身の程知らずであったことを悔やめ
城の入り口でみんなと別れたアークとゼオルは、駆け抜けるようにして廊下を進んでいた。
「我の城と構造が似ているな」
ゼオルがぽつりと呟く。
「そうなんですか?」
「うむ。この先は部屋になっていて、その奥にヘルはいるだろう。おそらくは、前へは出てこずに待っているはずだ。我がそうだったからな」
ゼオルの言う通り、廊下の先には部屋があった。
ベージュ色のふわふわとした服を着た少女がそこにはいる。
ゴートから聞いていた、強欲のアワリティアだ。
彼女は言葉も発さず、部屋の端に寄った。
邪魔をしないという意思表示だ。
「あ、ありがとうございます」
アークがお礼を言うと、彼女は不満そうな顔をして、そっぽを向いた。
とにかく、アークは彼女の気が変わらないうちに、さっさと部屋を通り抜けてしまうことにした。
奥の扉を開くと、上へと続く氷の階段が現れた。
この先に、ヘルが待ち構えている。
上から下へと流れ出る冷気は、まるで威嚇であり、これ以上登ってくるなと言っているようであった。
「アーク、カーレッジからどんなアドバイスをもらっているかは知らんが、あまり気負うなよ。負けても我がいる。勝てなさそうだと少しでも思ったら、怪我をする前に必ず退がれ」
ゼオルは心配そうな顔をしてアークを見ていた。
本当は戦ってほしくないのだろうということが、痛いほど伝わってくる。
「わかっています。僕もまだ修行を始めたばかりですし、無理はしないようにします」
「わかればよい。冷静に立ち振る舞えよ」
「はい!」
階段の先は、広いホールになっていた。
少し高くなったところには玉座があり、ヘルが待ち構えるようにして座っていた。
「貴様も来たか。ゼオルよ」
「ふん。我は保護者だからな。それにしても随分と顔色がいいじゃないか」
「八割、といったところだがな」
ヘルが立ち上がり、紅のマントをはためかせる。
氷の体は分厚く盛り上がり、アークが初めてあった時よりも体格が良くなっている気がした。
「さて、弱ったお前とやるのは不本意だが、仕方あるまい」
「何をバカなことを言っている? 我は保護者だと言ったはずだが」
「何だと?」
アークはヘルを見据えて前へ出た。
片手に天空の剣を握り、ヘルへと向ける。
「僕が相手だ。ミスカさんの敵討ちをさせてもらいます」
「あの時の小僧か。諦めていないことは褒めてやるが、お前死ぬぞ」
「やってみればいい。僕だって、そう簡単には殺されませんよ!」
『引き継ぐ力』を使って闇の盾を作り出す。
それを見て、ゼオルが感嘆の声をあげた。
「『冥闇の大盾』か! 良い魔法だ!」
一目見るだけでその効果まで理解したのは、ゼオルだけでなくヘルも同じようだ。
その厄介な盾を知っているために、苦々しい表情を浮かべているのだ。
「小僧、お前のようなやつが扱える魔法ではないはずだ。何をした」
「少し頑張っただけです!」
アークは、自身に使える身体能力強化の魔法をかけながら走った。
天空の剣には盾の他にはもう何も入っていない。
だから、ここからは自力でヘルを降さなければならない。
「小賢しいやつだ!」
ヘルの周囲に氷の粒手が浮かび、アークへ向けて発射された。
盾で受けると、氷は簡単に弾かれて消える。
これなら、とアークが思った瞬間、足元が凍った。
ヘルの発射した氷は、アークの周囲に突き刺さり、床を凍らせていた。
アーク自身を狙ったものではなかったことを察すると同時に、アークは腹部に衝撃を感じて、床を転がった。
わけのわからないまま、這いつくばりながら咳き込んだ。
ヘルが接近していることに、殴られて初めて気がついた。
「くっ、かはっ……!」
「その盾があると魔法が無効化されてしまうからな。お前は直接殴り殺す」
「ア、アーク!?」
ゼオルが悲鳴に近い声を上げ、駆け寄ろうとしたのを、アークは立ち上がりながら手で制した。
たったの一発でありながら、足元はふらつき、視界はぼやけて、手の力もあまり入らない。
口の中に鉄の味が広がっている。
気絶していないだけマシだと、自分でも思える。
周囲が強すぎる人だらけで、忘れてしまいそうになるが、これが普通なのだ。
魔族に殴られて立ち上がれる人間など、そうたくさんいない。
「まだやるか?」
ヘルは興味もなさそうにアークへ言う。
生かしておくことにも殺すことにも大して意味を感じないのだろう。
「……悔しいですけれど、今の僕ではあなたに勝つのは、難しいかもしれません」
「じゃあどいていろ。お前など虫と変わらん」
「勝つのは諦めます。でも、あなたに一撃でも当てないと、僕はミスカさんに顔向けできない……!」
アークの指先が仄かな光を携え始めた。
カーレッジに習った、勇者の血筋、光の力。
カーレッジのように全身へ行き渡らせることはできないし、発動できるのは一瞬だけ。
それでも、この距離なら当てられる。
「何をしようとしているか知らんが、死にたいなら殺してやる!」
ヘルの拳がトゲ状に変わり、アークの頭へと迫る。
「『極光の指輪』」
指から発射された小さな光球が、ヘルの前で大きく破裂する。
その衝撃はヘルだけを吹き飛ばして壁へ貼り付けにした。
「な、なんだこれは!?」
ヘルが身じろぎしても白い光に包まれた手足は壁から離れない。
「『極光の指輪』は、拘束する光の力です。僕は未熟なので、あと何秒ももたないでしょう」
アークはヘルの前へ立つと、天空の剣の先に『冥闇の大盾』を突き刺す。
まるで戦斧のようなその形態が、今のアークに使える最大の火力だと、カーレッジから習っている。
剣への魔力供給を断ち切ると凄まじく重く、これを振り回すことは簡単ではない。
さらには、本来の使い方とも違うため、高速と同じく数秒しか使えないものだ。
「うおおおおお!!」
ヘルは拘束を力づくで弾き飛ばすと同時に、両腕で氷の盾を作り、貝のように防御を固めた。
アークは剣を思い切り振りかぶって、盾の上から叩きつけた。
バキバキ、と氷が砕け、弾け飛ぶ。
闇の力により魔力が吸い取られ、氷は硬さを維持できない。
アークは自分の持っている魔力を全て筋力に回して、天空の剣を振り抜いた。
ゴッ、と鈍い音がして、ヘルの頭部は半分に割れた。
アークはやりすぎた、と一瞬だけ体の力を緩めてしまった。
すると、それを狙ったかのように、ヘルはアークを蹴り上げた。
「かはっ――――!」
「死ね!」
ヘルの手が巨大な氷塊へと形を変えて、アークの上に振り下ろされる。
アークは剣を縦にして、衝撃に備えた。
しかし、その氷塊がアークへ届くことはなかった。
「よくやったぞ、アーク。強くなったものだ」
「ゼオルさん……!」
ゼオルが、ヘルの一撃を片手で止めていた。
そして、空いた手で殴りつけると、その勢いのままヘルも床を転がっていった。
アークを抱き抱えると、少し離れたところに座らせる。
「さて、選手交代だ。ここからは我がやる。部下の躾すらできんようじゃ、魔王は名乗れないからな」
ゼオルは肩をグルグルと回し、ヘルの方へと歩いていった。
「ゼオルゥウウウ!!」
ヘルは頭を再生しながら奮起の声をあげた。
全盛期の十分の一も魔力を感じない魔王に、ヘルは少なからず恐れを感じていた。
どうしても記憶に染みついた魔王ゼオルの姿を思い出してしまう。
「我が怖いか。氷の魔人ヘルよ」
「怖いわけあるか! 今の貴様はただの女だ!」
「そう声を荒げるでない。魔王というものはもっと余裕を見せるものだぞ。こういう時こそな」
ゼオルは歩みを緩めず早めず、ゆっくりと歩いている。
ヘルは槍を取り出して、構えた。
油断をしているうちに、全力の一撃を加えて消し飛ばす。
魔力を足に集中させ、ヘルは弾け飛んだ。
「うおおおおお!!」
槍はゼオルの胴を貫く。
しかし、吹き飛ばすことはできず、ゼオルが突き刺さった槍を片手で掴むと、ヘルの力では抜くことができなくなった。
「いいか? 魔王というものは、攻撃を避けてはならない。敵の全力を正面から受け止め、さらなる力で叩き潰すのが魔王の在り方であり、矜持だ」
ヘルは槍を捨て、ゼオルを殴りつけた。
完全に入ったのだが、少しも揺るがない。
「そして、魔王は如何なる時も引いてはならない」
ゼオルは話しながら大きく右腕を振りかぶる。
今から全力で殴るという素振りを隠していない。
弓を引き絞るように、ゆっくりと力を溜めていく。
(受けろと言うのか? これを!?)
ヘルは恐れに手が止まった。
ゼオルの右腕に蓄えられた魔力は、すでにヘルの魔力の総量を上回っている。
攻撃を、やめさせなければ。
ヘルは拳を氷のトゲに変えて、ゼオルへ攻撃を続けた。
普通の生き物であれば一撃で粉砕し、瞬時に肉塊と化すはずの攻撃は、魔王にまったく通らず、やがては氷の方にヒビが入って砕けた。
「なん……だと……?」
「終わったか? 次はこっちの番だな」
あの魔力とゼオルの腕力で殴られたら、形を保ってはいられまい。
今度こそ、自分は死ぬ。
そう思った瞬間、ゼオルの拳が放たれた。
思わず目をつぶって、胴に衝撃を感じる。
だが、ヘルの体は、粉々にはならなかった。
「……え?」
ゼオルの腕はヘルの体に突き刺さっていた。
「あいつがな。誰も殺すなとうるさいからな。我にはお前を殺すことはできん。だが」
ゼオルの手がヘルの体内で開かれ、蒼い炎が出現する。
「灸を据えてやる。その炎は五百年は燃え続けるぞ。永久に体内で氷を作り続けて、身の程知らずであったことを悔やめ」
ヘルの体内の炎は熱く、呼吸も苦しい。
氷を作り続けなければ、体が溶かされてしまう。
魔力を外へ向ける余裕がない。
ヘルは体の形を保てなくなり、中に炎の塊を抱いたまま、大きな氷塊となった。
命を捨ててやり返す気も起きないほど、完全に敗北したのだ。
「ゼオルさん、勝ちましたね」
「部下に負けるようだと魔王は務まらん」
ゼオルはボロボロの体であったが、気にしていない様子であった。
「帰るぞ、アーク」
「はい、っと……」
アークは立とうとしてふらついた。
「背負ってやろうか?」
「やめておきます。せっかく勝ったんですから、堂々としましょう」
「うむ。ヘルよりもアークの方が魔王としての素質があるな」
「なりませんよ、魔王なんて」
笑い合いながら、ヘルの部屋から出ようとすると、ゼオルが何か気がついたように立ち止まった。
「待て待て。忘れていた」
「何をですか?」
「この不快な城を潰しておかねばな。先に帰っておけ。我はこれを壊して帰る」
ゼオルはそう言うと、壁を殴りつけた。
拳を中心に、蜘蛛の巣のようなヒビが入る。
「わかりました。巻き込まれないように気をつけてくださいね」
アークは天井からパラパラとも降ってくる氷を避けながら、外へと走った。
城の外へ出ると、他のみんなも無事な様子で待っていた。
戦った七つの大罪のうち、ここにいないものはひとりだけのようだ。
向こうも命をかけてやっているのだ。
そう易々と懐柔できるものではない。
仲間を責めるのはやめよう。
そう思い、彼らの元へ行くと、ゴートが歩み寄ってきた。
「アーク、無事だったか」
「肋骨が折れているようなので無事と言えるかはわかりませんが、生きてはいます」
「生きているなら無事だってことだろ」
「そういうものなんですかね」
アークが笑うと、直後に城が崩れた。
地響きがして、瓦礫の合間から白煙が上がる。
「な、何やってんだあいつ?」
「城を解体するって言ってましたよ」
「中からか? やることぶっ飛んでんな、あいつ……」
ゴートが呆れたように城の跡地を見た。
中から瓦礫をかき分けて這い出てくるゼオルの姿がある。
アークも並んで見ていると、カーレッジから肩を叩かれた。
「どうだった?」
「カーレッジさんの言った通りのやり方でいけました。ありがとうございました」
「バーカ、まだ終わりじゃねえよ。これから強くなるんだぞ、お前は」
「……はい!」
アークよりも身長の低いカーレッジに頭をクシャと撫でられ、なんだか少し恥ずかしい気持ちになった。
それから、何十日か過ぎて、インヴィディアは北の地を離れて、南へと進んでいた。
傍らには、ルッスーリアもいる。
七つの大罪は解体となり、ヘルに脅されていたということで、二度と罪を犯さないことを条件に、不問にすると決まったらしい。
インヴィディアは頭部だけになったルッスーリアのために、専用のカゴを作った。
背負った荷物に刺さった短い棒に、そのカゴは繋がっている。
インヴィディアが歩くと、カゴは少し揺れた。
「どこまで行くんだ?」
「さあ、どこまで行こうか」
インヴィディアは、ルッスーリアが首だけになったことが、たまらなく嬉しかった。
首だけの彼はもう二度と女を抱くことはできない。
それだけでなく、自分なしでは移動も食事も何もできない。
彼はただそこにいるだけしかできないのだ。
インヴィディアにとって、振り向いてくれない彼を手中に収める唯一の方法が、彼を首だけにすることだった。
首をねじ切る呪いである『家貧孝子』を使ったのも、ルッスーリアが巻き込まれることを期待してのことだったのだ。
まさか、こんな形で望んだものを手に入れられるとは思ってもいなかった。
「何笑ってんだ?」
「……いや、別に。楽しくてさ」
インヴィディアがそう言うと、ルッスーリアは眉をひそめた。
今日は雲ひとつない快晴だ。
それはまるでインヴィディアの心のように、どこまでも透き通る青色に染められていた。