人の役に立っていますよ
「ごめんください」
ルフレオは、フェルガウの一番高い場所に立つ大きな屋敷の前にいた。
背よりも高い、鉄の門は開け放たれているが、入るのに躊躇して、門の外から声をかけた。
「はーい!」
間を置かず、何やら元気のいい返事が庭から聞こえた。
黒いドレスのようなメイド服を見にまとった、文字通り透き通るような肌をした白い生き物が、笑顔で駆けてくる。
(魔族のメイド……? プライドの高い魔族が……?)
奉仕する仕事をやっている魔族は、王都ではあまり見かけない。
どちらかと言うと、力仕事をしている方が多いイメージがある。
「どちらさまですか?」
「あの、私はルフレオと申します。昨日、アークさまにお世話になったので、そのお礼を、と」
「ふんふん、なるほど。少々お待ちください!」
彼女は屋敷へ駆けていく。
大雑把なところは魔族らしいが、大きな屋敷のメイドとは思えない所作だ。
しばらくして彼女はアークを連れてきた。
「ルフレオさん、こんにちは。中へどうぞ」
「はっ! それ私の仕事ですよね!?」
「ああ、そうですね。ラメールさん、彼女を客間に案内してもらえますか?」
「承知しました! では、どうぞ!」
ラメール、と呼ばれた彼女は、大げさにルフレオの手を引いて行く。
あまりにも困惑して何も言えなかったが、彼女はメイドと言うよりは、メイドごっこと言う方がしっくり来る。
しかし、アークがその様子を咎める様子はない。
つまり、基本的にこうなのだろう、と予想はつく。
客間に通されると、さすが、絢爛豪華な調度品の数々が並んでおり、これぞ首長の屋敷という雰囲気が漂っている。
長机を挟んで、ルフレオはアークと向かい合って座った。
ラメールが紅茶を準備して、ようやく雰囲気だけはルフレオの知っているものと一致した。
「アークさま、昨日はお世話になりました」
「顔を上げてください。僕は何もしていませんよ。それに、『さま』はやめてください。そんなに偉い人じゃありませんから」
「いえ、礼儀ですから」
アークは困ったように笑って、頬を指先で掻く。
「私、昨日早速お菓子を焼いてみたのです。お口に合うかわかりませんが、よろしければお受け取りください」
私の取り出した布の包みを、ラメールが開く。
その中からスコーンが現れたのを見て、彼女の黒い瞳が輝いた。
「これ、何ですか!?」
「スコーンという焼き菓子です」
「おおおお、スコーン……!」
子供のような反応をする彼女に、アークはまた何も言わず笑っている。
皿に取り分けるため、彼女が部屋から出て行くと、ルフレオは耳打ちするように、そっとアークに聞いた。
「アークさま。ずっと気になっていたのですが、この屋敷には、彼女とふたりで暮らしているのですか?」
屋敷の中にも外にも、他のメイドは見かけなかった。
「いえ、みんな今、王都に行っていて留守なだけですよ。さすがにこの広い屋敷にふたりでは寂しいですから」
「王都に?」
「ええ。会議に出席するため、ですね」
「アークさまは欠席なのですか?」
「あはは、僕はまだ子供ですから、連れて行ってはもらえないんです」
「そんな、だってもうすぐ成人でしょう? 成人した途端にやれって言われたって、できるわけ……」
ルフレオはそう言って気がついてしまった。
多分、彼はこの先も政治に関わらせてはもらえない。
そしてアークも、わかっているのだろう。
過保護な義母は、この屋敷の中で大切に育てられた彼を、貴族たちの小競り合いに晒したくないのだ。
彼のような良い人であれば、利用されることだってあるだろうし、情に訴えれば頼みごとを容易く引き受けてしまうだろう。
それはあまりにも、政治的な駆け引きに向いていない気質だ。
「スコーン用意できましたよ!」
ラメールが勢いよく登場する。
両手に乗った平皿に、ルフレオの焼いたオートミールのスコーンが綺麗に並べられていた。
「美味しそうですね。ジャイジルさんにはもう届けたのですか?」
「このあと向かおうと思っていたところです」
「そうですか。喜んでもらえるといいですね」
彼はそう言ってスコーンを手に取った。
取り皿の上で小さく割り、口へ運ぶ。
「ん、美味しいです!」
「身に余る光栄です」
隣で、ラメールが目を輝かせてスコーンをじっと見ている。
その子供のような顔に、ルフレオはフッと笑って言った。
「あなたもよろしければ頂いてください」
「い、いいんですか!?」
アークへ伺うように顔を向けると、彼も頷いた。
「ありがとうございます! いただきます!」
ラメールは喜んでひとつ手に取ると、大口を開けて丸呑みにした。
ルフレオが驚いて固まっていると、アークが小さな声で言った。
「ラメールさんはイカなんですよ」
ルフレオはさらに困惑する。
魔族ではなくイカだと言われても、全く意味不明だ。
さて、と話をする準備を整えるためか、アークは彼女を部屋の外へと出す。
少し他愛ない話をしたあと、ルフレオは本当の目的を切り出した。
「アークさま。ひとつ、お聞きしてもよろしいですか」
「何ですか?」
「もし、私がとても困っていることがあると言ったら、助けてくださいますか」
アークは、すぐには返答しなかった。
うーん、と唸ったあと、姿勢を前屈みに変えた。
真面目な話をする時、人間は姿勢を乗り出すことが多い。
だから、ルフレオには彼が真剣に考えてくれていることがわかった。
「それは、あなた個人のことですか? それとも、ジャイジルさんやあなたの、お家のことですか?」
それだけで、質問の意図をルフレオは理解した。
個人であれば協力できるが、家のことは手伝えないと言うのだろう。
「どちらも、起こりうる話ではあります」
「……そうですか。率直に言って、僕が僕の立場であなたに加担することはできません。王家と僕らの間の密約のため、公に言えることはとても少ないのですが、端的に言えば、政略に手を貸すことはできないことになっています」
アークもあまり言いたくないことなのだろう。
終始、苦々しい顔をしていた。
「……ですよね。わかります。勇者の後ろ盾を得たなんて言ったら、王家と勇者家の派閥争いになるでしょう。無意味な争いを生むことになります」
ルフレオは息を大きく吸った。
震える手を握りしめて、言葉を続ける。
「ですが、そうでもしなければ、当家は滅んでしまいます。それが、私には耐えられないのです」
「……ルフレオさん」
アークは真っ直ぐにルフレオの目を見ていた。
「貴族でなくなることを恐れる気持ちはよくわかります。立場を失うような感覚があるでしょう。しかし、実際は、爵位を失っても何も変わりません。ルフレオさんの人生に及ぼす影響なんて、微々たるものです。自分の手に届く範囲で、幸せを探してください。僕も手伝いますから」
アークの言葉を、ルフレオは噛み締めた。
貴族でなくなったなら、いくらでも支援できることを暗に匂わせている。
「……それでも、私は戦わずに逃げる道は選びたくない」
「ルフレオさんは、もう十分に戦ったのではありませんか?」
「何を知っているんですか。私の、何を」
ルフレオは声を荒げず、消え入りそうになりながら言った。
彼には何もわからないだろう。
だから、ここで感情的になっても、どうしようもない。
諦観の入った言葉だった。
しかし、それを聞いたアークは首を振った。
「すみません。本当は、知っています」
「え?」
「家のことはジャイジルさんから聞いていました。ルフレオさんのご両親に、爵位を返還するよう言ったのもジャイジルさんです。身の丈に合わない生活をさせてしまった、と悔やんでいました」
「そ、そんなこと、私は一度も……」
「どう伝えたらいいのか、わからなかったのでしょう。ジャイジルさんはあの通り、あまりよく喋る方ではありませんから」
ルフレオは、返す言葉を考えていたが、何も浮かばない。
祖父は味方だと思っていたから、強気でいられたのだと、今改めて思う。
自分を支えていてくれた柱が、ガラガラと音を立てて崩れていく感覚がする。
「……何、それ。バカみたい」
一言呟いただけで、体中の力が抜けた。
張っていた糸が切れ、哀れにも、マリオネットは舞台の上に横たわる。
もう、自分の力では起き上がることはできない。
拠り所にしていた糸はもうなく、自分は何のために必死で踊っていたのか、わからない。
「は、ははは。おじいちゃん、言ってくれたらよかったのに。そうすれば、私は、こんなバカなことやらなくても……」
「そんなに卑下することはありません。ルフレオさんが行動しなければ、ジャイジルさんはすでに死んでいました」
祖父の周辺に密かに監視を配置したのは自分だ。
その彼らが、祖父が自宅で倒れたところを発見したため、医者を呼ばせたのだ。
彼がそれを知っているということは、祖父も知っているのだろう。
「ルフレオさんは立派なことをされたのです。人の命を救うこと、殊更、それが自分にとって大切な人であるならば、とても尊い行いです」
「……どんなに立派だったって、人の役に立てなければ、王都に居場所はない」
貴族が生活するには、領民からの税収も必要だ。
税収を得るには、人心が必要。
そのためには、人々にとって、益のある人物でなければならない。
「ルフレオさんは人の役に立っていますよ」
アークはソファに深く座ってそう言った。
「だから、なんでそんなことまであなたに……」
「そうじゃないと、これだけの人に追われたりしませんよ。きっと、ルフレオさんのやっていることが、意味のあることだから、邪魔に思う人がいるんです」
「――え?」
バタバタ、とラメールが勢いよく扉を開く。
「アークさま! 屋敷の外に五名ほどの怪しい人物を見つけました」
「は? なんで?」
「言ったじゃないですか。王都にいる貴族の誰かから、殺したいほどに邪魔だと思われているんです。こういうこともありますからね。僕が貴族を降りた方がいいと言っているのは、そういうことですよ」
アークは焦る様子もなく、紅茶を飲んだ。
「ちょ、ちょっと!? 五人もいるんでしょ!? 早く衛兵に連絡を!」
「大丈夫ですよ。普通の人でしょう?」
アークは笑顔を崩さない。
自信とも、不敵とも違う。
彼にとって、まるで何でもないことであるかのように。
そうこうしているうちに、玄関の方で物音がした。
「は、入ってきた!?」
「落ち着いてください。ラメールさん、ここまで全員案内してください」
「はい!」
ラメールが意気揚々と出て行く。
もしかして、と嫌な予感がルフレオの脳裏をよぎる。
「裏切ったな!?」
「違いますよ。暴れて家を壊されたら嫌でしょう?」
「だから、私を無償で引き渡そうってことなの!? ふざけないで!」
立ち上がろうとしたルフレオは、体が動かないことに気がついた。
ソファと体が、まるで密着してしまったかのように、動けない。
「落ち着いてください。絶対、無事で帰しますから」
「こ、こんな状況で落ち着けるわけないでしょ!?」
開け放たれた客間の扉から、ラメールが入って来る。
その後ろから、五人の怪しげな男たちがぞろぞろとついてきた。
「ご案なーい!」
「ほ、本当にいやがった……!」
「ルフレオ、覚悟!」
男のうちのひとりが、ナイフを構えてルフレオに突撃しようとする。
しかしすかさず、太い触手が彼の腕を掴んだ。
「ダメですよー」
「な、てめえ! 裏切ったのか!?」
「私、味方だと言った覚えありませんよ」
その一言を皮切りに、乱戦が行われるのだと察して、ルフレオは身構えた。
「だから、ダメですって。あなたたちを屋敷にいれたのは、暴れさせないためですよ」
「う、動けねえ! なんだ!?」
「ガキ! 何しやがった!」
何が起こったのか、とルフレオが目を凝らすと、それに気がついた。
アークの背後に立てかけてあった白い剣の鞘から黒い影が伸びて、彼らの足元を繋いでいた。
「闇魔法……」
「ルフレオさん、よく気がつきましたね。その通り、闇の魔法です。だから、これは力でどうにかできるものではありませんよ。身体に流れる魔力を縛っているので」
闇の魔法は魔力を吸い、捕え続ける。
様々にある属性の中でも、唯一『負の属性』を持つのが、闇魔法だ。
祖父から聞いたことがあるのは、これを使える人間は限られているということだ。
その希少な人間がここにいたなんて。
「魔力を縛るってんなら! 魔力の流れが整理されてねえ混血の俺にはきかねえな! 死ね!」
男の中のひとりが、バッと飛び上がり、鋭い爪をルフレオに向ける。
次の瞬間、彼の姿が消え、まるで光景に対して、音が遅れて聞こえてくるような感覚がした。
「あっ! あっ! ご、ごめんなさい! つい!」
床に、大穴が開いていた。
ラメールの背から伸びた、白くて太い触手の一本が、穴の奥から混血の男を拾い上げる。
気絶しているらしく、ぴくりとも動かない。
それを見て、男たちが引いているのを見たのか、アークは動けない彼らにゆっくりと顔を向けて微笑んだ。
「今の叩きつけ、見えた人いますか? 次に挑戦したい方がいたら、挙手をお願いします」
客間は、静寂に包まれた。
ひとり、床に大穴を開けてしまったラメールを除いては。
「……では、今日のことはよく覚えておいてください」
ひと通り、襲撃した彼らをこの町の自警団へと引き渡す準備を終わらせて、アークは言った。
リンが言うには、彼らはよく訓練された暗殺者部隊のようだった。
あまりにもラメールの触手が衝撃的だったせいで、彼らの力量など考えることができなかった。
屋敷の前で、アークはスコーンのお礼と、貴族でさえなければ支援は可能だということを、念押しするように言った。
ルフレオには、もう彼に文句を言うこともできなかった。
それくらいに、彼の下にいれば、安心できることがわかったからだ。
祖父や、大導師含む星読みたちが、彼に入れ込むのもわかる。
何か、そういう魅力や包容力があるのだ。
勇者の血筋というものの魔力なのかはわからないが、彼が政治に参加すると、大変な騒ぎが起こるということだけは理解できた。
恐らくは対立どころではなく、王都の八割くらいは引きつれることができるだろう。
だから、支持したいのであれば、この町に住むことが一番良いのだ。
貴族を辞めることは、そう簡単ではない。
信用できる人間に引き継ぎをする必要だってあるし、手続きは山のように必要だ。
でも、たったそれだけで、彼が王であるこの町に住むことができるのなら、いいかもしれない。
そのことを祖父に相談すると、生まれて初めて見るような、心底嬉しそうな顔をした。
今わの際になって、初めて祖父のことが少し分かった気がした。
来年、アークの成人式が行われる。
その時までには、フェルガウへ来られるように準備しておこう。
ルフレオは、王都への帰路を進みながら、そう考えていた。




