まどうひと 6
12話「まどうひと 5」が、その前の話と重複していましたので、昨日のうちに差し替えました。
昨日訪れてくださった方、申し訳ありませんでした。12話から、お読みください。
それから、ミリアンネの毎日に、乗馬の時間が組み込まれた。
ベラは大人しく、よく調教された馬だっだ。そして、なぜかミリアンネのことをよく慕ってくれている。その背に跨がれば、とても高くて緊張するが、ベラに対する安心感からか、初めて乗った時から、驚くほど気持ちよく歩かせることができた。
ほんの数十分のっただけで、足はガクガクして、部屋に帰れば倒れ込んで午睡してしまうほどだが。いや……さすがに、乗馬だけであれば、そこまで疲労困憊しない。少なくとも、実家で姉に引きずられるように馬に乗せられた時は、ここまで酷くはなかった。
ただ、辺境の地では乗馬をするのに、たとえ辺境伯夫人といえど、気軽に厩に行って乗って終わり、というわけには行かないらしい。
ミリアンネは、馬房の掃除と寝わらの交換もやることになったらしい。厩のものたちは皆、一様に申し訳なさそうに、不安そうに見守りながらも、手伝ってはくれない。護衛の騎士たちも、戸惑い顔ながら、止めるわけでもない。
初日に、厩役から道具を渡され実地で作業を説明された時は、耳を疑った。普通の貴族の考えでは、必要もないのに当主の家族が馬の世話を自分でするのは酔狂以外の何物でもないし、むしろ使用人の仕事を奪うとして、眉をひそめられる行為だ。
大いに戸惑ったが、これが辺境の流儀と言われれば、従うしかない。見よう見真似で、馬糞を掻き出し、わらを担いで運ぶ。匂いと粉塵に閉口したし、わらですら、長い柄のフォークの先にさせば酷く重いことに驚いた。
初日は喉と目を腫らし、手は赤く擦り剝け、腰も痛くなり、最後の藁を小屋の中で均すまでに、三時間かかった。それでも、うまく均せていなくて、きっとあとで馬丁たちが整えたのだろう。
その時点ですでに声も出せないほどに疲労困憊して、ベラの上に登るのにも、二人掛かりで押し上げてもらわなければならなかった。
走らせた後のベラの餌やりとブラッシングも予定に組み込まれていたようだったが、馬場を一周したところで力尽き、今度は三人がかりで降ろしてもらい、途中退場となった。——そこから翌朝まで記憶がない。
翌日は、腰と言わず肩と言わず、全身および喉が熱と痛みを持ち、まるで体を動かせず、休みとなった。
乗馬の初日はお屋敷の侍女頭との打ち合わせとのことでレーヌは同行しなかった。ひどく汚れ、くたびれきって戻って来たミリアンネを、多少訝しんでいたが、翌日の有様に大変驚いたようだ。乗馬だけではあり得ない体の不調を訝しむので、理由を話して聞かせたのだが。「そうですか」とだけ呟いたあとは、せっせとミリアンネの体を温めてさすってくれた。
再び明けて、翌日は、身体中が軋むみ時々涙が出たものの、なんとか小屋の掃除と藁の入れ替えを行い、ベラに跨って馬場を二周した。
一昨日からすると快挙だったが、ミリアンネの成長というよりは、レーヌがどこからか用意してくれた腰を保護するコルセットや厚手の手袋の効果が大きいだろう。そして当然、餌やりなど到底腕が動かない。早々に撤退となった。
そうこうして、時々休んでは食らいつき、二週間。
元来、こうと決めたら、突き進む性格である。
ついに、ミリアンネは、馬房の掃除をこなしてから、ベラに馬場を五周歩かせ、五周軽く走らせて、餌やりをしブラッシングをするところまで、漕ぎ着けた。
「やっとここまでできるようになったわ!」
嬉しい声を上げて、艶々と鬣を煌めかせるベラに擦りつく。ぶるる、と体を揺らして、ベラが答えてくれるのが、また嬉しさを募らせる。
厩の使用人たちも、少し緊張を解いたように、口元を緩めていた。
見守る側だって、それは心配だっただろう。そう思って。
「ベラ、待っててくれてありがとう。皆も、教えてくれてありがとう」
ミリアンネが礼を言った途端、皆の体から、小さな光の粒が一つ、二つずつ宙に舞い飛んだような気がしたが。
「——楽しそうで、なによりですわ、ミリアンネ様」
しっとりと落ち着いた響きで、人の気を逸らさない声が響いた。
「お取り込み中、申し訳ありませんけれど、今日、この時刻に到着するので、厩を空けておくように、と願い出ていたはずなのだけど」
自ら馬をひいて、馬場の入り口にアメリが立っていた。その少し後方には、あれ以来初めて顔を合わすことになるジェイも、馬に跨ったまま、こちらへと向かっているようだ。表の門から、こちらまで回って来たらしい。
「も、もうしわけありません!!」
厩役が、平身低頭で謝罪し、慌てて皆を急かす。
そういえば、今日はいつも使わない馬房も整えていたようだ。弾かれたように、ミリアンネの隣から移動していく二人の馬丁も、本来はそちらの作業をするつもりだったのかもしれない。そも、客人が来るときに、門まで馬を預かりに出向かなければならないはずだ。
彼らにとっては、非常に大きな失態となる。
慌ただしい人の動きに、厩中の馬たちが落ち着かなさげにぶるぶると鼻を鳴らした。
「何の騒ぎだ」
「私たちのための馬房の用意が、もう少しかかるみたいよ」
近寄ってきたジェイは、ミリアンネのことは一顧だにしない。アメリに事情を聞いて、落ち着いた様子で、急がなくとも良い、と鷹揚だ。
「いつもこんなことはないのにね。まあ、ミリアンネ様のためとなれば、仕方ないわ」
ミリアンネの名が出た途端、ジェイの眉間にシワが寄ったのを、思い切り目撃してしまうのは、快いとは言えなかった。
「どういうことだ」
「マーズ様がミリアンネ様に送られた牝馬を、ミリアンネ様が手ずから世話なさるのに、何かあっては困るでしょう? 厩の者たちがかかりきりになるのも、仕方ない、と思うのよ。ねえ、ミリアンネ様。立派な心がけだわ」
アメリの視線につられたように、ジェイがこちらを向き、怪訝そうに目を細めた後、控えていた騎士たちの顔を順々に見てから、驚愕の表情になった。




