やってみるか
どれくらい、時間が経ったころだろうか。
ゼオルたちの戦う最奥へと最初に辿りついたのはブラドだった。
それからラメールとゴート。
三人は、遠巻きにアークとゼオルの戦いを見ていた。
「もう手を出せるレベルじゃねえな、あれ」
目まぐるしく動くふたりを見ながら、ゴートが呟く。
『凄まじい……。あれが、天帝さまの力か……』
体内に収めたままのルーチェは、帰る体がなく、出られないことを理解したのかすっかりおとなしくなっていた。
どうやら、ゴートの記憶と干渉して、天界人として大切な自我が変化を起こしているようであった。
「ゆっくり観賞しましょう」
「ブラドさま!? い、いいんですか!? 助けないと!」
「どっちを?」
「え、え、それは……」
「黙ってそこに座っていなさい。この戦いに決着などつきません」
「どういう意味ですか?」
ラメールがその場に正座しながら、わからないことを隠しもせずブラドに聞く。
「……ゼオルさまは、アーク坊ちゃんが何を考えていたのか、この戦いを通じて知りたいと思っている。アーク坊ちゃんは、おそらく、ゼオルさまと対等に戦えるところを見せたいのです」
「なんで、そんなことを? そんなことしなくたって、ゼオルさまはアークさまのこと、大好きじゃないですか」
「好きという感情は、相手への理解を不鮮明にするものなのです。人間、良い部分も悪い部分もあるのが当然なのに、ゼオルさまはアーク坊ちゃん個人を見ようともしないで、決めつけで全てを考えている。アーク坊ちゃんも敏感だから、それには勘づいている。しかし、育ててもらった恩があるから、強く反発できない。こういう場ができたのは、良かったことなのでしょう。アーク坊ちゃんはゼオルさまの得意な戦いを通じて、ひとりの人間であることを認めさせたいのです。いつだって、右にならえとやっているだけじゃないと。思い知らせてやりたいのですよ」
「く、詳しい……」
「当たり前でしょう。私が何年間、彼らを見て来たと?」
ブラドが少しだけ自慢げに胸を張る。
「お、進展があったみたいだぜ」
胡坐をかいて肘をついているゴートが言った。
少しずつ、アークの剣がゼオルへと届いていた。
傷を負えばそれだけ動きにも影響が出る。
それは当然のことなのに、傷を負ったままでの戦闘に慣れていないため、鈍った手足の運用に難があった。
初めは余裕を見せていたゼオルも、剣を杖代わりについて、血をだらだらと流している。
アークも無傷ではないが、彼女ほどではなかった。
「どうした! その程度か、魔王!」
「やかましい……! 全力ならこの程度……」
ゼオルはふらついて膝をついた。
技術は未熟で、力任せの攻撃ばかりなのに、適切に頭を使って攻撃を仕掛けてくる。
ゼオルやカーレッジとも違う、ずっと隣で見ていたからこそ考えつくアークの戦い方だ。
天敵、というものがいるとすれば、アークのような存在なのだろう。
こちらのことを知りつくしており、それに対する手段も考えることのできる人間。
ゼオルは荒くなる息を整えるため、顔を上げて空気を吸う。
「……強くなったな!」
「ああ、今頃か!」
アークは噛みつくように言う。
「――――本当に、強くなった。我はもう手詰まりだ。その魔力の壁を撃ち抜く方法がない。火力不足だ。たとえあと数時間、アークの攻撃に耐え続けられようとも、攻めに転じることができん」
ゼオルは剣を放り出して座り込んだ。
もう立っていることすら辛くて今すぐ倒れてしまいたいくらいだ。
「アーク、楽しかったぞ。我はこういう戦いを望んでいたのだ。人の枠組みを超えたもの同士の戦いを……。子供だと思っていたお前が、満たしてくれるなど、考えもよらなかった」
「ゼオル。……何が見える」
「何がって、そんなもの――」
顔を起こしてアークを見て、フッと笑う。
「友好的なようで心の内を明かさない無口なバカ。ヘラヘラ笑っていないで、もっと自分の考えを口に出したらどうだ?」
「お前の自己中心的な思考に比べたら、調和を目指す僕の方が優れている。敵を作らずに済むからな」
「敵、敵だと? お前に敵などいないだろう。人間の支配する大地で、これ以上生存争いなど起きようもない世界の中で、お前は戦いも知らずに育ち、生活の全てを保証され、好きなことを好きなだけできる。何の不満がある? 貴様は甘えているのだ。半端に力を持て余して、何でもできると思っているのだろう! 我が守ってやっていると言うのに!」
「守られていることは否定しない。だが、僕はお前の所持品じゃない」
アークは険しい顔を崩すことなく、ゼオルの隣に立った。
「ハハ、我を殺すか? 今のお前ならば殺せるだろう」
ゼオルにはもう、立ち上がる力も残っていなかった。
回復ができない身体というものの不便さを痛感し、今までに戦った者たちもそうだったのか、と思いをはせる。
「立て、ゼオル。まだ終わらせるには早い」
「冗談はよせ。もう我には戦う力などない」
ゼオルは五体を投げ出して言った。
正真正銘、生涯二度目の敗北だ。
アークがゼオルの喉元へ剣を向けると、その背後にグリュが現れた。
「良い見世物だった。無様だな、ゼオル! 以前よりだいぶ弱くなっているではないか!」
「……やかましい」
「アハハハハハ! 私のアークが貴様を倒した。こんなに嬉しいことがあろうか。ここまで手厚く出迎えたのだ。アークがお前を愛していることは疑いようもない!」
またおかしな理屈を唱えている。
そういえばこいつはとびきり人の話を聞かないやつだった。
思い込みが激しく、自分が正しいと信じてやまない。
「……お前が羨ましいよ。悩みがひとつもなさそうだ」
「それは偏見だ。私はいつだって悩んでいるし、答えを探している。君は愛の在処を見つけられたかい? 私は見つけたよ。愛はここにあった!」
グリュは満足そうに笑う。
傷に響く不快な声だ。
痛みに顔を歪めながらも、ゼオルは起き上がった。
「何をしに来た? 我を笑いに来たのか?」
「ああ、それもある。それもあるが、私は君になりに来たのだ」
グリュと重なるようにして、光のモヤが現れる。
精神干渉系の魔法か、とゼオルはその気配から察した。
「私が君になれば、アークの愛を手に入れることができるだろう? うんうん、我ながら良い考えだ」
「ハッ。それは、お前自身が好かれているわけではないぞ」
「同じことさ。お前が愛されているということは、私が愛されているということだろう。満身創痍のお前なら、私にも乗っ取れる」
グリュの光がゼオルへかかる。
「私に任せておけ。アークと子を成し、末永く天界を治めていこうではないか」
「……やめろ。ゾッとする」
口では言っても、抵抗する力など残っていない。
せいぜい一日か、二日か。
耐えられるだけ耐えてやろう、と覚悟を決めた時だった。
「……え?」
グリュが小さく呟く。
その腹に、背後から天空の剣を突き刺されている。
「ゼオル!!」
アークの声に、びりびりと手が痺れる。
何をしろと言っているのか、瞬時に察せた。
「ウウウウウ!!」
ゼオルは五体が引きちぎれそうになりながらも、光のモヤを掴み、力任せに地面へと叩きつけた。
それと連動したように、グリュがふらつく。
「馬鹿な……」
「まだ剣は刺さっているぞ、グリュヴルム!!」
天空の剣が白く発光し、グリュの体が光の粒子となって爆散する。
「アーク、ようやく分かったぞ。お前の狙いが」
「遅い。勘が鈍ったんじゃないか?」
「早くやれ。やつはすぐに回復する」
アークがゼオルへと剣を突き刺すと、たった今グリュから奪った魔力が流れ込んでくる。
傷が瞬時に完治し、それでもなお余りある力が溢れている。
どうやら、光のロスト・ワンであるグリュの魔力の大半を奪い取ったようだ。
「ひとつ言っておくが、さっきまでのは本心だからな」
「フン、我もだ」
並び立つふたりの前に、光が集まり、少なからずショックを受けた様子のグリュが現れた。
「まさか、アークが裏切るなんて。私を愛しているのではなかったのか……」
「一度も言った覚えはない。悪いが、僕は年下が好みなんだ」
「そうだったのか?」
ゼオルが驚いてアークの顔を見ると、肩をすくめて笑った。
「グリュヴルム、悪いがお遊びはここまでだ。僕は何者にもならない。僕は死ぬまで僕のまま、ゼオルの傀儡にも、君の傀儡にもならないよ」
「……ここから帰すと思っているのか?」
「帰るよ。帰って、やらないといけないことも、まだ残っているし。だけど、君はここでやっておかないといけない。――そのための選択はもう済ませた」
剣から淡い光が放たれ、見た目は魔力は変化せずともアークの何かが変わった。
「剣に感情を保存しておいた。消されることもわかっていたことだしな。精神を乗っ取られた時のために反詩も保存しておいたが、お前が簡単に騙されてくれたおかげで必要なかったな」
グリュが心底不快そうにアークを睨む。
「何もかも知っていたというのか。お前は、知っていて、殺されるかもしれないと分かっているのに、ここへ来たのか」
「それくらいのことが何だ? 殺されるかもしれない、でいちいち死んでいては僕はもうこの世にいない。それに今回のことは、全て僕の手の平の上だ。天界人が僕らに勝つ見込みは、万にひとつもなかった」
「アーク、お前……」
ゼオルの背筋が興奮でゾクゾクとする。
これが自分の知らないアークの姿なのか、と喜びに震えていた。
あの環境で、自分やブラドから何の影響も受けずに育つはずはなかった。
性格こそ正反対であったとしても、物事に対する見え方にそれほど差異はないはず。
ゼオルは初めて、アークが努めて温和に振る舞っていたことを知ったのだ。
「さあ、やろう。後腐れのないように、僕もゼオルも全力で戦う。グリュヴルム、お前もだ」
「貴様に言われずとも!」
グリュヴルムが指をパチン、と鳴らすと光の粒子が部屋の外から集まってきた。
「外に散らばっている天界人を吸収しているのだ。ひとまずはこれで他の者の心配もせずに済みそうだな」
ゼオルがその様子を呑気に見ながら言う。
相手の準備を阻害する気は、アークにもないようだ。
――本当に、よく似てくれた。
ゼオルは噛み殺すようにして笑うと、アークへ訪ねる。
「奴のことはどれくらいわかる?」
「力の正体はほとんどわかっている。天界人が使えるものと同じもの、もしくは上位の能力を持っているだろう。いくつか分からないものもあるが、予想はしている。――そんなところだ」
「ほう。開戦前にそこまでとは調べられるものだとは」
「準備こそが戦闘の本分だ。行き当たりばったりのお前にはわからないだろうが」
「……そうだな。ならば、手は貸さんぞ」
「問題ない。自分は自分で守れる」
グリュの全身に力が満ち、白い肌に亀裂が入って光が漏れている。
剣で魔力を奪う前よりも、明らかに強い。
「まるで破裂寸前の風船だな。つついてやれば爆発するんじゃないか?」
「やってみるか」
ゼオルたちは不敵な笑みを浮かべ、真っ直ぐに剣を構えた。




