わかってくれると信じていた
すがすがしいほどに、秋晴れの空だった。
馬車の窓枠に肘を預け、キテラは外の景色を眺めていた。
今日はいつもの真っ黒なローブは着ておらず、フード付きのワインレッドの外套と、光沢のある金のワンピースだ。
本当はあまり派手な格好はしたくないのだが、カーレッジから仕事に付いてくるなら着がえろと言われ、渋々着たものである。
そのカーレッジは、向かいの席で腕を組んで寝息をたてている。
カーレッジの組織は仲卸業もやっており、その新しい流通の開拓のためにバールという町へ向かっているところだった。
自前の馬車の後ろには、部下のふたりがそれぞれ馬でついてきている。
一昼夜をかけて、一行はバールへと到着した。
「スパイスの匂いだ」
キテラは馬車から降りながら言う。
宿の前からではわからないが、大通りでは露店が並んでいると聞く。
「バールは香辛料の生産が盛んな地域だ。水があんまり良くなくてな、安全に飲むために飲み水と香辛料を一緒に煮るんだよ」
カーレッジも馬車から降りて、馬や荷物のことを部下に指示した。
「それは、味のついた水にならないのかい?」
「なるよ。そういうもんなんだよ」
誰もか彼もが魔法で水を出せるわけではない。
貧しい地域であったなら、魔法に対する学びも足りなくて、水を得ることはさらに難しくなる。
今となっては栄えた町であり、無色透明な水も手に入るものだが、大昔から味のついた水を飲んできた彼らにとっては、飲み水とは味のついているものなのだろう。
「商談は明日だ。今日は適当にぶらつくぞ」
「彼らは待たないのかい?」
「一緒に歩いたら目立つだろ。お前忘れてるかも知れねえけど、オレさまは今子供だぞ」
「ああ、そうか。私にはどうしても君の姿は以前のままに見えてしまう」
カーレッジは肩をすくめて歩き出した。
その後ろ姿ですら、キテラには大きな背中に見えている。
実在しない、触れられない、すでにこの時間には存在しないカーレッジの姿が、キテラの目には今のカーレッジの身体と重なって見えている。
真実を見せる目は、時に残酷だ。
一度無くした大切なものを目の前でちらつかされて、離れることなどできるわけがない。
カーレッジの負担にはなりたくないし、今の自分ならなることはないと思えるが、それでも、思い通りにいかないもどかしさは感じていた。
大通りに出ると、圧倒的な熱気に、キテラは気圧された。
おそらく、ここは香辛料の聖地なのだと、その様子から悟るには十分だった。
簡易的なテントの下で、大きなカゴにいくつもの種類の香辛料が入っており、量り売りをしていた。
野菜や果物も、今朝取れたものらしく、みずみずしいものばかりであった。
しかしキテラは料理をする方ではないし、それはカーレッジも同じだ。
だから、ここで買う物はとくにないのだが、雰囲気を味わいたくて、カーレッジに頼んでココナッツのジュースを買ってもらった。
緑色の果実に穴を開けて、そこから飲む野性的なものらしく、その見た目が気に入ったのだ。
「……ん?」
キテラは少し飲んで、すぐに口を離した。
まず、果実にしては美味しくない。
甘みもほとんどなく、水を詰めたのかと思うほどだ。
店先に積まれていたから当たり前だが、果汁がぬるい。
つまるところ、これは、常温放置された水だ。
「なんて顔してんだよ」
「いや、なんというか、思ったほどではなかった」
「まあ、普段良い果物食べ慣れてると物足りないわな」
そう言って、カーレッジはキテラからココナッツを取り上げる。
そして、腰のポーチからナイフを取り出すと、ココナッツの穴を広げて、中の果肉を削いだ。
「中身の方が美味いぞ」
「……ん、なるほど。これなら分かる」
「何がだ」
シャキシャキとした食感と、仄かな甘みがある。
しかし、好んでたくさん食べるようなものでもないような気がした。
「これはアケディアにあげよう」
「食い止しじゃねえか。新しいの買ってやれよ」
ふんふん、と適当に返事をしながら、キテラは食べかけのココナッツを闇の穴の中へと放り込んだ。
この中はポケットになっており、物が無制限に入れられる。
穴より大きなものは入らないが、小物を持って歩くには便利なものだ。
ぶらぶらと歩いているうちに、ふと、キテラは一軒の土産屋が気になった。
民族的な彫り物や飾りの中に、ひっそりと並べられた木の仮面に、目を引かれた。
手に取ってみると、一本の木から掘り出したものであることがわかり、その内側にはびっしりと文字が刻まれている。
さらに、微量ながら魔力を感じた。
「何だその気持ち悪いものは」
「カーレッジ、この文字を見たことはあるかい?」
カーレッジは仮面の裏を見て顔をしかめる。
「……呪詛だな。古代語だ」
「命の定着、容器。そんな意味の言葉が書かれている。この仮面を作った人は何者なんだろうね」
「悪趣味なやつだろ。いいから置いとけよ」
キテラは面を受け取って、カーレッジへ手のひらを差し出した。
「は?」
「お金」
カーレッジは無言でキテラが手にした面を掴む。
「離せ。返してくる」
「いやだ! 買う!」
「やめろって! そんなもん買ってもろくなことにならねえから!」
キテラがあまりにも本気で掴んでいるため、カーレッジが引き剥がそうとしてもビクともしない。
やがて見物する人間が出始めたところで、カーレッジが手を離した。
大きなため息をつき、キテラへお金を渡す。
「お前、絶対ちゃんと管理しろよ。何かあったらすぐ叩き割るからな」
「ありがとう、カーレッジ。わかってくれると信じていた」
「どの口が……」
キテラはご機嫌な様子で木の面を購入し、店を後にした。
禍々しく不吉な雰囲気があるとはいえ、自分に御せられないものではないだろうと、キテラはたかをくくっていた。