私を呼んだか?
アケディアは暗い通路を真っ直ぐ進んでいく。
水路の所々に侵入者を感知する魔法を仕掛けておいた。
それに引っかかっている人影が三つ、迷わず真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
(探知系の魔法でも使ってるのかな。面倒くさいな……)
探知魔法であれば、今アケディアが向かっていることも気がついているはずだ。
しかし、進む速さを変えることなく、こちらへ来ている。
よほど強さに自信があるのだろう。
(曲がり角をあとふたつ……。先に仕掛けるか)
アケディアが両手の指を使って印を組む。
詠唱の代わりができるように編み出した技だ。
この迷路のような水路では、気がつかれないように同じところを歩かせることは難しくない。
アケディアは別の通路へと繋がる見えない壁を作ろうとした。
しかし、その瞬間、ふたつの影が、一瞬で距離を詰めて、アケディアの前に現れる。
白髪ですらっとした女性と、黒髪の少女だ。
可憐で華奢な外見とは裏腹に、ふたりとも邪悪な笑みを浮かべ、言葉を発することなく、アケディアへ攻撃を仕掛けてきた。
「ちぃっ!」
宙を舞う剣と蒼い炎を、アケディアはギリギリのところで躱す。
そして反射的に、外へと飛ばす魔法をふたりにかけた。
油断していたのか、ふたりは避けられずに姿を消す。
「な、なんだあいつらは……」
あまりにも恐ろしく躊躇のない動きに、アケディアは冷や汗が止まらなかった。
この町にあんなやつらがいるなんて、聞いていない。
詠唱のないアケディアの、不意打ちで発せられた魔法でなければやられていただろう。
「見たことねえ魔法だな。あいつらどこ行った?」
もうひとりいたんだ、とアケディアは気を張り直して、金髪の少女を見る。
背中には、その身に不釣り合いなほど大きな斧を持ち、攻撃を加える様子もなく、こちらへ歩み寄ってくる。
「お前たちは何者だ?」
「お前に関係ねえだろ。次はオレさまだ。さあ、やろうぜ」
どうやらこいつだけは、さっきのふたりとは違うようだ。
ゆっくりと歩いてくるのなら対処もしやすい。
アケディアは素早く印を組み、ふたつの箱で彼女の上半身と下半身を包む。
「お?」
「ねじ切る!」
抵抗されることもなく、簡単に彼女の体は二分された。
「なんだ、弱いじゃないか」
さっきのやつらはまた来るのだろうか。
迎撃の準備がいる。
敵の正体を調べようと思って死体へ近づくと、光となって空間に散る。
何が起きたのか、と警戒していると、何もない空間から殺したはずの女が現れ、斧を振り下ろしてきた。
「なんで生きてんだ!」
「躱したか!」
斧を躱しながら、彼女の足元に箱を作り出し、転ばせる。
「うわっ!」
「理屈はわかんないけど、まだやりようはある……!」
アケディアは得体の知れない彼女を、捕らえることに決めた。
転んで手をつき、慌てて顔を上げると、さっきまで前にいた少年の姿がない。
景色は水路のまま、彼だけがいなくなっていた。
「オレさまも飛ばされたか?」
特に何も考えずカーレッジは前に進んだ。
しかし、いつまで経っても直線が終わらない。
ここに来るまで、これほど真っ直ぐ歩く場所はなかった。
「……なるほどな。同じところを歩かされてるか」
カーレッジが斧を正面に放り投げると、背後から戻ってきて、地面に突き刺さる。
だいたい十五メートルほどの空間に閉じ込められたらしい。
「出られそうにねえな……」
空間の繋ぎ目には触ることが出来ず、後ろへ回ってしまう。
カーレッジはため息をついて言った。
「……おい、見てんだろ。なんとかしろ」
すると、カーレッジの頭上から一枚の木の葉がひらひらと落ちた。
木の葉と地面の合間から、ガラス質の髪が見えたかと思うと、そこから浮き出て来るようにして、黒いローブに身を包んだキテラが現れた。
「やあやあ、私を呼んだか?」
キテラがやけに嬉しそうに言う。
「ふふふ、君が私に頼るなんて、夢のようだよ。ああ、嬉しいねえ。こんな体になった甲斐があったものだ。頬が緩む!」
「うるせえ……」
「それにしてもこの魔法、よくぞこのような発想をしたものだとは思わないか。空間を輪の形に閉じて君を閉じ込めるなんて、私は感心しているよ。魔族にも彼のような秀才がいれば、君に勝てたかもしれないな」
「……早く開けろ。あんまり悠長にしてる暇ねえんだよ」
「はいはい。君はせっかちだな」
キテラは手のひらを何もない空間へ向け、詠唱を始めた。
「月の影、黄金の道、星の砂。捻れ交わる暗夜の波」
指先で空間に線を引く。
「それっ」
まるで薄布でも切るかのように、はら、と空間が落ちて、魔法を使った少年が目を丸くして立っていた。
「僕の無限回廊が、こんなに簡単に……」
「君は才能がある。詠唱を指の形に変えるなんて私には思いつかなかった。どうだい? うちに来ないか?」
「おいバカやめろ」
少年は空中に浮いてキテラから少し離れた。
そして、また素早く指を結ぶ。
「死ね!」
空間が捻れながら、水路を破壊しつつキテラを狙う。
しかしキテラは薄く微笑を浮かべると、閉じていた右目を開き、指先だけでそれをかき消した。
「君は発想がいい。どれ、もっと見せてくれ。君の全てを私に!」
「お前何なんだよ!」
少年はほとんど半狂乱になりながら、さまざまな魔法を次々にキテラへと放つ。
しかしそのどれもが、黄金の瞳孔を開いたキテラの前では形を保てず、効力を失う。
根源に触れた魔女というのはこれほどまでか、とカーレッジすら驚きを隠せなかった。
そもそもキテラは詠唱によって魔法を打ち消す『反詩』というものが得意だった。
しかし今はその詠唱すら必要とせず、魔法を直感的に理解し、効力を失わせることができている。
この世に存在するありとあらゆる魔法は、彼女の前では無力となるのだ。
少年は疲れ果て、浮遊する力さえもなくなり、地面へへたり込んだ。
「おや、もうお終いかい?」
「ば、化け物め!」
少年は吐き捨てるように言う。
キテラはふふふ、と笑い、指先を動かす。
「では、次はこちらの番だね」
「……え?」
少年は信じられないという顔をする。
こちらの攻撃がいかに無意味であるか分からせるため、倒すことを諦めさせるために彼女は攻撃をしなかった、と思っているのだろう。
カーレッジは知っている。
彼女はそれほど人の心の動きを計算できる人間ではない。
先程から本心しか喋っていないのだ。
少年に使える魔法を全て見たかった。
ただ、それだけだ。
キテラの指先に、小さな黒いモヤが浮かぶ。
「君の精一杯に答えるため、私も私の精一杯で返そう」
モヤはゆっくりと空中を飛ぶ。
目的などないように、ふわふわと天井へ浮かんでいき、そして、ぶつかった瞬間、その衝突した地点から半径百メートルほどが、一瞬にして消失した。
少年も、カーレッジも、カルディナの水路も、何もかもが暗黒の闇に飲まれ、虚ろな穴へと変わる。
ただひとり、闇の中心に立っていたキテラが手を叩くと、そんな魔法などなかったかのように、全てが元に戻った。
「え、は、はあ!?」
「これが私の魔法『荒城の新月』。全てを闇に飲み込むことも、吐き出すことも自在。物の硬さも速さも関係なく、私は消し去ることができる」
カーレッジは自分すらも一度完全に消滅したことを感じた。
圧倒的な質量の闇は、光すらも飲み込むのだ。
「こういうこともできるぞ」
少年の腕だけを、闇が飲み込んで消えた。
断面は黒く、血は出ていない。
「う、腕! 僕の腕が!」
「大丈夫、ちゃんと返すから」
少年の周囲に無数の黒い闇の塊が浮かび、消えたかと思うと、いくつもの腕が体中から生えていた。
「うわああああああ!!」
「ふふふ、あと何本ほしい? お望み通りにしてあげよう」
彼女は心の底から楽しそうに言う。
やれやれ、とカーレッジはキテラの腕を掴んだ。
「おい、もうやめろ」
「なんだい、私の楽しみを邪魔するのか?」
「やめろ」
カーレッジが嫌悪感を剥き出しにして本気で睨むと、彼女は途端に怖気づいたような顔をして、彼を元の姿に戻した。
そして、へなへなとへたり込み、カーレッジにしがみついた。
「あ、う、ご、ごめんなさい。わ、私、そんなつもりじゃ……。だから、そんな顔しないで……」
「やめろっつったらすぐやめろ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
彼女は涙を流しながら、ぶつぶつと謝罪の言葉を繰り返す。
情緒不安定なのは、昔からのことだ。
カーレッジは彼女を放っておき、倒れた少年のところへ行く。
「おい、生きてるか」
度重なる異常事態に心がついていっていないのか、目の焦点が合っていない。
「お前に聞きたいことがある。赤ん坊の呪いを使ったのはお前か?」
「……赤ん坊?」
「なんつったっけ。キテラ、あれ、名前なんだ?」
カーレッジが聞くと、キテラは服の袖で顔を拭って立ち上がった。
「……『家貧孝子』」
「そう、それだ」
「あれは、僕じゃない。嫉妬のインヴィディアが放った魔法だ」
「誰だよ」
カーレッジが眉をひそめる。
「今ここにはお前の他に誰がいる? つーか、お前はまず誰だ?」
「な、なんでそんなこと話さないといけないんだ?」
「お前、人の形のまんま帰りたくないのか?」
「うっ……」
先程の、無邪気に腕を増やすキテラを思い出したのだろう。
彼は青ざめて、うなだれた。
「ここには、僕、怠惰のアケディアと、傲慢のスペルビア、暴食のグーラがいる……」
「ってことは、残るはあと四人か……。グーラは知っているが、そのスペルビアってやつは、どんなやつだ?」
そう聞くと、彼は何度か目を泳がせたあと、諦めたように言った。
「スペルビアは、ドレイクに恨みを持っている」
「……人柱の件だな」
ドレイクはここに来る前、北限の民を身代わりにして自分の罪を被せ、事件を解決した手柄を得てここの首長へと就任した。
そのようなことをすれば、恨みを買うのは必然だ。
誰から刺されても仕方のない生き方をしてきた。
カーレッジはドレイクに対しては特に同情するつもりもないが、その復讐に関係のない人間を巻き込んでいることが許せなかった。
「……待てよ。そのスペルビアってやつの目的はわかった。だがお前は何のためにここにきた? 復讐の手伝いか?」
「僕は……」
少年が喋ろうとすると、途端に動きが止まる。
「あ、うああ!」
彼は胸をおさえて、苦しみ始めた。
「毒か!?」
「いや、これは……」
キテラが彼の胸を触ると、その真ん中から氷の角が飛び出した。
「なんだと……!?」
「君も見たことがあるだろう、カーレッジ。どうやら七つの大罪を裏でまとめているやつがいるみたいだ」
「バカな! あいつはオレさまが殺したはず……」
「魔王軍副将、氷の魔神ヘル。これは、奴の呪氷だね」