などは、警備のために兵を町へ派遣することがあると聞いたことがある。


 以前は、夜闇に沈むあの町を見下ろしてから、王都へと急いだのだ。

 騎士たちが、帰ってきたな、と小突き合うことで、互いに労い合った。

 道中の町で少しずつ騎士を潜入させて、今同行するものはわずかに六人。その全員が、任務がまだこれから一山あるということを、よくわかっていた。

 町を見下ろす主君の目は、もはや、戦時の眼差しだ。あの木陰で話をした時背負っていた暗雲など、可愛らしいものだったと今は思う。

 道中、屋敷から次々にもたらされる緊急の通信が、どれほどその心を乱したのか、馬を追いすぎる主君を、馬を潰さぬようにと何度も諌め、抑えに抑えて走ってきた。

 奥方をご友人の子爵が訪ねて、エルコートの町に流れる不穏な噂に警戒を呼びかけられた報せを受けた時は、主君をからかう余地もあった。だが、その後の火事の知らせで全員が戦慄し、そしてつい数時間前に、ジェイ・アコット夫妻麾下の傭兵たちによる狼藉と、夫妻の失踪を知らされ、主君の顔から表情が抜け落ちた。

 主犯はアメリ・アコットであり、奥方の輿入れからこちら、侍女長である母親と共謀して奥方を苛み、あげく、奥方の箱庭とその材料をごっそりと盗み持ち去ったという。事態は、屋敷の管理やセーヴィル家の内政という段階を飛び越えた。それは、もはや、叛逆だ。

 ジェイがあくまでアメリに付くのであれば、一歩間違えれば内乱勃発と認定され、諸般の不利益が降りかかるだろう。だが、主君は躊躇うまい。セウスも、他の五人も、腹の底が煮えるほど、怒りを感じている。


「アンガスに着いたら、二手に分かれる。俺は館に出向きジェイの将軍位と領主補佐の身分を剥奪し、アンガス配置の辺境軍を指揮下に置く。セウスは塔に行き、領主補佐筆頭官の立場で、即座に狼煙を上げよ。

 ——叛逆あり。領境を封鎖、各家の代表には即座にエルコートに集まるように」

「黒、赤を続けて。その後一度消して、黄色。承知」


 アコット夫妻も傭兵どもも、箱庭を載せた馬車も、行方知れずらしい。来る道ではその痕跡も見当たらなかったので、すれ違ってはいないのだろう。その行方を見出し、箱庭を確保するまでは、主君は屋敷に帰らないつもりなのかもしれない。

 ふと、鳥の影が目の前を横切り、鋭さを和らげた青い目が空を振り仰いだ。広い、広い空を。随行する騎士一同が、思わず息を潜めて、見守った。誰を思い浮かべているのか、皆が悟ったからだ。

 王都へ向かったのも、王都で箱庭の名誉のために動き尽くした日々も、すべてがただ一人のためだった。主君と一緒に、戦時もかくやというほど働き続けていたひと月の間、ずっと、奥方が辺境の暖かな土地で健やかに守られていると信じていたのは、騎士たちも同じである。

 アメリ・アコットの真意は知らないが、主君の奥方は、辺境の奥方。主君が辺境を愛するように、奥方にも辺境を愛してもらわねばならない。ゆえに、辺境が主君に忠誠を誓うように、辺境の者は皆、奥方を愛しまねばならない。そのはずだ。

 鳥は、エルコートの方角へと飛んでいく。


「ああ、会いたいな」


 呟きはとても低く小さくて、一番側にいたセウスにさえ、聞こえないはずだった。

 ただ、たまたま、こぼれ落ちた呟きが、主君の胸ポケットあたりで跳ね返り、たくさんの海の泡のような柔らかなものに包まれて、ふんわり、ふんわり、飛んで広がってきたのだ。

 なぜだか、そんなふうに思った。

 囁きを拾って、その場にいた騎士たち全員がむず痒く悶絶し、そしてすぐに、意味もなく互いに小突きあい、押し合って、気合を入れた。


「さて、いっちょ、締めに入りましょうか!」


 まるで遠駆けに行くような気軽さで、装備を軽く確かめると、六つの人馬は、凄まじい勢いでアンガスへと駆け降りて行ったのだ。




ようやく、ふたりの時系列が同じになります…!

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