お前は僕が
スペルビアは、息も絶え絶えになりながら、路地で壁を背にして座り込んでいた。
仮面は水路に落としてしまったらしく、周囲には見当たらない。
そして、さっきの黒い女に蹴られた箇所が異様に痛む。
どうやら、何か毒のようなものを打ち込まれたらしいが、それを確認する力もわかない。
手が痺れて、ものを握ることが難しくなっていた。
(ここで死ぬのも、いいかもね)
みんなの仇であるドレイクを殺せた。
今思い出しても胸が震える。
ここまで、本当に長かった。
両親、弟、仲間のみんなが、顔を隠した執行人たちから首を落とされていく地獄のような光景。
それを見て下卑た笑いを浮かべるドレイク。
スペルビアは氷の魔族に助けられて、なんとか死刑を免れたものの、みんなを助けることができなかった。
だからせめて、この憎しみを忘れないようにするため、嗚咽を漏らしながら、その様子を見ていた。
いつか必ず復讐すると、胸に誓って。
そして、その目標は、たった今果たされた。
これだけ大掛かりな舞台を整えるのも簡単ではなかったが、魔族の力も借りて、なんとか用意することができた。
「もう、いいよね。みんなとやっと会える……」
スペルビアが静かに目を閉じようとすると、なにやら声が聞こえた。
「スペルビアさん! 大丈夫ですか!?」
「アーク……?」
アークはスペルビアに駆け寄り、服をめくった。
「今抜きますから、じっとしていてください」
腹部に突き刺さった黒い棘をアークが抜くと、少しだけ体が楽になった。
「なん、で、私なんか……」
「ダメです! 死んではいけません!」
彼は必死に、スペルビアへ治癒の魔法をかける。
スペルビアは、フッと笑った。
「やめた方が、いいよ。私、君が、思っているほど、いい人じゃ、ない、から」
「……知っています。さっきそこで、白い仮面を拾いました。暗い地下では気がつかなかったと思いますけど、あそこに僕もいたんですよ」
「だったら、どうして……」
「僕は誰にも死んで欲しくないんです。たとえ、悪い人であったとしても」
アークはそれだけ言って治癒を続ける。
(誰にも死んで欲しくない……?)
それを聞いて、ふつふつ、と胸に怒りが沸いてきた。
スペルビアは残った魔力を振り絞って体を動かし、アークの胸ぐらを掴んだ。
「……もう、みんな死んでるんだ。そんな綺麗事が言えるのは、お前の近くで、誰も死んでいないからだ……!」
彼は困惑の表情を浮かべる。
所詮は、彼も正しさを語る偽善者なのだ。
人を殺してはいけない、と当たり前のことを当たり前のように言う、無垢で純粋な一般人。
「お前に、何ができる。この町でもすでにたくさんの人が死んでるんだ。お前に何ができた? お前は誰一人として、助けられていない。それはお前が、弱いからだ!」
言いながら、涙が溢れてきた。
違う、こんなことが言いたいわけじゃないのに。
弱くて誰も助けられなかったのは自分自身のことなのに。
そう思っても、アークへの言葉は止まらない。
「悪人は裁かれないといけない! 誰もやってくれないなら、私がやるしかないじゃない! 私は間違ってない! 私は、私は……!」
自分でも何を言っているのかわからない。
頭の中に響く鐘の音が、心の中に響く怨嗟の声が、敵を殺せと語りかけていた。
それが本当に自分の願いだったのかどうか、わからない。
「スペルビアさん……」
「軽蔑しなさいよ。私は私利私欲のために他人の命を奪える人間なんだよ。もうわかったでしょ。殺すなり連れて行くなり好きにして」
投げやりにそう言うと、アークはそっとスペルビアを抱きしめた。
「え……」
「すみません。僕にはまだ、何が正しいのかわかりません。ドレイク首長のことも事情を詳しくは知りませんし、わからないんです。でも、僕はあなたが、復讐に支配されたあなたの人生が、悲しくてしかたないんです」
スペルビアは、涙も声も抑えることができなかった。
ずっと不安で、誰かに話を聞いてほしいけれど、否定されるのが怖くて、誰にも言えなかった。
彼は、腹が立つほどに何もわからない。
しかし、わからないなりに、スペルビアの気持ちをくみ取ろうとしている。
それが、いじらしくて、可愛くて、さっきまで感じていた溢れるような怒りはどこかへいってしまった。
「……スペルビアさん、僕はあなたに死んでほしくないんです。これは僕のワガママで自己満足だと割り切ったうえでの答えです」
「……ほんっと、それはワガママ。ここから逃げられないと、私はどの道死んじゃうんだよ? 絶対死刑だし」
「逃げましょう、スペルビアさん。自慢じゃないですけど、僕の周りの人たちは頼りになるんですよ。事情を話せばみんなわかってくれると思います。まあ、ちょっと怖い人たちですけど」
「あなた自身はどうなの?」
「僕は、今はまだ……」
アークが照れくさそうに笑う。
彼が彼なりに悩んで出した答えなのであれば、スペルビアも従ってもいいような気になっていた。
その結果、裏切られたとしても、構わない。
「僕が背負います。動けますか?」
「あなたの魔法のおかげでなんとか立つくらいはできるわ。じゃあ、お願いするわね」
スペルビアは今まで人に見せたことのない、純粋な笑顔を浮かべた。
アークの背中にゆられて、都市の中を歩いて行く。
ここには静寂しかなく、まるで、自分たち以外の人間がいなくなった世界のようだ。
「もうすぐ、もうすぐですよ、スペルビアさん」
アークが声をかける。
彼は都市の外へと向かっているのだろう。
湖に吹く風の音が聞こえてくる。
どうやら、もう目が見えないようで、自分がどこへ連れて行かれているのかも、よくわからない。
でも、この暖かい背中がある限り、彼がここにいることはわかる。
「アーク……」
スペルビアは弱々しい声で言った。
胸が苦しくて、あんまり、大きな声が出せない。
「どうしました? 苦しいですか?」
「……私ね、ほんとはスペルビアって名前じゃないの。ずっと騙していてごめんなさい」
何の話をしているのか、と自分でもおかしく思った。
でも、話しておきたいことだった。
「本当は、何って言うんですか?」
優しい声でアークは言う。
「ミスカ。北の大地に咲く花と同じ名前……」
「可愛らしい名前ですね」
「そう。私も、自分の名前が好き。でもね、いつから自分の名前を捨てて、スペルビアなんて名乗り始めたのか、覚えていないの」
「どういうことですか?」
「あの日、私は魔族の男に助けられた。復讐の手伝いをしてやるって言われて、その男の命令に従って、たくさん魔法の練習をした。今思えば、その辺りからすでにおかしかった。私の他にも六人の仲間がいた。でも、彼らと私を比べても、私の魔法ってたいしたことできなかったし、なんで私がその中にいるのか、全然わからなかった。変だと思えなかった。きっと、そう思えないようにされていたんだ」
彼女はつらつらと語った。
もうこの世界で、ミスカの名前を知る人は、彼とふたりだけだ。
そう思うと、少しおかしくて、思わず笑みを浮かべてしまう。
「……アーク、ありがとう」
「お礼は終わってからにしましょうよ」
「……そう。そうよね。全部終わってから……」
全部終わったら、何をしようか。
今まで何もしてこなかったせいか、何も思いつかない。
ここで買ったペンダントを手に握って、そうだ、と口を開く。
「……私、子供のころ、宝石屋さんがしたかったの。綺麗で透明な石が好きで、よく集めていたっけ。だから、これから、宝石屋さんでも目指そうかな。……変?」
「そんなことないですよ。ミスカさんの宝石屋さん、僕も見てみたいです」
「ほんと? あ、あと、私の故郷にも来てみない? 何にもないところだけど、雪と氷ばっかりのとこだけど、あの……」
「行きましょう。一緒に、ミスカの花を見に行きましょう」
「……うん。ありがと」
彼女は、小さく感謝の言葉を述べた。
「そういえば、何という町に住んでいたんですか? 北って言ってもけっこう広いですよ」
アークが声をかけても返事がない。
「……ミスカさん?」
そこで初めて気がついた。
彼女の手が、恐ろしく冷え切っていることに。
「そんな! 嘘だ!」
アークが彼女を降ろすと、背中から大きな氷の角が生えて、そこを中心に体中が凍りついていっていた。
「ミスカさん! ミスカさん!」
声をかけて揺り動かしても、彼女の目は開かない。
落ち着いて呼吸を確認する。
「う、嘘だ……! こんなことあるか!」
アークは自分に使える治癒の魔法をかけて、彼女が目を覚ますことを祈った。
しかし、彼女の体は氷へと変わっていき、やがて、パキ、と割れていく。
「あ、あ、うわああああああ!!」
思わず抱きしめるも、砕けていく体を止められない。
なぜ、と頭の中で何度も繰り返す。
ブラドの刻印は外したし、死ぬような怪我もしていなかった。
この氷はいったい何だ。
何が原因でこんなことになっているんだ。
ミスカは腕の中で砕けて、なくなっていく。
崩壊を止めることができる知識も技術もない。
氷の欠片は、地面に落ちると、衝撃で砕けて、溶けて、消えていく。
さっきまでここにいたはずの人間ひとりを、ただの地面のシミへと変えていく。
アークは深緑のローブと小さなペンダントを抱きしめて、声を殺して泣いた。
「アーク!こんなところにいたのか!」
ゼオルの声がする。
どうやら、ぼやけた頭で何も考えずに歩いているうちに、港の方へ来てしまっていたようだ。
水の壁は、いつのまにか消えていた。
「ゼオルさん、終わったんですね」
「違う! 我は何もしていない……」
水面が盛り上がり、ラメールが飛び出してきた。
「ゼ、ゼオルさま! 報告です! 地下で何者かが大宝玉を奪って逃走しました! ブラドさまも重傷を負い、動けない状態です!」
「何者か? 誰だ?」
不意に、空中に人影が浮かんだ。
氷でできた体で、人間よりも一回り大きな体格をした魔族が、傍に大宝玉を持って浮いている
「俺だ、魔王」
「ヘル!?なぜ生きている!」
「復活したのよ。そんなことより、俺は決めたぜ。力が戻ったら、この世界を支配する魔王になる。ブラドが人間についたってことはあんたもだろ。つまりもう俺はあんたの部下じゃねえってことだ」
「お前が魔王? 冗談も休み休み言え」
「冗談なものか。俺は人間を支配する。そのために何人かの人間を使う練習をしてみたのよ」
「そうか、七つの大罪はお前が……!」
「その通りだ。これがなかなか使えそうでな。まあ、ここで三人ほどやられちまったが、中身の補充は簡単にできる。まずはその名声のひとつとして、この町を沈める」
「できるものならやってみろ。我に勝てるという思い上がりが、どれだけ続くか試してやる」
「ふん、全盛期でないお前など怖くないわ」
今にも戦闘が始まりそうに、空気がピリピリとひりつく。
そのふたりの間へ、アークが割って入った。
「なんだ、小僧」
「アーク、どいていろ」
ふたりの気迫を物ともせず、アークは顔をあげずに言う。
「……ひとつ、教えてください。七つの大罪は……スペルビアさんは、なぜ死んだのですか?」
「スペルビア?ああ、あの北限の民の生き残りか。裏切ったやつは体に埋め込んだ魔法のせいで死ぬことになっているのさ。所詮人間など使い捨てよ。だが、人間はひとつの目的に執着させることで予想外の力を出す。やつの復讐は、その実験のうちのひとつだ」
「復讐をさせたのも、あなたですか?」
「フハハハハ! 復讐も何も、ドレイクをそそのかして北限の民を処刑させたのも、その様子を見せて怒りの感情を二度と忘れないように教育したのも、全て俺だからな。全部、自作自演だ」
アークの体が弾かれたように動き、天空の剣をヘルの喉元に突き立てようとした。
しかし、簡単に刀身を掴まれて止められてしまう。
「何の真似だ?」
「お前は僕が!!」
「アークやめろ! 死ぬぞ!」
「ああ言ってるぞ? 年長者の言うことは素直に聞くものだろう」
「ミスカさんをあんな風にしたお前を、僕は絶対に許さない!」
「馬鹿め。人形ひとつに感情を込め過ぎだ」
ヘルは掴んだ刀身ごと振り上げて、アークを地面へ投げ飛ばす。
アークは受け身も取れず、背中から叩きつけられた。
肺が潰れ、呼吸が浅くなる。
「アーク! いったい何があった!」
駆け寄るゼオルの手を払いのけ、剣を杖にして立ち上がる。
あいつを許せない。
この手で倒したい。
そんな感情に、心を支配されていた。
「おい、なんだその小僧は。俺は雑魚をいたぶる趣味はない。邪魔者は始末させてもらうぞ」
ヘルの手の平から、氷の槍が出現する。
白く透明なその槍を、ヘルが手に取った瞬間に、蒼い炎に体を包まれた。
「お前が先に死ね!」
ゼオルの放った蒼炎がヘルを包むも、彼は焦る様子もなく笑っていた。
「やはり、随分と弱くなった。このような魔法に頼らなければならないとはな」
そう言ったヘルの表皮が剥がれ落ちて、燃え盛る蒼炎と共に湖へ消える。
ゼオルはそれを見て舌打ちをした。
「さて、それでは続きをっ――――」
ヘルの体に、四本の剣が刺さり、貫通する。
ゴートが剣を飛ばしたのだ。
「たいしたことねえな、次期魔王さまよ!」
「命知らずの多い日だ。いいだろう。ここで全員殺してやる」
ヘルの傷は、ゴートの剣が突き抜けた直後に回復していた。
効いているのかいないのか、ヘルは気怠そうに首を回す。
「まだだよ、ヘル。命知らずなら、ここに一番の命知らずがいる」
「あ?」
真上から声がして、ヘルはそちらを見上げた。
キテラが、足を組んで空中に座っている。
「何を……」
そのキテラの隣に透明な箱が現れ、そこから斧を振りかぶったカーレッジが飛び出した。
ヘルは難なく手にした氷の槍で、カーレッジを突き刺した。
するとすぐに、彼女は光の粒子へと変わり、地面へと降り立つ。
「それは……き、貴様、まさか!」
「おうよ。オレさまに殺されたはずのお前が何でここにいるのか、知ったことじゃねえが、覚悟できてんだろうな?」
ヘルの顔に焦りが出る。
やはり、勇者は恐ろしいのだ。
「……光の勇者に闇の魔女。さすがにこれは分が悪い。仕切り直しをさせてもらおう」
「できるものならやってみたらいい」
キテラにそう言われ、ヘルは怒りの形相を見せたものの、逃げるためか後退を始めた。
キテラはおもむろに指先を彼に向けるが、その射線上にアークが飛び出した。
「ヘル!!」
アークの一撃は、ヘルに掠ることなく、空を切る。
「貴様の相手はまた今度だ、小僧!」
ヘルは大量の白煙を巻き、その煙が晴れると、姿は消えていた。
「逃げたか……」
そう言うゼオルのとなりで、アークは悔しさに身を任せて、地面を殴った。
「一撃も、与えられなかった……!!」
「……アーク、いったい何があったのだ」
「僕が弱いせいで、仇をとることもできないのか……! あの人は、ミスカさんは、あいつに人生を全て奪われたのに……!」
「アーク……」
伸ばした手を、ゼオルはカーレッジに掴まれ、無言で首を振られる。
「まずは、現状の把握だ。ヘルの居場所は調べてやる。だからそれまで無茶なことはするな」
カーレッジの言葉にアークは返事をしなかった。
今はただ、自分の弱さが憎かった。




