とつぐひと 1
遡ってひと月前。
サリンガー侯爵家の次女ミリアンネは、王都にて辺境伯クラーク・セーヴィルとの婚姻許可を得て、馬車十台の花嫁行列を成して十日もの旅路ののち、ようやくセーヴィル辺境伯領の町、アンガスへと入った。
クラークは若いながらも実権を伴う辺境伯として実務があるため、王と王妃への正式な申請と許可を見届けるや否や、別便で馬を駆り、先んじて領土へと帰っているはずだ。
馬車に荷馬車、それに見合う数の侍女および召使、下働きや御者、護衛たちが合わせて三十名余。全体の差配は同行した侯爵家の副執事ウェイに任せたものの、皆の様子に気を配って労わり、かつ慣れない馬車に連日揺られ続け。
ミリアンネは顔には出さないように頑張っていたものの、くたくただった。
アンガスは、セーヴィル辺境伯領の入り口の町。領主の住まいである城はここにはなく、次の街エルコートにある。そこまではさらに一日の行程が必要なことは、理解していた。クラークからの手紙で、彼がアンガスまでは迎えには来られないことも、了解していた。
早く目的地について落ち着きたいし、クラークとも会いたい。
けれどせっかくの町である。
日程に遅れはなく、予備として設けていた猶予日もまるまる残っている。
ミリアンネは、この町で二泊ほどして、体力と英気を養い、それから、クラークに会いたかった。同行している皆のことを思うとともに、旅で疲れた肌を癒して、手入れをして、綺麗な状態で会いたいではないか、新婚の、夫には。まして、夫の家族や近しい配下の人々と初めて会う日となるのだ。
それで、町を囲う城壁が見えてきた時、ウェイにはその希望を伝え、それに応じて召使が走って町へと先行した。
領主の花嫁の行列ではあるが、領内で公に祝いごとを知らしめるまでは、特に歓待は不要と伝えてある。あくまで、旅の貴族として、普通の手続きを踏む予定だった。
けれど、町の門を守る衛士の姿が見えてきたころ、門が騒がしい様子だと思うや、そこから二頭の騎馬が駆けてきたため、護衛たちやウェイは、静かに警戒した。
馬車の中に座って窓のカーテンを引き、疲れた顔を隠していたミリアンネは、やにわに馬車が止まり、誰何の声が聞こえてきたので、外の様子に注意を向けた。
「お待ちを。誰方が何用か、お伺いしたい」
「これは失礼しました。私は、ロジエンヌ・セーヴィル。クラーク・セーヴィルの妹です。こちらは、アメリ・リエン。クラークの従兄弟の奥方で、私の付き添いです。遠路はるばるお越しのミリアンネ様を、お迎えにうかがったのです」
幼さの残る女声に、はっと、ミリアンネは顔を上げた。
自然、向かいに座っていた侍女のレーヌと目線が合う。そのまま、レーヌは首を横に振った。レーヌは、王宮侍女として勤めていたのだが、今回は王妃の懐刀とも言われる姉からの推薦で、ミリアンネの専属侍女として同行することとなった。姉からは、何事もレーヌと情報を共有し、相談をするようにと言い含められている。姉がそこまで信頼を寄せるほどの人物が、なぜ王宮を辞し辺境領まで来ることを承知してくれたのか、ミリアンネは知らないが、すでに旅路の数日で、大きな信頼を寄せていた。
道中も幾度か受け取ったクラークからの手紙には、妹のことも、妹の迎えについても、一度たりと触れられていなかった。彼に妹が一人いることは事実だが、今、外の可憐な声の持ち主が、真実クラークの妹かどうか、わからない。
よしんば真実、彼の妹だったとして。
事前に打ち合わせなく、公式な嫁入りの行列を領主に先んじて手前の町で突然出迎える、という行為は、礼を失し、護衛を混乱させるもので、到底クラークが承知しているとも思えない。何を意図しているのかわからない状況で、やはり安易に身を晒すべきではない、とレーヌは言っているのだろう。
それは、ミリアンネにも、十分察することができた。
外では、ウェイが直接対応し、その身元を確認しているようだったが、案の定、正式な証明となるものはないようだ。
「このブローチではだめ? これは確かに、セーヴィル家直系だけが持てる紋章よ。だめ? 固いのね! じゃあほら、私、クラーク兄様によく似ているって言われるわ」
「申し訳ございません。そのセーヴィル辺境伯様からは妹御のお出迎えについて、なんの事前のお知らせもいただいておりません。両家での公式な婚姻によるお輿入れの行列でございますので、正式な任命書などがない限りは、この場でお取り次ぎは致しかねます」
「えっ、えっと、お兄様ったら、秘密にして驚かせようとお考えだったのね。お兄様らしいわ。ミリアンネ様なら、お兄様のいたずら心だと、よくお分かりじゃないのかしら。……ねえ、ほんとう、このまま会ってくれないと、後で困るかもってわかるでしょう?」
「それでも、私の立場では、この場では取次は致しかねます。申し訳ございません」
どうしたものか。
クラークのいたずら心など、ミリアンネにはわからない。正確に言えば、決してそんなことはしそうにないと思ったのだが。かといって、この妹が偽物だとも思えなくなってきた。とすると、妹から見れば、クラークにはそういう面もあるのだろうか。
「ロジィさま」
その時、掠れ気味の引力のある声が、その場をさっと鎮めた。