そんなに良いものなはずないのに
アワリティアは、ヘルの役に立つという作戦のため、魔力の宝玉を探していた。
アイスランドからは一度離れ、まっすぐ南下したところにあるジェスタという町で民宿に泊まっていた。
アワリティアの組織は少数精鋭をモットーとしており、わらわらと煩わしい付き添いなどはいない。
組織直営の宿を使い、外に数人の部下を待機させている。
訪ねてくる人間は敵だと判断しろと命令しており、今日すでに宿を訪ねた五人を始末した。
アワリティアがそこまで神経質に身辺の警備をしているのには理由があった。
ゼオルやカーレッジなどの前時代の化け物たちがいつこちらに攻めてくるかわからないのだ。
些細なトラブルすら、今は避けたい。
カーテンを閉め切った自室で、アワリティアは息の詰まるような毎日を送っていた。
以前までの自分なら、尊大に振る舞うことをやめなかっただろうし、その結果自分が負けるところなど、想像もしなかった。
しかし今は、勝てる画が全く見えない。
加えて、背後には氷の針である。
進退窮まった人間の意志力などちっぽけなもので、自然と現状維持に努めてしまう。
それを、アワリティアは身をもって体感していた。
日が暮れて、ようやくアワリティアはほっとしたような気持ちで部下に夕食を持ってくるように言いつけた。
心身の自由を封じられた人間の娯楽は、食事しかないのだ。
しばらくして、アワリティアの元へ最高級の食事が到着した。
台車に乗せられた魚やパンや果物。
唾液が溢れそうになるのをこらえながら、給仕した部下に言う。
「あなたが毒味をなさい」
深めのフードを被った部下は、顔も見せず静かに銀の匙を懐から取り出す。
顔が見えないように指示を出したのはアワリティアだ。
人の目線を見ると、みなが自分の命を狙っているような錯覚が起こって、たまらなく怖かったからだ。
目線も声も封じ、みなには人形になるように命じた。
普段なら、こんな自分の首を絞めるようなことはしなかっただろう。
それくらいに、アワリティアの精神は追い詰められていたのだ。
毒味が終わり、問題がないことがわかると、部下を部屋から出し、食事にありついた。
なりふりも構わず、粗野に食べ物を口へ運ぶ。
誰も見ていないところでお上品に振る舞うことにどれだけの価値があるのか。
「……さすがのお前も、相当参ってるようだな」
聞きなれない声がして、アワリティアは反射的に手にしたフォークをその声の方へと投げる。
黒い髪と目をした侵入者は、簡単にフォークを掴んで止めた。
「おっと、危ねえな」
「誰?」
アワリティアの周囲に凄まじい風の波が起こる。
「待て待て。おれは戦いに来たんじゃねえ」
「質問に答えて」
「……ゴートだ。こんな姿になっちまったけどよ」
「……は?」
アワリティアは山賊王を名乗る彼女を見た。
たしかに、服装はよく似ているし、彼の好きだった狼の牙のアクセサリーをしている。
「説明してもわかんねえだろうから、今は省くぜ。今おれはゼオルの側にいる。だからよ、昔馴染みのお前に提案をしに来たんだ」
「命乞いしろなんて、言うつもりじゃないでしょうね」
「言うわけねえだろ。おれだってお前の気性は知っている。そんなことするくらいなら抗って死ぬ方を選ぶだろう」
そう言う彼女は、たしかにゴートに見えた。
アワリティアがひとまず話を聞くために風をおさめると、ゴートはベッドに腰をかけた。
「まあ、聞け。これはまだゼオルやカーレッジにも言ってないことだが、お前がヘルに手を貸さないのなら、身の安全を保証してやる」
「あなたにそんな権限があるの?」
「一応、対等なんだぜ。それに、おれたちは正義の味方ってわけじゃなく、ヘルを痛い目にあわせたいだけだからな。お前に固執しているやつはいない。だから、邪魔さえしなければ、わざわざお前を追うことはない」
ゴートの言うことには一理あった。
アワリティアはグーラに頼んで鋼鉄の城の主人を捕らえてもらおうとした。
しかし、それが失敗してグーラが行方不明になっても、こちらにアクションを起こしてくる様子はない。
グーラがアワリティアに頼まれたことを隠すはずはないのに。
「あの、城の主人は、私を追う気はないの?」
「ブレインのことか? お前のことなんて歯牙にもかけてないぞ。あいつが恨んでるのは、ルッスーリアだけみたいだ」
「あ、ああ、そうなの……そうなのね……」
「そもそも、お前を説得してこいって頼んで来たのはあいつだ。だから、そっちから攻撃されることはないと考えていい」
それを聞いて、アワリティアはへなへなと椅子に沈んだ。
「なんだか、力が抜けたわ。私、別に隠れる必要なかったのね」
「まあな。そんで、どうすんだ?」
ゴートに聞かれ、アワリティアは考えた。
状況が少し変わった。
今ならヘルを裏切っても生き残ることは可能かもしれない。
しかし、とアワリティアは胸を手で強く握った。
「ありがたい話だけど、私には呪氷がある。これをどうにかしない限り、ヘルに逆らえないわ」
「うちなら解けるやつがいる」
「え?」
「闇の魔女キテラは反詩を使える。飛んでくる魔法を消せるくらいの、かなり高水準な反詩だ。ちなみに、アケディアとグーラは呪氷を消してこっちについたぞ」
「――――ちょっと待って、グーラもそっちについたって?」
グーラのような狂人が説得に応じたり、呪氷を怖がっているとは思えない。
それに、アケディアもヘルを裏切るはずはない。
彼は体が弱く、ヘルの魔力無しじゃ生きられないからだ。
「グーラは記憶を失っている。だからお前のことも覚えていないが、以前に比べればまともになった。アケディアはキテラの保護下に入っている。その証拠に、おれがどうやってこの町に来たと思う?」
考えてみれば、彼らの住んでいる町からここまでは馬を使っても二十日はかかるはずだ。
突然現れたゴートに気を奪われてそこまで疑問に思わなかった。
「それと、お前がここで手を引くなら、イーラの持っている奴隷商の権利をそのままお前に譲ってやる。どうだ? お前にはひとつも悪い話はないだろう」
「……その話が本当ならね」
「まだ疑うか!」
「だって、そうでしょう? そこまでやってあなたに何のメリットがあるの? まだ話していないことがあるんじゃないの?」
ここまでは、たしかにおいしい話だ。
何ひとつ拒否する理由はない。
だから、疑わしいのだ。
「おれのメリットか。考えていなかったな」
「はあ? ふざけてんの?」
「いや、本当にそうなんだよ。なんつーか、そういう欲みたいなもんがなくなってな」
「バカにしてんの? あんたから欲をとったら何も残らないでしょ」
アワリティアは苛ついて前のめりになる。
「お前にこう言うと怒るだろうけどよ、家族っていいもんだぜ。うまく言えねえけど、こう、暖かくてな」
「とうとう頭おかしくなったのね! それか洗脳されてる! あんたがゴートだなんて信じた私がバカだった!」
「おれは本物さ。お前だってなんとなくわかってんだろ。前と決定的に変わってしまったことを認めたくねえんだ。それを認めたら、変わろうと足掻いて変われなかったお前の立場がなくなっちまうからな」
「うるさい!」
アワリティアは皿を投げつけるも、ゴートはさっと身を躱す。
「じゃあよ、答えは行動で示してくれ。おれは帰る。このままここにいたら殺されそうだからな」
「逃すか! 死ね!」
荒れ狂う突風が部屋の中に起こり、ゴートに届きそうになったところで、透明な四角の箱――――アケディアの空間魔法が起こり、ゴートの姿が消えた。
しかし、アワリティアの風の魔法はそこで止まらず、家具を全て巻き込みながら、天井を吹き飛ばした。
「うわあああああああ!!」
アワリティアは感情を吐き出すようにして、夜空へ向かって叫んだ。
ゴートに対して、圧倒的な敗北感を抱いてしまったことを、認めたくなかった。
力の限り叫んだあと、ため息をつき、頭を抱えて、部屋の隅に座り込む。
何事か、と部屋に入って来た部下たちを手振りで追い出し、アワリティアは目を閉じた。
ここで引いたら、自分は完全にゴートに対して負けを認めたことになる。
しかし、どう戦っても勝ち目はない。
自分の力でヘルを降すことが理想とはいえ、そんなことは到底可能ではない。
理性と感情の間で、アワリティアは揺れていた。
今は恥辱に耐えて、後の人生を買うべきなのはわかっている。
死ななければ、ゴートにやり返す機会もある。
悔しい。
家族などという軟派なものに毒されたあいつの言うことを聞くしかないのが、とてつもなく悔しい。
「そんなに良いものなはず、ないのに……!」
口からこぼれ落ちた言葉は、誰にも聞かれることなく、夜風に吹かれて消えた。
アークの修行は、日に日に進んでいた。
初めはすぐに吹き飛ばされていたアークも、少しずつ耐えることができるようになり、やがて、完全に魔力を受け抜くことができるようになった。
「や、やりました!やりましたよ!」
「ここまで八日か。まずまずだな」
カーレッジは口ではそう言うものの、嬉しそうな顔をしていた。
「アーク、早速使ってみせてくれ」
「はい!」
アークがキテラから受け取った魔法は、盾の魔法だ。
剣を握るとすぐに発動して、左手にまるで光沢のない、深淵のような黒くて小さな丸い盾が現れた。
「バックラーですか?」
「大きさは意識すれば自在に変えられるさ。ではいくぞ。盾で受けてみるといい」
キテラは言い終わるや否や、指先から炎の球を放出した。
アークが反射的に盾で受けると、炎の球はかき消えた。
「え、消えた……?」
「上出来だ。『冥闇の大盾』は、魔力を吸い込む闇の盾だ。当たった衝撃すらなかっただろう。許容量はあるが、大きければ大きいほど、たくさんの魔法を吸い込める」
「す、すごい。ありがとうございます!」
「まだお礼を言うには早いよ。君はまだこれからいくつか魔法を覚えてもらうからね。一通りの属性に対する耐性くらいはあった方がいい」
キテラが次の魔法を準備しようとすると、カーレッジがそれを制止した。
「待て。先に攻撃の方を詰めておきたい。敵の居場所もわかったことだし、これが終わったら一度実戦の経験を積んでもらおう」
「居場所、わかったんですか?」
「おう。ついこの間な。どうやら戦うつもりらしいぜ」
カーレッジはどうやら降伏すると思っていたらしい。
「攻撃って、どうするんですか? この剣だと振るのも難しいですよ」
「ああ、それな。小さくできるぞ」
そう言われて、剣に念じてみると、たしかに大きさを変えられるようであった。
元の大きな剣の姿から、ブロードソードのような形に変えると、重さはあまり変わらないが、片手でも扱えるようになった。
「その形のまま、手の平から魔力を流し込んでみろ」
言われた通りにすると、剣は少しだけ軽くなった。
しかし、ずっと魔力を吸い続けるようで、アークはまだ何もしていないのに、体がずっしりと重くなったような疲労感を覚えた。
「こ、これで、戦えるんですか?」
「いや、無理だろうな。五年もあればそこそこにしてやれるが、今はそんな時間もない。だが、お前にはもうひとつの武器がある。これからやるのはそっちで、これはオマケだ」
「もうひとつの武器?」
カーレッジが胸を張ってドンと叩く。
「勇者の血筋だ。オレさまの『不屈の勇者』まではいかずとも、光の力を使うことはできる」
「どうやって確かめたらいいんですか?」
「魔法を使うのと同じだ。まずは認識。それから操作。お前はお前の体に流れる血を感じて、そこから光の力を引き出す訓練をしろ」
「わかりました。やってみます」
アークは目を閉じて、全身を巡る光をイメージする。
そしてそれを指先に集める。
目を開くと、人差し指の先に、小さな光の泡のようなものが見えた気がした。
「カ、カーレッジさん! これって……!」
「こっちの適性の方があるのか。その様子なら存外早く済みそうだな。キテラ、ゼオルに連絡を取ってくれ。これから五日後、アイスランドに攻め込むぞ」
カーレッジは不敵な笑みを浮かべて言った。




