まだやるか
「アケディア、頼む」
キテラが何もない空間へ向かって言うと、透明な箱が現れた。
アークも話には聞いていたが、ここにいなくても発動できる魔法とは不思議なものだ。
「その箱の魔法って、アケディア、という方がやっているんですよね? どこにいるんですか?」
「私の家さ。彼は体の外に生命力が霧散し続ける病気でね。普通の空間にいたら半月ともたない。私の声はあの部屋へ届くから、そこから魔法を使ってもらっているんだ。彼に会ってみるかい?」
「えっと、そうですね。お礼も言いたいですし」
キテラに連れられて箱の中へ入ると、その瞬間に景色が変わって、図書室の中心にアークは立っていた。
二階のテラスで、気怠そうな少年が、フワフワと浮かんでいた。
「お前がアークか」
少年はアークの元へと降り立つと、そう言って顔を覗き込んだ。
アークはたまらず顔を背けてしまう。
「ふーん。スペルビアが惚れるだけのことはある。美男子だ」
「そうだろう? なぜならカーレッジの子孫だからさ」
「なんでおばさんが自慢げなんだよ」
ドヤ顔をするキテラに彼は冷静に言ってのけた。
「スペルビアさ、最後どうだった? 悲しんでたか? 怒ってたか?」
「……ミスカさんは」
話そうとして、またあの時のことを思い出した。
背で喋りながら、少しずつ弱っていく声。
冷たくなる手足、凍りつく体。
アークは色んな感情をぐっとこらえ、彼に言う。
「とても穏やかな最後でした」
「……そっか。なら良かった」
彼には彼の思うところがあるのだろう。
複雑な表情をしてそう答えた。
「アケディア、フェルガウの方へ玄関を繋げてくれ」
「はいよ」
アケディアが両手で素早く印を結ぶと、部屋の入り口のドアが光り輝き、ゼオルとブレイン、ゴートとグーラの四人が入ってきた。
「グーラのおっさん、話には聞いてたけどマジで女の子になっちまったんだな……」
アケディアが神妙な顔で言う。
「小僧、わしの知り合いらしいな。どうだ、わしと切り合わんか」
「中身は変わってなさそうだな」
全員が揃ったところで、カーレッジが手を叩いて注目を集めた。
「よーし、お前ら。これから敵の本拠地へ乗り込む。ヘルの相手はゼオルとアーク。ルッスーリアはブレインとグーラ。インヴィディアはオレさまとキテラ。イーラはゴート。それぞれ相手するやつだけをめがけて走れ」
それを聞いてゼオルが鼻で笑う。
「到底作戦などと呼べるものではないな」
「緻密な作戦なんてのは自分より強ぇ奴を相手にする時だけでいいんだよ。オレさまたちには必要ねえ」
部屋の扉の縁が、もう一度光った。
この扉の向こうは北限の地、アイスランドへと繋がっている。
インヴィディアは、ヘルの作り上げた氷の城の一室にいた。
いずれ攻めてくる敵を迎え撃つために、城の入り口から四つの廊下に分けられており、そのどれかを通らなければ城の奥へは進めない。
インヴィディアからしてもそれは理にかなっていない構造だった。
全員で待ち構えなければ、もし敵が大勢で一室へ攻めてきたらどうするつもりなのだろう。
心理的に通りにくくするため、廊下の幅は人間ひとり分にしてあるのだが、それでも変であると感じずにはいられなかった。
ルッスーリアが言うには、これは大昔にあった魔王ゼオルの城を模しているらしい。
魔王ゼオルの配下には四天王というものがおり、それぞれがこうして敵を迎え撃ったと言うのだ。
「お、いたいた」
廊下の向こうからやってくるふたつの人影。
巨大な斧を持った金髪で薄着の少女と、黒いローブを着た怪しげな女。
光の勇者カーレッジと、闇の魔女キテラだ。
「懐かしい部屋だな。オレさまはバカの部屋と呼んでいたが、ヘルが真似するとはな」
「君がインヴィディアだね? 私はキテラ。君が望むのなら、降伏を受け入れる準備はあるよ」
インヴィディアの背筋を冷たいものが流れる。
穏やかそうな顔をしているが、とてつもない瘴気を感じる。
断ったら殺す、と暗に言っていることが、雰囲気から十分すぎるほどに伝わる。
(前時代の怪物、これほどとは……)
こうして対峙してみると、アワリティアがあれだけ恐れていた理由もわかるものだ。
しかし、インヴィディアにも退けない理由がある。
ルッスーリアは、彼らと戦うと言った。
だから、裏切れない。
「……答えが聞こえねえな」
「大地を焦がす灼熱の鎧よ。我を守りたまえ」
インヴィディアの体に、鈍い赤色の光を放つ、溶岩の鎧がまとわりつく。
「天を焦がす灼熱の槍よ。我に力を」
円錐状に突起した、溶岩の突撃槍が地を突き破り、インヴィディアの手に収まる。
『絶えず燃える地の装具』はインヴィディアの奥義とも言える魔法で、初めからこれを使ったことはない。
「なるほど、触れねえようになってんだな」
「それどころか、魔法への対策もできている。素晴らしい魔法だ」
ふたりは感心したようにインヴィディアを見てそう言った。
まだ彼らがこちらを侮っている、今が最大の勝機だ。
インヴィディアは槍を構えた。
そして、背中が大きく膨らみ、噴煙と共に破裂し、凄まじい速さでカーレッジへと迫った。
「うおおおおおお!!」
槍は易々とカーレッジを貫く。
回転して遺体を投げ飛ばし、そのままの勢いでキテラへと攻撃を放つ。
「次だッ!」
「ははっ、すごいな」
キテラの指先から放たれた極小の闇が眼前に突然現れたが、インヴィディアは鎧の破裂を利用して咄嗟にそれを避けた。
槍の先端がキテラに届きそうになった瞬間に、その部分に斧が振り下ろされ、攻撃を止められた。
インヴィディアはカーレッジが死んでも復活することは知っている。
だから、攻撃をそこで止めず、折れた槍をキテラへ向けて炎の弾を射出した。
間を置かずに一瞬で発射された五発の弾丸は、キテラを覆うようにして発生した板状の闇に吸い込まれてしまう。
カーレッジの意識がそちらに向いた瞬間に、インヴィディアは槍を地面に突き刺して支えにし、鎧の噴射の威力を乗せて彼女を蹴り飛ばした。
闇の切れ間に見えるキテラの目が、カーレッジへと釘付けになっている。
その喉をめがけて槍を振るうと、闇がまるで生き物のように、槍へと絡みついた。
「くっ、外れないか!」
遠くで咳き込むカーレッジが見える。
ここで畳み掛ければまだ間に合うのだが、なぜだか槍を持った手が外れない。
「カーレッジを蹴ったな……」
闇の向こうから、キテラが強く睨んでいるのがわかる。
インヴィディアはまるでヘビに睨まれたカエルのように、固まってしまった。
「カーレッジは、死んでも生き返る。でも、殴られると痛いんだ。殴られても、死なないから……」
「な、何だ!何を言っている!」
「許さない。カーレッジが痛がっている。痛がらないように殺して欲しいのに」
闇が、槍を伝ってインヴィディアの体に這い上ってくる。
恐ろしくはっきりと、インヴィディアの脳内に、死が描かれた。
「お前も痛がれ……」
闇の触れたところが、焼けつくように熱くなったかと思うと、すぐに傷口をナイフで抉るような痛みが走った。
「ぐあああああああ!!」
痛みに耐えかね、空いた手で剥がそうとしても、闇はまるで液体のように掴みづらく、生き物のように張りついている。
インヴィディアは体の前面にある鎧を破裂させて体を後ろへ吹き飛ばし、闇から逃れた。
腕は鎧を剥がされて皮膚が焼けただれており、まったく動かない。
(異常すぎる! 殺さなかったからキレるだなんて!)
距離を置いていると、彼女の闇は質量を増して体を包み込み、羽の生えた人の形に変わろうとしていた。
彼女に釘づけになっていると、不意に肩を叩かれた。
「おい、まだやるか?」
「え?」
カーレッジが斧を担いで、インヴィディアのとなりに立っていた。
その視線はキテラへと注がれている。
「あれとやりたいなら止めねえ。好きにしろ。もうやめるっつーなら、なんとかしてやる」
「な、何を……」
キテラを覆う闇が、体にそって形を変えて、全く別の生き物のようになっていた。
山羊の頭と足、闇を固めた黒い翼を持つ、恐ろしい姿になったキテラは、金色の瞳でインヴィディアだけを真っ直ぐに見つめていた。
おそらくは、カーレッジがとなりにいることすら認識できていないのだろう。
一歩踏み出すたびに、その足が沼のように沈み、足跡は深い闇となって周囲のものを飲み込んでいく。
インヴィディアは感じた。
恐怖が形を持っている。
魔法や精霊とも別の、邪悪な何かが目の前にいる。
「ぼ、僕の負けだ。あんなの、勝てるわけがない……」
「よし。じゃあ、下がってろ」
カーレッジは斧を投げ捨て、キテラに向かっていく。
「ブモオオオオオオ……」
「おい、何キレてんだ」
カーレッジがキテラの行く手を塞ぐと、キテラは何の躊躇もなくカーレッジを殴りつけた。
「ぐっ……」
態勢を崩したものの、カーレッジは倒れなかった。
「……キテラ、戻れ。その姿はお前に相応しくない」
また、キテラはカーレッジを殴った。
額が切れて、血が出るも、カーレッジは彼女の前に立ち塞がることをやめなかった。
そして、ゆっくりと近づき、抱擁した。
「オレさまは大丈夫だから。もう、落ち着け」
そうやって優しく語りかけると、キテラは足を止めた。
体が崩れ落ちていき、闇は辺りに散って消えていく。
インヴィディアは夢でも見ているのかと思った。
前時代というのはこんな化け物ばかりなのか。
「……さて、インヴィディアだっけ? 全部終わるまでは縛らせてもらうぞ」
戦意喪失したインヴィディアに、抵抗できるだけの意思はなかった。




