ここでお別れだ
ゼオルは大雨の降り注ぐ中を、一陣の風となって駆けていた。
護衛隊のドルジからアークを見つけたと聞いて、誰も供に連れず、慌てて飛び出した。
(アーク、アーク! 無事でいてくれ!)
ゼオルは今までにしたことないような、悲愴な顔をしていた。
ただの人間にさらわれたのなら、これほど心を痛めることもなかった。
しかし、天界人となれば話は別だ。
バラバラに分解して自分たちの奴隷にしていてもおかしくない。
大怪我くらいならすぐに治せるが、体を組み替えられてしまっては、もう戻すことはできない。
雨の幕の中、遠くに光の柱が見え始めた。
二度と見ることはないだろうと思った、忌々しい天界の柱だ。
自分の体がこれ以上早く動かないことがもどかしい。
「我が忠実なる蒼き炎よ! 混沌より生まれし灰の器、金の杯、黒の小刀を捧げん! 回れ、回れ、回れ!」
走りながら、最大火力を出すための詠唱を続ける。
射程はおよそ五キロメートル。
もう少し近づかなければならない。
「汝の身を焼き焦がす七つの燐光! その命を鍵とせよ! 天地に捧ぐは我の腕!」
蒼い炎をその手に宿し、ゼオルは跳んだ。
ここからなら、山ごと吹き飛ばせる。
「不浄なる者よ! 灰塵すら残さず消え去れ! 『冥界の蒼炎』!!」
ゼオルの両腕から発せられた蒼炎の渦は、何もかもを一瞬にして蒸発させ、跡には何も残らない。
込められるだけの魔力を込めた特大の炎は、まるで子供が砂で遊ぶように、簡単に山へ大穴を開けた。
アークがいるかもしれないと思うと、光の柱へ直撃させることはできなかったが、そこをぎりぎりかすめる形で何もかもを吹き飛ばした。
露出した山肌には蟻のようにわらわらと、光り輝く天界人共が散っていく。
ゼオルは蒼炎を纏いながら、その群の中を燃やしながら突っ切っていく。
洞窟の中をまっすぐ進んでいくと、爆発の音が聞こえ始めた。
先行しているリンとハルワタートだろう。
ひとまずは合流して状況の確認をしたい。
広く大きな洞窟の空間で、天界人たちを相手に戦うハルワタートを見つけ、リンの姿を探すもここにはいない。
「邪魔だ貴様ら!!」
ハルワタートの周辺にいる天界人を純粋な魔力の波動で壁まで吹き飛ばす。
「おい白いの! リンはどこだ!」
ハルワタートは肩を大きく上下させて呼吸をしながら、首を振った。
「わからん。気がついたら消えていた」
「アークは!?」
「それもまだだ。この先にいるのだろうが、敵が多過ぎる」
まるで湧き出る水のように、洞窟から伸びるいくつもの通路から天界人たちは入ってくる。
この中を進むのは不可能だろう。
「奴らは柱から出てくる。末端の個体を潰しても無駄だ。ついてこい」
光の柱の方向は覚えている。
蒼炎を壁へ向かって放ち新しい穴を開けた。
通路が詰まって通れないのなら、新しく作ればいいのだ。
その先は、大きな縦穴になっていた。
暗い空の中へと続く光の柱からは、無尽蔵に輝く人形が生まれている。
「なんだ、これは……」
「天界人とはああいうものだ。放っておけば増え続ける」
ハルワタートが面を食らうのも無理はないだろう。
根本的に生物としての形が異なるのだから。
ゼオルは彼らの集まりへ向かってつかつかと歩み寄った。
「おい! 貴様らの頭は誰だ!」
彼らは口では答えず視線を一点に向ける。
光の柱の前にグローリアが立っていた。
何か魔法を使っているのか、雨は彼を避けて降っている。
「グローリア、アークを返せ。今なら楽に死なせてやる」
「返すも何も。アークは自ら選んだのだ」
ゼオルとグローリアの間に、光り輝く階段が現れる。
その最上段に扉が浮かび上がり、ゆっくりと開いた。
「アーク!」
アークは見たことのない濃紺のマントを着ていた。
付き従うようにして、三人の天界人が並んでいる。
「来たぞ、天帝さまだ」
「天帝……?」
話が読めない。
なぜ、と思ったが考えるのは後でもいい。
「何が起こっているのかわからんが、もういい。貴様らは全員抹殺だ。覚悟しろ」
ゼオルが火の粉を撒き散らしながら力を込めていると、ズン、と上から大きな力に抑えられる感覚がした。
そしてその力は次第に重く強くなっていく。
周囲にいる無数の天界人たちが、手の平を向けて呪文を唱えていた。
後ろにいたハルワタートはその一撃で地に倒れ伏せ、起き上がることもできなくなっていた。
「のうまくさんまんだばざらだん」
「ぐっ……」
「せんだまかろしゃだ」
合唱のような呪文が続くと、圧力はさらに増す。
「そわたやうんたらたかんまん」
ゼオルは立っていられず、地面に膝をついた。
――屈辱だ。
この魔法は知っている。
光の圧力で敵の動きを止めるためのものだ。
以前戦った時はまったく問題にならなかったものが、今はこうして抗い難い力となって降り注いでいる。
「アーク……!!」
視線をアークへ向けると、階段の上から無表情に見下ろしていた。
助けようとも声をかけようとも思っていないようだ。
顔を上げることすら全力を尽くさねばならないが、下を向くことは負けを認めるようで腹が立つ。
アークの隣にいる天界人が、何かをゼオルの元へ投げてよこした。
――頭を半分砕かれたリンの遺体が、ゼオルの顔を覗いている。
「貴様がやったのか……!!」
ゼオルは膝に手を当て、立ち上がる。
「アアアアアア!!」
ゼオルの理性は吹き飛んでいた。
大切な家族をこんな姿にされて、冷静でいられるはずがない。
たとえ満足に動けないとしても、今立ち上がらねば魔王としての矜持も失う。
そうしていると、アークが階段を降りてきた。
「帝さま、おさがりください。あれは下賎な地上の者。何をするかわかりません」
「いい。どいていろ」
付き人を止めると、アークは手の平を空に向けた。
「来い、天空の剣」
落雷のように雨を裂き、天空の剣がアークの手元へと飛来する。
ゼオルは体を支えるのがやっとで、アークの顔をよく見ることができない。
アークが目の前に来たのを感じて、ゼオルは顔を上げて精一杯の笑顔を見せた。
「ア、アーク。すぐ、助けてやるから」
「ゼオル、僕は天界に行く。あなたとはここでお別れだ」
「な、何を言っているんだ? 帰ろう、アーク。成人式だって、途中だっただろう。大丈夫、すぐにこいつらを皆殺しにして――ああ、殺すのは、無しだったな。わかっている。殺さない程度に懲らしめるから、だから……」
ゼオルは必死に声をかけた。
天界人のことはわかっているつもりだった。
あれだけ戦ったのだから、彼らが聞く耳を持たないことはよく知っているはずだった。
アークは雨を拭う様子もなく、ただ無表情にゼオルを見下ろしていた。
敵意ですらない、何の感情もこもっていない視線に耐えられなくなり、ゼオルは顔を伏せてしまう。
アークが近くに来たからわかってしまったが、操られている様子もない。
魔王であるゼオルには、相手が魔力に侵されているかどうか、見えてしまう。
だから、どうしようもなく、アークが正気で、自分の意思で今ここにいることがわかってしまう。
「――ゼオル」
名前を呼ばれて顔を上げると、肩口から袈裟斬りに、天空の剣が体を切り裂く。
アークは剣についた血を払い、踵を返す。
ゼオルは、呆然とその姿を見守っていた。
天界人たちから案内されるようにして、アークは柱の中へと入って行く。
彼らがすっかりいなくなっても、ゼオルはその場から動けなかった。
治癒の魔法をかける気力すらなく、雨と共に流れる血を止めることもなく。
薄れる意識に身を任せて、その場に倒れこんだ。
あのアークが、虫一匹殺すことを躊躇うアークが、リンの遺体を放り投げ、自分の体を切り裂いた。
もう二度と帰るつもりはないのだ。
だから、ああやって、ゼオルに対してきっぱりと拒絶を突きつけたのだ。
胸の中心に大きな穴が開いたかのようだ。
――もう、何もかもどうでもいい。
ゼオルは泥の中に体を沈め、目を閉じて、考えることをやめた。




