人間って協力するもんだろ
「まさか、天界の空から来るなんて……!」
玉座に座るアークの隣で、三人衆のひとり、ルーチェが驚きの声をあげた。
爽やかな顔立ちをしており、目じりにある泣きぼくろが特徴的な青年だ。
「どうなっている。光の道以外で地上からここへ来る方法などないはずだ」
ルーチェは近くにいる天界の人間――光人へ半ば怒鳴るようにして言う。
光人というものは、位によって頭の良さに決定的な差がある。
下位の光人には会話は通じず、中位でもいくつかの単語くらいしか理解できない。
度重なる世代交代により多少の情緒を持ち始めた上位光人だけが、正確に命令を受けることができる。
天界という絶対的に安全な世界で暮らしてきた彼らは、とにかく敵の侵入に慣れていない。
訓練こそしていたが、実戦となれば、てんでバラバラだ。
その上感情も薄いため、切羽詰まると本能に従って動いてしまう癖がある。
「来てしまったものは仕方がない。天界の武力を見せろ!」
ルーチェが声を荒げると待機していた光人たちがぞろぞろと玉座の間から出ていく。
その頼りない姿に、アークはため息をついた。
「ルーチェ、他のふたりにも迎撃の準備をするよう伝えてくれ」
「……お言葉ですが、我々が出るほどのことではないかと」
彼ははっきりと反対意見を述べた。
「理由は?」
「ここは天界。我らの住まう世界です。光人の数も膨大です。地上の獣どもが数名侵入したくらいで揺らぐようなものではありません」
彼は自信に満ちていた。
目の前でゼオルたちを見ていない故の自信だ、とアークは感じた。
知らないことと、恐怖を感じないことはこれほど人を傲慢にするのか。
「お前の先祖がどうやって地上を追われたか、知らないわけではあるまい」
「それは敵を侮ったからです」
彼は胸を張って答える。
その分からず屋なところに、アークはまたため息をついた。
「今のお前はどうだ?」
「我々は侮っておりません。むしろ、向こうが数名での侵入など、我々を侮っている。その程度の認識の敵に――」
「もういい。ルーチェ、他のふたりを呼んでこい」
アークはうんざりして話を遮った。
ここに来てずっとこうだ。
彼らは自分の感覚が絶対だと信じていて、それ以外のものはまるで存在しないかのように振る舞う。
話をしていても全く通じている気がしない。
そもそも会話とは何だ、とその意義から考えなければならなくなる。
とはいえ、彼らは口でどう言っても命令を遵守する。
自分たちが優れていると考えている根拠が私情を挟まず行動できることだと信じているからだ。
頭がひとつであれば、最大のパフォーマンスを出せるし、種として生き残ることに合理的だと信じている。
アークもその考えには賛成だ。
しかし、それはコロニーやコミュニティが複数存在する場合であり、今回のように頭が倒れたから代理を立てることに四苦八苦するのは、全く合理的ではない。
種としての進化を忘れて、千年以上もの年月をこの穴倉で暮らしてきた彼らが、どうやって自分たちが優れていると判断しているのか、理解に苦しむ。
「ただいま参上いたしました」
ルーチェの連れて来た眼鏡の男――ルミエールが膝をついて忠誠を示す。
「おれも来たぜ、天帝」
口調の粗暴なゲレルも、格好はルミエールと同じく忠誠を誓っている。
「貴様ら、今回の敵は迎撃の必要はないと考えているか?」
アークが聞くと、ルミエールはルーチェの顔をちらりと見たあと、深く頷いた。
「お言葉ですが、帝さまは我々の力を知りません。人間風情と比べられては困ります」
「そうだぜ。おれたちは強い。地上の種よりもさらに強い天界の光人の中でも、一番強い三人だ」
ふたりの言葉を聞いて、ルーチェも満足そうに微笑んでいる。
「……なるほど。わかった。貴様らはその程度だということか」
「何を仰っているのか、わかりかねます」
「ルミエール、奴らが侵入してそろそろ十五分が経つ。被害状況を確認してみろ」
光人は光人同士と連絡が取り合える。
ゼオルの使っていた『通信』の魔法は発信だけの一方的なものだったが、こちらは完璧に相互できているものだ。
だから、すぐにルミエールの顔が固まる様子が見て取れた。
「――報告します。天界の三割が、消滅したようです」
それを聞いたルーチェとゲレルは笑った。
「天界の三割って何だ。下位光人の間違いだろう。それでも多すぎる被害だが……」
「いや、違う。本当に、天界の三割が、消滅した」
彼らの目に写っているものがどういう感情なのかアークには読めないが、何が起きているのかはだいたい想像がつく。
キテラの闇の魔法、アケディアの空間転移、ゼオルの『冥界の蒼炎』。
これらであれば、月そのものを破壊しながら進むことは可能だ。
内部に張り巡らされた巣のような構造を考えると、空間ごと消滅させられると逃げ場がない。
彼らは物量で圧殺することばかり考えていたため、敵の攻撃方法など考えてもいなかっただろう。
ルーチェたちはアークの命令を待つような顔をしていた。
もう力を温存するなどとは欠片も考えていないようだ。
「驚くほど劣勢だね」
「天帝さま。どうか我らに知恵をおかしください」
「フッ、ここまでは想像通りだ。焦ることはない。僕は貴様らよりも彼らのことを知っている」
有効な戦略を知っているわけではない。
しかし、相手のことを、本当によく知っている。
彼らはこのままでは月ごと破壊しかねないだろう。
躊躇することなく、そういうことをできる相手だ。
「そうだな。途中に修練の間があるだろう。あそこで各部屋にひとりずつ待機しろ。誰もいない部屋には『追憶』を配置しておけ」
「敵と正面から戦うのですか?」
「そうだ。その時もこちらから仕掛けてはならない。名乗りを上げて、敵の戦闘態勢が整うまでは待て。嘘は見破れる可能性が高いから、周辺の光人を地表に回して確実に一対一で戦う意思を見せろ」
「我らが奴らと対等に戦わなければならない理由を教えてください」
「このやり方であれば、壁の向こうから空間ごと殺される心配はほとんど無くなるだろう。貴様ら、僕の命令が信じられないのか?」
威圧するように睨むと、ルーチェは目を伏せた。
「彼らは快適さよりも愉快さを優先する。土地ごと破壊しては面白くないだろう」
「地上の穢れどもはそんなことを……」
「ルミエール、侵略というものはそういうものだ。幸い、彼らは我らを根絶やしにするつもりで来ているのではない。対等な勝負であれば受け入れるはずだ。さあ、行くがいい。天界が壊されてしまう前にな」
三人が出て行って、どこからともなくグローリアが姿を見せた。
「堂々たる振る舞い、見事でございます」
「何の用だ? まさか貴様まで指示を仰ぎに来たのではあるまい?」
「はい。私の出番はまだ先です」
グローリアは不敵に笑う。
アークにはどうも彼の目的が読めない。
何かしらの手段で乗り込んでくるだろうというところまでは予測していたらしく、ゼオルたちの到着に驚いている様子はない。
つまり、ここまでは彼の思い描いている計画通りなのだ。
「何を企んでいる?」
「そんなこと、決まっております。天界人の目的は天界の繁栄しかございません」
「曖昧な言葉で煙に巻こうとするな。教えねば、その首跳ね飛ばすぞ」
「お好きになさってください。何度もお伝えしている通り、私の本来の目的はもう果たされております故」
アークは諦めて椅子に深く座り直した。
ゼオルたちがどうなるか、心配はしていない。
それは天界人たちに関してもそうだ。
ここから先はもうなるようにしかならない。
自分にできることは、ここでゼオルを迎え撃つことだけだ。
「次から次に沸いてきやがる!」
カーレッジは斧を振り回し、時には自死して回復を図りながら先へ進んでいた。
枝分かれした通路を一緒に進んでいるのはキテラとアケディアだ。
最初の闇魔法の一撃で大穴を開けたものの、そう連続して使える魔法ではない。
その場に残り続ける闇のおかげでその方向にいた光人は全滅したと考えてもいいだろう。
以前来た時よりも通路は複雑化し、部屋が増えている。
どうやら、かなり世代を重ねているらしく、光人の数も馬鹿にならない。
視界に入った瞬間にアケディアが空間転移で胴体を切断し、キテラが闇に飲み込み、それでも打ち漏らしが出るため、カーレッジは突っ込んで切り飛ばす。
「クソ、敵が多すぎる。こっちだ」
いい加減うんざりして、無意識に天界人の少ない方を選んで進んでいた。
そうしてしばらく走ると、同じような景色の中に、突然空間ごと四角に切り取ったような部屋が現れた。
とても広く、その中央には二本の槍を持った光輝く顔の無い男が立っていた。
カーレッジにはそれが何であるかわかる。
生命の力の残滓。
意思はない、単なる人の記憶。
恐らく、フェルガウでの出来事で死んだ誰かだ。
「気をつけろ、ふたりとも。あれは強い」
カーレッジの警告と同時に、男は稲妻の如き早さで突っ込んできた。
槍の一本を斧の腹で受けると、アケディアが彼を上の空間と入れ替えた。
「おばさん!」
「ああ、いい位置だ」
キテラの周囲から伸びた鞭のような闇が空中の彼を細切れに溶かす。
「なんだ、大したことねえじゃん」
「バカ野郎。これで終わりなわけねえだろ」
まるでカーレッジのように、槍を持った男型の残滓は、また最初の地点に地面から湧き出た。
先程までと違い、今度は女型の残滓も連れている。
どうやら勝てないと判断して数を増やしたらしい。
これ以上出てこないのは、恐らく天界人と接触した人間が他にいないからだろう。
残滓として使うためには新鮮な生命力がいる。
直近の死体でなければ、こうして複製体を作ることはできない。
「ふむ。一掃すべきか?」
「いや、お前らは自分の身を守ることを考えろ。この程度のことはよくある。いちいち全力出してたら後半持たねえぞ」
「あんた回復できるじゃん……」
アケディアがそう呟くと、カーレッジは笑った。
どうやら新しい女型は素手のようで、構えをとっている。
「さて、行くぜ」
カーレッジはアケディアの空間魔法で空中へと移動する。
敵の視線はこちらに向く。
無垢なる雄牛の重さに任せて、彼らの真上に振り下ろすと、女の方がタイミングを合わせて上段回し蹴りを放つ。
カーレッジは避けることもせず、頭部を砕かれて死に、生き返る。
しかし復活してすぐにまた、胴に掌底を打ちこまれる。
腹部が一瞬で凍りついたことを確認し、カーレッジは自分の心臓に雷の魔法を作動させて止まらせ、また死ぬ。
甘い相手であったならすぐに勝負を決めてやろうと考えていたが、どうやらかなりの武芸者らしい。
少し離れたところへ復活すると、彼女は拳を構えたまま、じりじりと近づいている。
「拳のやつ相手は分が悪い! キテラ、こいつは任せる! やつを消すんじゃなくて動きを封じろ! アケディアはオレさまの援護だ!」
そう叫んで、カーレッジは雷の魔法の詠唱を始めた。
素手なら距離さえとれば攻撃は届かない。
――と思っていた。
「カーレッジ!」
キテラの声で、カーレッジは自分が槍に貫かれていることに気がついた。
なぜわからなかったのか、痛みや気配に鈍かったとは考えられない。
槍の方は意識の外からの攻撃が可能、と嫌な予感が頭をよぎる。
すぐに死んで脱出しようと試みたところで、氷の壁が迫る。
単なる記憶とは思えないコンビネーションに、カーレッジはほぞを噛んだ。
カーレッジにとって最も忌避しなければならないことは、仮死状態だ。
だから、低温で固められる可能性の高い氷の魔法には人一倍気をつけなければならなかった。
舌打ちと同時に光の粒子になろうと魔力を込める。
――だが、間に合わない。
一瞬のうちに、カーレッジは氷塊の中に囚われ、意識を失ってしまった。
「カーレッジ!!」
キテラは大声を出した。
やはり、先程一気に決めておくべきだった。
怒りのままに全てを薙ぎ払う闇魔法を使おうとした時、アケディアが一歩前に出た。
「待て、おばさん。さっき見ている様子だと、あの槍の方は魔法に対して俊敏に反応するみたいだ。ひとりずつ確実にやった方がいい。だから、槍の方の相手を頼む。俺じゃあれは防げない」
「……その提案を聞く必要が私にあるか?」
「あるね。人間って協力するもんだろ?」
適当に返事をしているのか、視線はずっと敵の方を見ている。
本当ならば、この距離からでも氷を破壊することを目的にすべきだ。
しかし、相手の性能が分からない以上、迂闊な行動は命取りになる。
それに敵も、カーレッジを助けようとすることは読んでくるだろうからだ。
キテラは一度目を閉じ、彼の提案を聞き入れて、怒りの矛先を敵に集中させることにした。
「動きを封じろとは容易く言ったものだ。我々はあれに一度でも貫かれたら終わりだというのに。女の方はどうする?」
「どうにかする」
「了承した。死ぬなよ」
キテラは男の方の気を引くため、魔法の詠唱を始めた。
すると瞬きの間に、男の姿が消える。
キテラは周囲全てに闇の防護壁を出現させると、背後の壁に槍が刺さっていた。
男は顔の無い頭部をこちらにむけているものの、何の表情もない。
キテラは槍を捕えたまま彼の捕獲も試みるが、トン、と彼は後退して闇の鞭の間合いから逃れた。
「なるほど、武芸者の相手は面倒だ。人間の理屈でやっていては見切られてしまう」
勘というものは感覚的な経験や知識の蓄積で培われるものだ。
相手が次にどう動くか読めるのは、そのパターンを何百回と見て来たからだ。
――そんなことを、カーレッジがよく言っていた。
槍をへし折っても、彼は何もない地面から新たな槍を引き抜く。
どうやら、この土地そのものが彼に力を与えているらしい。
キテラは周囲にいくつもの闇の塊を浮かべ、彼に向かって射出する。
難なく躱され、弾かれていくも、キテラは愚直にそれを続けた。
彼はじりじりと、こちらへ向かって進み始める。
キテラはさらに闇弾を放つ速さを上げる。
しかし、全く障害にならない。
あと十歩となったところで、キテラは突然闇を放つことを辞めた。
そして、詠唱を始める。
すると、槍の男は瞬時に姿を消した。
それと同時に、キテラを中心に、広い範囲の地面が大きく沈んだ。
彼へ闇を放ちながら、地中に這わせていた。
背後を見ると、ぐらつく地面から彼は空中へ跳ねあがった。
「そう。そっちに逃げるしかないよな」
キテラが指先を向けると、先程放ち、躱され、弾かれた闇の弾が彼の周囲に集まる。
「集まれ」
彼が体に取りつく闇から逃れようと手足を動かすと、粘度の高い闇は余計に絡みついていく。
やがて、全く身動きができなくなると、体から光を放ち、地面へ伸ばそうとする。
キテラはそれを阻止するため、闇で棺を造り、彼を完全に閉じ込めた。
光では影を消すことはできても、完全な闇を照らすことはできない。
本来、アケディアにしてみれば、至近距離での攻撃手段しか持たない相手など、敵ではない。
空間ごと壁の中に押し込んでしまえばいい。
今それができないのは、月の内部構造を理解していないからだ。
空間転移も万能ではなく、場所を強くイメージしなくては転移できない。
だから、全く知らない場所には飛ばせない。
正面から戦うにしても、いくつもやり方はある。
しかし、アケディアの魔法の唯一の弱点は、発動から効果が出るまでにほんのわずかに時間がかかることだ。
その証拠に、先程から敵を囲うために出している空間の箱は、線が現れた時点で避けられている。
点と線に拘束力はない。
普通なら避けられることのないものだが、こうして避けられるとアケディアにも焦りが出る。
さっさとカーレッジを助けたいが、一度に出せる空間の箱はひとつだけだ。
何とかして目の前の彼女を黙らせなければならない。
牽制しながら頭を働かせていると、突如、彼女はこちらに向かって突進をし始めた。
どうやら、戦力分析は終わったようで、遮るものは何もないと判断したのだろう。
アケディアは咄嗟に浮遊魔法を唱えて空中へ逃げる。
ここまでは来ないだろうと天井近くまで上がって止まると、すぐに彼女が目の前に現れた。
恐るべきことに、ほぼ同じ速度、同じ力、同じタイミングで跳びあがったのだ。
「ッ!!」
彼女の拳が、アケディアの喉を突く。
首のきしむ嫌な音が耳に響く。
魔法を使う相手との戦いを熟知している。
喋られなくさせれば、魔法は使えない。
どれくらいのダメージか、アケディアは考えなかった。
闘争による興奮から、まだ痛みは感じていない。
呼吸もままならなく、薄れる意識をなんとか保ちながら、アケディアは咄嗟に印を組む。
制動の利かない空中なら当たるはずだったが、彼女は自分の胴に拳を打ちこみ、氷の弾を撃ち出して後方へ飛んだ。
(なんて判断の速さだ……!)
空間の箱の危険性を感じているのか、多少の手傷は追ってでも逃れようとしている。
地面を転がりながら着地し、真っ暗な穴のような顔をこちらに向けている。
アケディアは喉からせりあがって来る血を吐き出す。
空気を吸えないことで、視界が歪み、気が遠くなる。
――苦しいことには慣れている。
自分にそう言い聞かせ、アケディアは考える力もないまま、追撃を続けた。
地上では向こうに利がある。
空間の線が見えれば、瞬時に回避行動に移ってしまう。
だったら、せめて避けられないような攻撃ができれば――。
アケディアは彼女の足元に空間の箱を出現させる。
すると、彼女は軽く跳躍して、後方へ移動する。
(そうだ、お前は、避ける時に後ろへ移動する癖がある!)
彼女が着地するよりも先に、着地点に空間の箱を出現させる。
すると、今度は地面を叩いて反動で空中へ飛びあがった。
「……バーガ」
掠れて出ない声を出し、アケディアはニヤリと笑った。
跳びあがった彼女の上には、さっき足元を狙ったと見せかけて転移させた岩の塊が迫っていた。
彼女は抗おうとしたものの上空から落ちてきた岩にぶつかり、地面で下敷きになる。
その隙に、アケディアは素早く印を組んで、彼女を無限回廊の結界へと閉じ込めた。
緊張の糸が切れると、アケディアは気を失いかけ、浮遊の魔法を維持できずに落下していく。
(ああ、死んだな、こりゃ……)
諦めて死を受け入れ、目を閉じる。
死ぬのなんていつだって構わなかった。
たまたま、それが今日になっただけだ。
あわや地面にぶつかりそうになった時、ふわり、と柔らかい感触がした。
「よく頑張った」
キテラの腕に抱かれ、アケディアは笑った。
どうやら終わりにするにはまだ早いらしい。




