私は反対しないよ
それから三日が経ち、アークは馬車に乗って無法の町トリアムへ到着した。
魔族との混血である人間がほとんどを占めるこの町では、純粋な人間の子供であるアークはみんなの興味を引くらしく、周囲の視線を感じながらカーレッジの待つ屋敷へと向かう。
アークの自宅を一回り小さくしたような形の屋敷の入り口にはふたりの屈強な門番が立っていた。
「止まれ。何者だ」
「えっと、こんにちは。フェルガウから来たアークと言います。カーレッジさんに連絡は通っていると思うんですが……」
「ここで待っていろ」
門番が中へ入ってしばらくすると、カーレッジが二階の窓から顔を出す。
「よお、よく来たな。中入れよ」
「は、はい」
屋敷の中は不思議と初めて来た気がしなかった。
エントランスをよくよく見てみると、フェルガウにある屋敷と構造が似ているのだ。
アークが玄関で待っていると、カーレッジが中央の大階段を降りて来た。
「話は聞いている。ゼオルが冷静でよかったな。オレさまを頼ったのは正解だぜ」
「よ、よろしくお願いします」
「とりあえず、今日はまだ何もしねえ。来たばっかりだしな。部屋は好きなところ使っていい。部屋の場所は、見りゃわかるだろ」
たしかに、アークにはこの屋敷の構造がわかる。
「ええと、それじゃあ、一階の部屋をお借りします」
「おう。荷物置いたら出て来いよ。町の奴らに顔見せもしなきゃならんし、簡単に施設の案内をしてやる」
アークはエントランスから廊下へ進む。
本当に、部屋の数を減らしただけで、同じ形と装飾をしている。
恐る恐る、アークは一番奥の部屋の扉を開いた。
すると、そこにはキテラが立っていた。
「やあやあ、やはりここを選んだね」
キテラは嬉しそうに言う。
驚いて固まるアークの後ろから、カーレッジが肩を叩いた。
「悪い、言い忘れてた。こいつもここにいる。おい、キテラ。アークの邪魔をするな」
「邪魔だなんて失敬な。どこの部屋を選ぶか予想して、それが当たったと喜んでいるだけじゃないか」
「それが邪魔だって言ってんだよ。部屋から出ろ、キテラ。お前の出番は明日以降だ」
「そんな……。アーク、私がいては邪魔か?」
「いえ、そんなことは……」
アークがそう言うと、キテラは勝ち誇ったような顔をする。
カーレッジは眉をひそめたが、やがて諦めたように言った。
「……さっさと行くぞ」
踵を返して歩くカーレッジにおいていかれないように、アークは慌てて荷物をベッドのとなりに置いた。
「慌てなくても大丈夫だよ。彼はせっかちだけど、待ってくれる人だ」
「待たせるのも悪いですよ」
駆けていくアークの後ろを、キテラが滑るようにスーッとついてくる。
少しだけ浮いているようで、音もなく進んでくる様子がなんだか不気味である。
外へ出て、カーレッジと合流すると、まずは酒場へと連れて行かれた。
「基本的にはここで飯を食う。メニューは壁に書いてあるやつだ」
「あの、値段が書いていませんけど」
「代金はいらねえ。ここの町の人間は全員そうだ」
「えっ、それじゃこのお店はどうやって運営してるんですか?」
「食った奴が他でちゃんと働けば、店一軒やっていくくらいは楽勝だぜ?」
何気なくカーレッジは言うが、アークもそれはとんでもないことだとわかる。
仕入れ、人件費、在庫の確保、設備の維持。
どれをとっても、決して安くはないお金がかかっているはずだ。
アークは、この町全てで大きな共同体なのではないかとも思った。
外で働き、お金を稼いで、衣食住を用意してもらい、また働く。
信頼の上で成り立つ構造だ。
少し周囲を見回すと、みんなが一定の敬意をカーレッジに持っていることがわかる。
こうして不釣り合いな年齢の人間が酒場に来て、町の長であるカーレッジと話しているのに、誰もこちらに注意を向けず当たり前のように振る舞うというのは、意識していなければできないことだ。
それから他の施設を巡っても、おおよその反応は同じだった。
そして驚くことに、どの施設も無料で使用できるらしく、アークはただただ感心していた。
ひと通り歩いて屋敷へと戻ると、カーレッジは仕事があるとどこかへ行ってしまった。
残されたキテラとアークは、二階のラウンジで休憩がてら話をしていた。
「アークは、ゼオルと離れて寂しくないのかい?」
唐突に、キテラが聞く。
ガラス質の髪が、風に吹かれてさらさらと揺らめく。
「寂しくないですよ。今は、きちんとした目的がある上でここにいるのですから」
「目的、目的か。そういえば私は事情をよく知らないのだけど、アークはどういう魔法を使えるようになりたいのかな?」
「僕がキテラさんに教わりたいのは、治癒魔法と防御魔法です。できれば、反詩が教わりたいのですが、さすがに欲張りすぎかと思って……」
かけられた魔法を解くことのできる反詩。
これさえできればミスカを助けられた。
しかし、それがいかに困難なことであるかもよく知っている。
というのも、反詩は魔法とも別のかなり特殊な技術だ。
魔力の波を正確に捉えて、正反対の波を作り、ぶつけてかき消す仕組みだが、目に見えない風を掴むようなものであり、高名な大賢者が一生をかけてもできないのが常である。
だからこそ、憧れであり続けるのだろう。
「反詩ね。やってみるだけやってみたらいいんじゃないかな。その考えに、私は反対しないよ」
「でも、難しいのでしょう?」
「だから、少しだけやってみるんだよ。向き不向きがすぐにわかるのも、反詩の良いところさ」
キテラが閉じていた金色の右目を開いて、テーブルを指でトンと叩くと、黒い塊に四本の細い足の生えた虫のようなものが生まれた。
「これを消すにはどうしたらいいと思う?」
その生命体はテーブルの上をせわしなく歩き回っている。
「反詩の理屈で言えば、まずはこの魔法の魔力の波長を読み取る必要があるんですよね」
「そうそう。そのためにはどうすればいいだろう」
アークは目を閉じて、感覚だけでその生命体を探る。
魔力の波長などというものを、生きてきてこのかた感じたことなどない。
だから、いかに集中しようともすぐにわかるものではなかった。
「この子は君にあげよう。どうせ今日はもう暇なんだ。座って集中するくらいならカーレッジも文句は言わないさ」
キテラの指先から出た黒い塊が、虫のようなその生き物を捕らえて、小さなカゴのような形を作り出した。
「焦る必要はないよ。空気を知覚できないように、魔力を知覚するのは困難だ。それこそ、ゼオルやカーレッジくらいに鋭くないと簡単にはいかないだろう」
「カーレッジさんはできるんですか?」
「やろうと思えば、彼にできないことはないよ。彼は頭もいいし、素質もある。死ぬことがないから反詩は必要ないというだけで、覚える気があればすぐさ」
楽しそうにキテラは言う。
その様子を見れば、彼女がいかにカーレッジのことを好んでいるか、よくわかった。
「キテラさん、僕も頑張りますね」
アークはキテラの作った魔法のカゴを手にとる。
その中では黒い生き物が所狭しと動き回っていた。




