私でよければ
夜もてっぺんを通り過ぎ、東の空が白み始めたころ、山の下からガンドゥが羽ばたき戻ってきた。
エキドナは今度は顔を上げもしなかった。
「は、母上」
ガンドゥに先程のような覇気はなく、頭を垂れていた。
「今度はなんだ?」
「身勝手な行動をしてしまい、申し訳ありません」
意外な言葉に、エキドナも眉根を上げた。
「俺は、あなたに反発をして、袂を別ったことを後悔していました。しかし、出て行った手前、力をつけて帰る以外なく……。がむしゃらに鍛錬を積みましたが、やはり母上には敵わない。愚かな息子ではありますが、あなたさまの元へ戻ることを、お許しいただきたくございます」
どうやら、長い家出だったらしい。
エキドナは大きなため息をついて、言った。
「よい。好きにしろ」
「ご温情、感謝いたします」
まるで親子とは思えないそのやり取りを、アークは黙って聞いていた。
すると、彼の背後から、もう一匹大きな黄金色の竜と、小さな三匹の竜が現れた。
「俺の家族です、母上。子供も生まれました」
「おお、なんと……」
それまで興味なさげに相手をしていたエキドナも、身を乗り出してその子竜の姿を見る。
黄金色の竜も会釈をし、子供たちはその影に隠れた。
「まだまだ小僧だと思っていたが、立派に一人前になったではないか」
エキドナは目を細めて嬉しそうに言った。
「そうだ。お前たちもここで星を見るがいい。この人間たちと一緒にな」
「星ですか」
「うむ。もうじき、ズイ・ラータがあるようだ」
「なんと、それは俺も子供に見せてやりたいところです」
アークは軽い自己紹介をして、ガンドゥの大きすぎる手と握手を交わした。
彼の子供たちは興味深そうにアークの匂いを嗅いでいる。
「ははっ、くすぐったいですね!」
「これ、お前たちやめないか。母上の友人だぞ」
「かまいませんよ。子供のドラゴンを見るのは初めてです」
アークがそうやって子竜と戯れていると、朝になって目が覚めたであろうラメールが寝ぼけ眼をこすりながら起きて来た。
「何があったんですかぁ? なんだか、声がたくさんして……うわあああああ!」
ラメールが頭上を囲う大きな影に驚いて腰を抜かす。
それを見て、竜たちは笑った。
アークたちが山へ来てから、四日が経った。
毎夜毎晩、ずっと空を眺めているが、大星降りどころか、一本の流星すらない。
しかしそれは、来るべきに備えているのだろうとアークは思った。
五日目の夜。
とうとう、それは来た。
「あっ……」
一筋の光を見て、アークは思わず声を漏らす。
そして、それを皮切りに、空は無数の流星に覆われた。
光の涙とも言うべき光景は、恐ろしく美麗で幻想的で、しばらくの間、誰も言葉を発することなく、ただ空を見上げていた。
一時間に渡る大星降りを、アークは死ぬまで忘れることはないだろう。
興奮冷めやらぬまま、翌朝を迎え、アークとラメールは山を降りた。
その後ろでは、まだ家族の団欒が続いていた。
ガンドゥもこの山に住むのだろうか。
それとも、エキドナを連れて、別のところへ引っ越すのだろうか。
その答えはわからないが、みんなが幸せに、納得できるようになればいいな、とアークは思った。
帰り道、アークはずっと考えていた。
もやもやとした感情が心の内にあり、それが何なのか、わからなかった。
五合ほど降ったころ、ついに我慢出来ずに、アークは口を開いた。
「……ラメールさん」
「はい?」
「僕らも、家族なんですよね?」
「うえ!? え、あ、はい! もちろんですよ!」
ラメールは戸惑いながらも言う。
アークは両親が幼いころに病死して、ゼオルとブラドと三人で暮らしてきた。
ふたりともよくやってくれている。
しかし、アークはふたりに親代わりを求めたわけではない。
それはお互いに重荷になるし、良い結果は生まないと、幼心に分かっていた。
だがそれは、寂しさを感じるかどうかとは、無関係な話だ。
アークが立ち止まって足元を見つめていると、ラメールが大きな体でそっとアークを包んだ。
ひやりとした感触が、皮膚に伝わる。
「……私も、よくアークさまのことは聞いていますし、両親がいなくて、不安な気持ちになったこともあるだろうと思います。それをふまえても、アークさまは、ちょっと我慢しすぎに感じます。良い子で反抗しないのではなく、できないのではありませんか?」
その言葉は、アークの心の柔らかい部分に刺さった。
そう、反抗できない。
ゼオルやブラドに、負い目を感じているから。
「……すみません、差し出がましい真似をしてしまいました」
ラメールは申し訳なさそうに、アークから体を離そうとする。
しかし、アークはその手を掴んだ。
「もう少し、こうしていてもらってもいいですか?」
「……私でよければ、いくらでも」
静かな山道の片隅で、しばらくの間、ふたりはそうしていた。
ゼオルでもなく、ブラドでもなく。
一番遠いところにいるはずのラメールの腕の内が、今のアークには一番安心できた。




