説得されるなよ
ゼオルたちがフェルガウへ帰り着いたころ、ちょうど成人式の準備が始まっていた。
これから十日をかけて町の飾りつけを行い、盛大に祝おうというのだ。
「ゼオルさん、おかえりなさい」
留守番をしていたアークとラメールが屋敷の前で出迎えた。
「何もなかったか?」
「ええ、何もありませんでした。ちょっとしたハプニングはありましたけど」
「ごめんなさい! あの! ごめんなさい!」
ラメールが大きく頭を下げる様子をブラドが見て、頭を掴み、無理矢理上げさせる。
「何を壊したのですか?」
「ゆ、床を……」
表情を変えないブラドの指が額に食い込む。
「いだだだだだだ」
「修理費用は給料から引きます」
ブラドはラメールを引きずって屋敷へ帰っていく。
あの分だとまたあとで説教だろう。
「ゼオルさんは、どうでしたか?」
「む? ああ、その話だが、とりあえず座ってからにしよう」
廊下を通るときに、ちらっと開け放たれた客間が目に入った。
なるほど、大穴が開いている。
いったい何をしたらこんなことになるのか。
食堂で椅子に座ると、ブラドがすぐに紅茶を用意した。
キテラが作った茶葉は、香りが高く、高級品として市場に出しても遜色ないものだ。
「さて、アーク。これは少し重要な話だ」
「少し、ですか」
「我々にとってはあまり大きなことではないからな」
ゼオルは紅茶をひとくち口に含む。
「天界の者が来るようだ」
その言葉で、アークの顔に緊張が走るのがわかった。
アークなりに、天界のことは知っているだろう。
「会議の結論がどうなったか、あとで確認する必要はあるが、恐らくはあの大導師の言う通りになるだろう。あれは影響力がありすぎる」
「大導師さまが、どうしたんですか?」
「……和睦の道を探るそうだ」
「え!?」
アークが驚きのあまり、テーブルに手をついて勢いよく立ち上がる。
「そんなこと……」
「不可能だろうな」
「……僕も、天界の方たちのことは文献でしか知りませんし、直接会ったら、もしかしたら違うのかもと思いますけど、でも、大導師さまがそんなこと言うなんて」
動揺を隠さず、アークは椅子に深く腰をかけた。
「……しかしまあ、何も聞かされていないことがわかって安心した」
ゼオルも大きくため息をつく。
この件で、ゼオルにとっての心配事は、すでに大導師からアークが説得されているのではないかということだった。
もし、アークまでもが天界人と交渉をしたいだなんて言い始めたら、と考えると気が気ではなかった。
「大導師のやつも、何を考えているんだ。アークでも無理だとわかるようなことを、強行しようとするなんて」
「さすがに、何か考えがあってのことでしょうけど……」
「我はそこまでやつを信用しておらん」
大導師を、というよりは、人間の中で崇拝されている者という大きな括りではあるが。
種をまとめ上げるだけの力もないのに意思決定権を持っていることが気にくわないというだけの話だ。
「それで、もし天界人が来たらゼオルさんはどうするんですか?」
「……どうするも何も、自衛のために戦わねばならんだろう。魔族全て使ってでもこの町だけは守ってみせるわ」
「やっぱり、戦うことになるんですね」
「なる。これは断言していい。火に紙をくべれば燃えるようなものだ。……しかしまあ、本当に来ればの話だぞ。今はアークの成人式の方が大切だ」
窓から見える町の風景は、平和そのものだ。
怒号も喧騒も聞こえない。
だからまだその時は、何かが起こることなど考えられなかった。
「そうか。正式にそう決まったか」
連絡屋で、ゼオルはオルフセンから会議の結果を聞いていた。
やはり、王は大導師に押されて、和平の道を探ることにしたそうだ。
そういう選択を取りたくなる気持ちはわかる。
犠牲を全く出さずに場を収めたいのだろう。
確実に犠牲が出る戦争と、もしかしたら犠牲が出ないかもしれない和平交渉とを天秤にかけたのだろう。
敵の芽は初めの段階で潰しておかねばさらに犠牲が増えるということを、感覚的に理解していないのだ。
愚王と罵るつもりはないし、人間の行く末がそれであるならそれでもいい。
しかし自分たちの身だけは守らなくてはならない。
特にアークだけは、何としてでも。
「それと、成人式には、王や大導師も参列するそうです」
「来なくて良いと言ったのにか」
「やはり、勇者の血筋は特別ですから」
どうやら王都ではそういう決まりがあるらしく、毎度毎度、勇者の家の子の成人式には飽きもせずにフェルガウまで足を運ぶ。
大勢の護衛を連れて訪れるため、町は物騒な雰囲気になってしまう。
本音を言えば式典も放っておいてほしいのだが、人類史における勇者の重要性を考えれば、無視しておくことはできないのだろう。
「大導師は、何か言っていなかったか?」
「あれからは特に何も。そもそも反対意見もほとんどありませんでした」
「……だろうな。わかった。また今度、礼をさせてもらう」
オルフセンとももう長い付き合いだ。
彼は個人主義的で、その考え方の根本が魔族と似ており、話がしやすい。
友人と呼ぶほどの距離感でもないが、王都へ行くたびに彼には世話になっている。
連絡屋を出て屋敷へ帰る途中、成人式の飾りつけを見て回る。
軒下に飾られた色鮮やかな花のリースが眩しい。
フェルガウでは成人式は毎年盛大に行われている。
たくさんの出店や出し物があるため、遠くからも足を運ぶ人がいるほどだ。
(よくもまあ、ここまで大きくなったものだ)
初めの頃は成人式どころか、フェルガウは何もない場所だった。
元々町ですらないところに居を構えることに決めたのはカーレッジだ。
どうやら彼は一から町を作るのが好きらしく、噂を聞きつけた住民が少しずつ移り住んだり、行商ルートの開拓や治安の維持など、楽しんでやっていた。
建物はキテラとその仲間たちが魔法で作り上げた。
この町の建物はそれからずっと、様式を変えずに保たれている。
これを巣でなく、人が住む町だと認識できるようになったのはいつからだろうか。
人を動物ではなく、人と認識できるようになったのは、いつからだろうか。
自分が感じているよりもずっと、変化は起こっているのかもしれない。
少なくとも、ブラドやエキドナたちと地上を支配していたころや、カーレッジと戦っていたころの自分とは別の生き物と思えるほどに変わっている。
変化を自覚できたのは、アークを育てたからだ。
子供を産んですぐに亡くなった両親のことは、アークも覚えていないだろう。
言葉も通じない赤子に接し、自分にもこんなことができるのかと思った。
生き物を守り育てるということが、いかに難しく厳しいものであるかを知っても、辞められなかった。
それが愛情であるとブラドから聞き、変な気持ちになったことを覚えている。
しかしながら、アークのことを大多数の人間と同じように見ることはできなかったし、何を犠牲にしてでも失いたくないという気持ちを愛情と呼ぶ以外、何とすればいいのかわからない。
此度の成人式は、ゼオルにとっても特別なものだ。
だから、王都の連中も抜きにしたかったのだが、ままならないものだ。
ゼオルが屋敷へつくと、客間からは修理のために板を剥がす音が聞こえていた。
アークはその様子が面白いのか、廊下からじっと眺めていた。
「あ、おかえりなさい、ゼオルさん」
「うむ。アーク、成人式には大導師も来るそうだ」
「そうなんですか。だったら、話もできそうですね」
ゼオルは顔を曇らせる。
大導師から悪影響を受けるのではないかと心配になったのだ。
「……説得されるなよ」
「大丈夫ですよ。僕はゼオルさんの味方ですから」
アークはそう言って笑った。




