おちるひと 6
「で、居心地はどうだ、ミリアンネ」
「オールレアン子爵、不躾すぎます」
レーヌの鋭い制止を気にもとめず、ルージェは芝居掛かった様子で部屋をぐるりと見回した。
「一番格式の高い応接間、最高級の茶葉、使用人の態度もよい。見る限りは、大事にされているようだが」
「ええ、とてもよくしてもらっています」
「賓客、という感じだがな」
さっとレーヌが立ち上がった。背後のルークも身じろいだ気配がした。
ルージェは化粧気が無くても十分に長い睫毛の陰から、じっとミリアンネを眺めている。
けれど一番ミリアンネの気を引いたのは、ルージェの背後で、音が立ちそうなほど一気に青冷めて、しきりに細かく腕を動かし始めたルージェの従者だった。手元まではよく見えないが、あれはもしかして、森のキツツキのごとく、ルージェの肩の背を突きまくっていないだろうか。
「街での噂もひどいものだ。新婚早々寂しいだろうにとか、辺境伯殿の甲斐性なしとか、同情的な話もあれど、嫁いで来たものの放置されるとは余程の酷い女なのだろうとか、侯爵家に押し付けられた嫁を嫌って辺境伯殿は王都の恋人の元に通い詰めてるのだろうとか」
「……な、なんてことを」
「おや、さすがのレーヌ殿も把握していなかったのかな? よくまあ、嫁いでいまだ披露目もないうちから、これだけ領民からの関心を寄せられたものだよ。ある意味、人気者というわけか」
ミリアンネ本人がぼんやりと瞬きをする間に、レーヌが間合いを詰めた、と思うや、扇を振りかぶってルージェの頬をしたたかに打った。
いや、ルージェは身じろぎもせず、面白くなさそうにミリアンネを見ている。
レーヌの扇は、従者が差し出した手にしっかりと掴まれていた。
「あ、や、すみません! つい、手が出てしまって。いや、僕としても、殴りたいお気持ちはとてもよくわかるんですが、顔だけは死守しろとのことでして、常に私も命がかかっているというか。ああ、でも、ほんとになんて言い草かくたばれ!という気持ちは一緒です。ほんとです!」
うろたえたように早口を披露するが、扇を放す様子はない。レーヌは——ミリアンネの聞き間違えでなければ——舌打ちをして、扇を自ら手放しながら、ルージェのつま先を全体重をかけて踏みしめた。視線も動かさずの早業に、従者もなすすべがない。いや、顔でなければ守らないのかもしれない。
ルージェは声も出せずに、足を抱えて低い声で唸り、赤い髪を乱して苦悶した。
「つああ、——くそっ、自分が踏むのはいいが、踏まれるのは腹が立つ! レーヌ、君がどうここでミリアンネを庇いだてて暴力を振るおうと、街の噂は消えるわけじゃない」
「そんなことは承知よ。私は噂を消すために貴方を攻撃したんじゃないわ。なんでもかんでもあけすけに知らせることが厚意だと勘違いしてるふりをして、他人をいたぶって反応を見る悪趣味なクズを成敗しただけよ」
「ミリアンネをいたぶってなどいない」
「よく言うわ。このどこが傷ついていないと……」
勢いよく振り返ったレーヌと目が合ったので、慌てて神妙な顔をしたのだが。
二人の掛け合いに、おかしくて笑いたいような、息の合いように感心するような、微笑ましい気持ちで眺めていたのが、バレただろうか。
ルージェが苦しそうな息の元、ほらな、と言いたそうに鼻で笑ってみせた。
なんだか申し訳ないような気がして、ミリアンネは軽く喉を整えると、レーヌに座るように勧めてみた。
座ってくれた。
「えっと……情報をありがとうございます、ルージェさん。なんだかほんとに男の方みたいで、いつものルージェさんと重ならないので、ちょっとぼんやりしてました。
それで、わざわざその噂を教えてくれるということは、なにかおかしな点があるんですね?……あの、足、大丈夫ですか?」
「なんとか大丈夫だ。折れてはいない。
男の姿で会うのは、未婚のうちは禁止だと言われていたんだよ、アリアルネに。まあそうでなくとも、仕事以外では大抵女の格好をしていたから、わざわざこの姿を見せる機会もなかったが」
ようやく痛みが引いたのか、ルージェは抱えていた足を下ろし、そのまま、膝の上に肘を立てて前かがみになり、ミリアンネを掬い上げるように見上げて来た。
「これが、本来だ。だが、ルージェはルージェだからな。親しい関係のまま、私が男だと、思い知っていくといい」
ミリアンネは、思わず、頬が熱くなるのを感じて、微笑んだ。
「十分、今思い知ってますよ。とても素敵な紳士でいらっしゃるもの」
ルークとレーヌがぎょっとしたようにミリアンネを見たが、当のルージェはわずかに苦笑すると、それでおかしな点だが、とあっさりと話を切り替えた。
「噂が立つのも仕方ない状況ではあるようだが、それでも、広まりすぎだと思ってね。なにせ、噂はこの街だけじゃない。近隣の町は、どこも同じ噂で持ちきりだ。そしてどうやら、この街には外から噂が伝わったらしい」
従者がその言を継いだ。
「辺境伯様はご結婚のお触れは出されたものの、花嫁の輿入れの日取りは明らかにしていないようでしたね。それでも、お屋敷勤めの人間が街に帰れば、少しずつ話も伝わります。
そうやって、ミリアンネ様に同情的な噂がぼちぼち聞こえるな、というくらいの時期に、一度に何人もが、酒場やら食事処などで声高にやけに花嫁に対して攻撃的な話をして回っていて、おや、と思う間に、寄ると触ると誰もが定型文のような話を持ち出すようになったそうです。
さすがに不自然なほど同じ話なので、冷静な人間は、なんだかおかしいと気がついて来ているようですが。逆に皆が同じ話をするのだから、真実だろうという者もおりましたよ」
「誰かが意図的に噂を流した、ということでしょうか」
「状況から見ると、そう判断してもおかしくないかと」
ミリアンネはそこで初めて、眉を寄せた。
「その後の方の噂がこの街で流れ始めたのは、いつなのでしょう」
「急に広まったのは、五日ほど前のようです」
「アメリね」
憎らしげに、レーヌが名を吐き捨てた。
「昨日グレオールさんに聞いたわ。五日前は、ちょうど、あの人たちの訪問を知らせる先触れの使者が来た日よ。何人か同時に送り込んで、話をばら撒いたんでしょう」
「その、アメリというのは、何者だ?」
ルージェの問いに、ミリアンネ達三人は顔を合わせた。
その後、アメリとは誰か、という説明から始まり、昨夜の顛末まで、レーヌとルークも加わって概要を話し終えたところで、ルージェがそろそろ失礼しよう、と立ち上がった。
「首謀者がその女だとすれば、領主代理殿の知るところとなり、侍女長の身柄も押さえた今、さらに新たな話の種を撒くこともないだろう。自分の首を絞めることになるからな。……とすれば、噂自体はそのうち鎮火するだろう。もちろん、滞在中の火消しには、協力しよう。
だが、ミリアンネ、とにかく早く辺境伯に帰って来てもらうのがいい。どうせ、一度も素直に頼んでいないだろう。頼んでみろ。——あとそうだな、私からも、くれぐれも、よろしく伝えてくれ」
「わかりました、ルージェさん。ありがとう」
手袋を嵌めた手が、ミリアンネに伸びて来た。
いつもより手が大きく見えるのは、本当に不思議だ。背も、高いような。
そっと優しく別れの抱擁をして、ふと間近で目が合って、見慣れない鮮やかな眼差しの色に、またも思わず顔が熱くなった。
ふふっと、意地悪げに、ルージェが笑う。その笑い方は、前と同じだ。
「またすぐに来よう。新しい家をアイツに作ってやってほしい。そうだ、アイツも連れてくればよかったな」
「はい、ぜひ。お待ちしてます」
再会を約束して、玄関まで見送る。
と、馬車に乗り込んだルージェのすぐ後ろで、従者があ!と慌ててレーヌを呼んだ。
「扇をお返ししていませんでした」
服の隠しに入れてわからなくなったのか、はたはたとあちらこちらを探っている。待ちきれず、呆れ顔でレーヌが歩み寄り、従者の胸の合わせから頭を覗かせたまま気づいてもらえずにいた扇を、すっと摘まみ取った。その時。
「寂しい身の上の新妻の噂を隠れ蓑に、気にかけるべき噂を聞いた」
馬車の中から投げ落とされた情報に、レーヌが思わず動きを止めた。
「今日だけでは、掴みきれなかった。精霊と称して神の力を盗み、箱庭に閉じ込めて我が物にする魔女がいる、という噂だ。
——実は王都でも、箱庭に対して攻撃的な奴らが、ミリアンネの結婚をきっかけにするように、突然活動を激しいものにしているようだ。母体が不明だが、湧き出てるかのごとくなので、根は一つではないかもしれん。今のところ、おおっぴらに侯爵家や辺境伯家を相手取ることは避けているようだが、中にはミリアンネの作品を名指しする過激な輩もいるし、貴族の家に押し入って作品を破壊した、狂ったやつらもいると聞いた。
そんなやつらが、この街に入って来ていないとも限らない」
気をつけてやってくれ。
ちらりとレーヌによこす赤い視線は、真剣で。
レーヌはつ、と、顎を反らせてみせた。言われるまでも、ないことだ。




