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とつぐひと 3



 一気に目の前に広がった、はるか続く緑の緩い丘から、王都とはまるで違う、少し乾いた匂いが押し寄せた。斜めに傾いた陽が丘に陰を作り、大地は波打つようだった。ところどころ、牛の黒い背や、働く人影、そしてゆったりと回る風車が、波間に漂っていた。

 それらを束の間眺めてから、御者の手を借りて、ゆっくりと降りる。貴婦人の靴は踵が細く、大雑把な石の舗装に足首がぐらつきかけたが、踏ん張って耐えた。


「ごきげんよう」


 扇はそのまま。広げたりして拒絶や不快を示すこともない。けれど、姿勢もそのまま。頭を下げたりはしない。

 いくら馬車で全ての会話を聞いていようと、直接の挨拶を受けてはいない。

 さあ、どなたがどういうご用件ですか、という基本の姿勢で始めることにしたのは、ミリアンネも緊張していたためだ。

 展開が読めない以上、ミリアンネが堂々と取れるのは、叩き込まれた貴族のマナーに従った行動だけとなる。


「これはミリアンネ・サリンガー侯爵令嬢様、アメリ・リエンと申します。こちらは、クラーク・セーヴィル辺境伯様の妹君、ロジエンヌ・セーヴィル様です」


 声から想像していたよりも、アメリは陽の光の似合う人だった。大柄で、凛とした立ち姿、意志の強そうな眉。朗らかに笑いそうな口元は、しかし、儀礼的に微笑んで、珍しい灰銀の目が、ひたと上からミリアンネを見つめていた。

 すぐに、目は伏せられて、アメリは腰を屈めて礼をとったが。


「ロジエンヌ・セーヴィルですわ」


 その横で、少し落ち着かなげに立つ少女には、確かにクラークの面影がある。クラークよりは明るい茶色の髪と青い目。ほんの少し鼻にそばかすが浮いているが、面立ちの整った愛らしい顔立ちをしていた。顔立ちに似合わず、表情は仏頂面と言っていい。その表情も、会ったばかりのクラークを思い出させた。

 無愛想な顔を見てほっとするなんて、おかしなものと自覚はあったが、それでも少し、息が深くできるようになった。

 

「初めまして、ロジエンヌ様、アメリ様。ミリアンネ・セーヴィル(・・・・・)です。もう十日余り前となりましたが、王都で正式に婚姻が認められましたので、セーヴィルの姓を名乗るのが正式かと。どうぞよろしくお願いいたします」


 ふと、数拍の沈黙。

 明らかに不満げなこの沈黙が、何を意味しているのか、ミリアンネは気づいてしまった。

 初手から相手の本心がわかったのは、良いことかどうか。

 けれど、相手がどう思おうと、ミリアンネの立場は変わらない。自分の立場の正当性を信じれば、相手の不満などこのまま呑み込んでしまおうと、最低限のことを言って、にっこりとして見せた。


「……ミリアンネ様、ロジエンヌ様は、長い旅路でのお疲れを、大変ご心配されています。ぜひ、当家にお立ち寄りくださいませ」


 アメリが、控えめな一歩を踏み出して、誘う。

 ミリアンネはますますにっこり微笑む。微笑みながら、ふと姉を思い出した。

 そうか、姉を真似ればいいのか。


「ありがとうございます、アメリ様。ロジエンヌ様のお気持ち、嬉しく存じます。せっかく、こうして不意打ちでお出迎えいただいたのですから、ぜひ、立ち寄らせていただきます。——ただ、旅程が延ばせない事情もございますので、滞在に必要な馬車一台を除いて、ほかの馬車は、クラーク様がお待ちのエルコートへ先行させます。そうすれば、ご心配をおかけしないで済みますもの」


 決まり。決定だ。

 これ以上考えるのはやめて、ウェイに扇で指示を出す。

 同時に目線を合わせれば、ウェイはさっと承諾のお辞儀をして、手配を始めた。みるみるうちにミリアンネの馬車の荷台に必要な荷が纏められ、そのほかの馬車は、先立って、またはミリアンネたちを追い越して、走り去った。

 護衛は半数が馬車とともに。ウェイと、レーヌ、ミリアンネの馬車の御者、そして護衛の残りとその騎馬だけが残ったのを、ロジエンヌはやや呆然として見ているようだった。


 その間隙を突くように、ウェイが、できましたら、と伺いを立てた。


「ミリアンネ様がジェイ・アコット様のお屋敷に入られましたら、大変お手数ですが、ロジエンヌ様、アメリ様のご署名入りで、事情を知らせるお手紙をご用意いただけますか。私が、騎馬にて一行を追いかけて、クラーク様にお届けいたします」

「えっ、手紙?」

「まあ、そのようなこと、我が家の使用人を走らせますわ」

「いえ、私はサリンガー侯爵から、この輿入れの道中の責任者として任命されましたので、花嫁がセーヴイル辺境伯様のもとに辿り着くまでは、職務として、いささかも気をぬくわけにはいきません。どうか、ご寛容ください」


 ウェイが腰を折るのに、ミリアンネも扇を広げて、うんうん、と頷いておく。

 ロジエンヌはアメリをしきりにちらちらと見上げていたが、アメリは、そうですか、と首肯し、まずはお屋敷へどうぞ、と先導することを申し出た。

 いさぎよいほどの、主人筋への無視ぶりだった。それも、教育ということなのかもしれないが。

 読みにくい関係だな、と感想をもって、気を抜いたところもあったかもしれない。


「ミリアンネ様は、馬には?」


 馬車への戻りがけに不意に問いかけられ、とっさに意味を掴み損ねた。


「馬に?」

「乗馬は、なさらないのでしょうか?」

「嗜み程度でしたら。……いえ」


 咄嗟に付け加えたのは、ロジエンヌが、小柄な体格を物ともせず、ひょいと大きな馬の背に跨ったのを見たからだった。

 嗜み程度、の基準が、大きく違うかもしれない。


「……一人で馬を走らせたことは、ございませんわ」

「そうですか」


 ほんの一瞬。

 さもあらん、と言わんばかりの目つきをされたと思ったが。

 失礼、とアメリも騎乗の人となったので、改めて馬車へと戻ることにした。


「辺境の地では、貴婦人教育に乗馬が必須だっていうのかしら」


 馬車の中で、つい愚痴めいてしまうのは、仕方ないと思う。

 レーヌはやや思案顔で、是であり否、と答えてくれた。


「こちらは長く隣国との緊張が続いていましたし、国と国との狭間、深い山の中に巣食う盗賊や人攫いたちや獣たちとの交戦が、国内では飛び抜けて多い地ですから。武が特に尊ばれるのだと、聞いております。貴婦人に戦うことまでは求めないでしょうが……、馬に乗れずば、いざというときに役に立たないと、そう考える人もいるのかと」

「そうなのね。クラーク様も、お強いものね。あんなに貴公子然とされているのに」

「あら、旦那様が戦われるところを、ご覧になったことが?」

「だ!」


 旦那様!?

 そうだけど、いやでも、と焦ってレーヌを見れば、少し笑いを堪えている。


「レーヌったら、からかわないでよ」

「からかっておりません。徐々に慣れたほうがよいので、あえて、です。ただ、慌てるご様子は可愛らしいので、微笑ましく拝見していただけです」

「それをからかうって言うのではないの!?」


 他愛ない話をできるほどには、緩やかな速度で走る馬車。

 ふと、背筋を伸ばして馬にまたがるアメリを思い出して、まあね、とミリアンネは口を尖らせた。


「あんなに颯爽と馬に乗れるのは、素敵だと、思うけれどね」


 レーヌが、優しく笑った。


「面倒な小姑の腰巾着のことまで、素敵だとおっしゃる、ミリアンネ様こそ、素敵ですよ」


 思わずミリアンネは首を縮めた。何か冷気が掠めた気がする。

 今更の発見だが、レーヌはかなりの毒舌家らしい。なるほど、姉と、気が合うはずではないか。


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