わかりません
ゼオルはブラドとラメール、ゴートを連れて先へ進んでいた。
彼女たちが先行して敵を薙ぎ払いながら道を開いてくれている。
万全の状態で最深部へ辿りつくために、ゼオルは戦いたい気持ちを抑え、ブラドたちに任せることにした。
「……ん」
ブラドが、通路の途中で立ち止まり、小さな声を出した。
つられるようにして、ラメールも立ち止まる。
「ブラド、どうした?」
「匂いがします。強い匂いを放つ天界人がこの辺りにいるようです」
「犬みてえだな」
ゴートが軽口を叩く。
ゼオルはふーん、と返事をしながら右手に蒼炎を纏わせた。
「どっちだ?」
ブラドが斜め下を指さす。
どうやらこの壁の向こうのようだ。
「フッ、ここらで話のできるやつに会ってみるのもよかろう。光ってるやつは知能が低くてつまらん」
『冥界の蒼炎』を放ち、通路に穴を開ける。
新たに作った道を滑るようにして進むと、やがて大きな正方形の部屋に出た。
空間魔法特有の正確な直線であり、部屋の中央には、天界人にしては巨躯の男が立っていた。
ゼオルはその異常性にすぐに気がついた。
群れなければ何もできない天界人がたったひとりで待っているなどということがあるはずがない。
(――そうか。アークのやつ……)
一対一で確実にひとりずつ足止めするつもりらしい。
ある程度こちらの動きをコントロールしようと思えば、この環境下ではこういう方法をとるしかない。
「おれは最上位光人三人衆がひとり、ゲレル! おれと戦う勇気のあるやつは誰だ!」
ゲレル、と名乗った大男は手に長柄のついた鎚を持っている。
見た目通りの怪力男なのだろう。
「戦うやつはここに残ることになるが、誰が行く?」
ゼオルが聞くと、ブラドがラメールに視線を送った。
早く名乗り出ろという威圧も感じる。
「……え、あ、は、はい! 私が行きます!」
わたわたと、ラメールは一団から先に出る。
「我らは先に行く。恐らく、三人衆と名乗ったこいつらの匂いを辿っていけば奥へ辿りつけるはずだ。終わったらそのままブレインのところまで戻れ。我らの跡をついてこようとして死ぬのは一番間抜けだからな」
「そんな、寂しい……」
「馬鹿者。死ぬとブラドが悲しむぞ」
「え!?」
「悲しみません。墓も作りません。思い出すことは二度とないでしょう」
ブラドは淡々と言う。
しかしラメールはやる気が出たようで、腕をぐるぐると回す。
「わっかりました! ブラドさまを悲しませないよう、どうにか生きて帰ります!」
ゲレルの正面に立って、ラメールは背中から四本の太くて白い触手を伸ばす。
「さあ、ナントカさん! 私が相手です!」
ゲレルには、確信があった。
自分は天界で一番強い力を持つ。
故に、全生物で最も強い。
この『天地開闢の鎚』で潰せないものなどない、と。
「くぅ! 強いですね!」
目の前の小娘が、鎚を避けることもなく、丸太のような触手で受け止めたことに、若干の焦燥があった。
「潰れろ!」
ゲレルがもう一度振り下ろすため鎚を持ち上げようとすると、今度は彼女が触手を大きく振りかぶった。
「次は私の番ですよ!」
ゲレルは全身に力を入れて衝撃に備えた。
ドッ、とまるで月面に時折落ちる大岩の塊のような衝撃が、ゲレルの腹部を襲う。
今まで、模擬戦でもこれほどの威力を受けたことはない。
ルミエールやルーチェよりも強く、まるで自身の攻撃をそのままもらったかのようだった。
――しかし、まだ耐えられる。
致命傷には程遠いダメージだ。
「……なかなかの攻撃だ」
「効かないなんて!?」
触手を振りかぶった小娘に、今度はゲレルが鎚の横薙ぎをお見舞いする。
軽い体は簡単に吹き飛んで壁に激突した。
「その軽い体じゃおれには勝てん」
土煙の中から、小娘は勢いよく飛び出してきて、体当たりをするつもりのようだった。
ゲレルも避けるつもりもなく、掴んで潰してやろうと両腕を広げ、彼女を待つ。
「ひねり潰してやる」
「舐めないで!」
小娘はさらに地面を蹴り、速さを増した。
「!?」
「だぁっ!!」
今度は、耐えられなかった。
ゲレルの巨体が吹き飛び、壁に激突する。
「見たか! 力自慢みたいですけど、私だって強いんですからね!」
起き上がると、体に乗った瓦礫がガラガラと散らばる。
「……お前、名前は」
「ラメール!」
「ラメール、お前、強いな」
生来感じたことのなかった興奮を、うっすらと感じる。
「ブラック・スミス!」
ゲレルが呼ぶと、鎚はひとりでに飛び、片手に収まった。
「そのトンカチ、辞めた方がいいですよ。たぶん、私の方が早いです」
「ふん、おれはまだ全力じゃないからな」
ゲレルの足元に光の蓮華が咲く。
何が起こったのだろう。
光輝く花が咲いた、と思ったら、次の瞬間に地面に叩きつけられていた。
「疑似ロスト・ワンとしての、光の力の片鱗だ。これでもまだ殴り合えるか?」
ラメールは鎚に潰されたまま、起き上がろうともがいた。
これがさっきと同じ鎚だとは思えないほど、重くて速い。
「何……の!」
ラメールがやっとの思いで鎚を持ち上げると、次はすぐさま横薙ぎが来た。
衝撃を殺すためにわざと大げさに吹き飛ばされて、地面を転がる。
「ま、まだまだ!」
「まだ立つか! だが骨くらいは折れているはずだぜ!」
「骨、ありませんし!」
ラメールは口から伝う体液を拭って注視を始めた。
敵の動きが見えないほど速い、という感覚とは少し違うような気がしていた。
いくら速くても、全く見えないなどということはないはずだ。
まだ遠くにいるゲレルが鎚を構える。
(なんで、あんな遠くから……)
そう思ったのもつかの間、次の瞬間にラメールはまた衝撃を感じて地面に叩きつけられていた。
「な、なん、で!?」
「わからないだろう。お前たち地上の生き物には辿りつくことのできない魔力の極致が」
「ぜ、全然わかりません! ずるいです!」
ラメールは持ち前の気合で立ち上がった。
確実にダメージは蓄積しているし、勝機はまるで見えない。
あと何発かいいものをもらえば、簡単に気を失うだろう。
ゲレルの鎚の振り下ろしに合わせて、ラメールは防御を固める。
鎚は届いていないのに、確かに衝撃を感じる。
そして、振り下ろしたタイミングと、実際に衝撃が来るタイミングにわずかな時間差がある。
何度か受けたラメールにわかったのはそれくらいだ。
(本当にこれ何なんですか!?)
そもそも情報を組み立てるのは苦手だ。
戦う時に考えるのも苦手だ。
そんな中で、どうすれば相手の力の正体がわかるのだろう。
「降参するなら楽に殺してやるぞ」
「死にたくないです! でもその攻撃がわかりません! 教えてくださいませんか!?」
「教えるわけねえだろ!」
また、衝撃に飛ばされる。
壁面に叩きつけられ、ラメールは力なく地面に転がった。
「どうした。終わりか?」
ゲレルは浮ついた様子だ。
ラメールは手をついて、ゆっくりと起き上がる。
積み重なったダメージや、頭の中を支配する余計な思考に大きなストレスを感じて、白濁した透明な体表がじんわりと赤く変化する。
「……わかりました」
「なんだ? おれの能力がか?」
「いえ、もういいです」
ラメールはかぶりを振った。
「だいたい、何で考えないといけないんですか? バッと掴んでガブッと噛んで、それでいいんじゃないですか。勝ち負けなんて、捕食した方が決めればいい。人間のそういうところ、嫌いです」
ラメールの手足が太く、長くなっていく。
手足は触手が変化したものだ。
人間体の生活が長いせいで、自分が異形の姿になることに対して嫌悪感を抱くほどになっていたが、死ぬかもしれない時にそんなことをこだわっていられない。
「もう考えるのはやめます。そういうのは、そういうことが得意な人がやればいいんです」
ゲレルがまた鎚で地面を叩く。
それが時間差で届きそうになったところで、ラメールは触手をその衝撃に対して絡みつかせた。
「やっと捕まえました」
触手を締め上げて、見えない力を木の枝のように折ってしまうと、ゲレルの持っている鎚が大きな音を立てて砕け散った。
その瞬間、目の前に驚いた表情のゲレルが現れ、自分の場所が彼の前に移動していることに気がつく。
「なぜわかった? おれが、空間を重ねていることに……」
「何も知りませんし、わかりません。ところで、殴り合いがお望みだったんですよね? お互い手の届く距離ですよ」
「…………」
しばしの沈黙のあと、ゲレルが殴りかかる。
ラメールはそれを一本の触手で受け、体を支える一本を残し、八本の触手を固めて鎚の形を作ると、彼の胴に対し叩きこんだ。
衝撃で地面が震え、岩壁まで吹き飛んだ彼が、部屋全てに届くほどの巨大なヒビを作る。
しばらく待って、彼が戻ってこないことを確認すると、ラメールは大きく息を吸って叫んだ。
「私の勝ち!!」
声が響いて、天井からパラパラと砕けた破片が落ちた。




