嫌いじゃないですよ
日が傾き始め、ブレインが森から帰って来る時と同じくして、先程の巨大なイカが、今度はすごすごと戻ってきた。
「うわっ! なんですかこの人!?」
鉄の容器に飲み水の確保をしてきたブレインの声に、他のみんなは特に反応しない。
魚を焼きながら、アークはイカに聞いた。
「あの、落ち着いて何があったのか話してもらえませんか?」
「……私は、クラーケンのラメールと申します。実は、侵略者に怯えているのです」
「侵略者? こんな島に?」
アークの質問にラメールは触手を動かす。
「この島は、我々『海獣』が卵を産むのに使われている島なのです。それで、今年は私の番なのですけれど、別の海獣が奪いに来ているのです」
「……うん? 卵を産むってことは、お前はメスなのか?」
ゴートが聞く。
「いえ、我々は性別がないのです。単一個体だけで卵を産むことができます」
「ブラドさんと同じですか?」
「……違います」
ブラドがふらふらと立ち上がりながら否定する。
日が落ち始めたことで、少し動けるようになったのだろう。
「夜になると、やつがやってくると思います。しかし、私には抵抗するだけの力が残っていません。この島は奪われてしまうでしょう」
ラメールは悲し気に言った。
「……そうだ、ラメールさん。実は僕たち、遭難してしまったんです。ここから中央大陸まで運んでもらえませんか?」
「できますが、今はまだここを離れるわけには……」
その答えを聞いて、アークは頷き、みんなの方を向く。
どうやら、全員考えていることは同じようだ。
「僕たちがこの島を守りますよ」
「でも、やつは強いですよ。やめた方が……」
「どれくらい強いか知らねえけど、おれたちより強いなんてことはないだろ」
ゴートがそう言って笑う。
ゼオルは面倒くさそうに頭を掻く。
「全員殺していいのなら一瞬なのだが、殺すなという制約つきではなあ……」
そんなことを言っていると、ブラドが跪いてゼオルに言う。
「ゼオルさま。私にこの醜態を払拭する機会をお与えください」
「む? お前がやるか?」
「はい。私ひとりでやってみせます」
「面白い、やってみせよ」
ブラドは表情を変えず、深い礼をする。
心配になったのか、ゴートが聞く。
「ひとりでやれるのかよ」
「この程度やれなければ、ゼオルさまの側近は務まりません」
空には満月が昇り始めていた。
真っ暗な砂浜でブラドがひとりで立っていた。
近くでみんな待機しているが、手伝うつもりはなく、焼いた魚を食べながら観戦でもしようというのだ。
ラメールの話では、月が真上に昇るころに来るだろうという予想であったため、ブラドは少し前から砂浜で待っているのだ。
「……来ましたね」
海の中から、多数の何者かが近づいているのを感じる。
その中のひとつは、巨大なタコの頭に人の胴体がついた海獣だ。
きっとあれが、彼らの頭領なのだろう。
「深淵より来たれ、我が眷属よ」
ブラドの影が伸び、そこから十三の黒装束の影が生まれた。
『真祖の眷属』は自分の影に実体を与える魔法だ。
彼らはそれぞれが意思を持ち、ブラドに付き従う。
月光はこちらの背後にあり、敵の姿がよく見える。
魚とも人ともつかない姿の侵略者が、海から続々と上がってくる。
眷属たちは一斉にナイフを構える。
敵の数はおよそ五十、ブラドにしてみれば大した数字ではない。
「行きなさい、眷属たちよ」
その命令で、弾かれたように眷属たちが走り出す。
ナイフには毒があり、敵の体の自由を奪う。
麻痺で倒れ込んだ彼らが、まるで落ち葉のように砂浜を埋めていく。
敵の斥候はそれだけで十分だったが、一際大きなタコの化け物は、眷属たちを軽くあしらった。
皮膚が厚くてナイフが通らないのだ。
「仲間を連れてきたかと思えばこの程度か。ラメール、お前はここで終わりだ! 島はおれたち深きものがいただく!」
タコの化け物は吠える。
ブラドは片眉を上げた。
「終わりというものがどういうものか、ご存知ないようですね」
ブラドの影から、一振りの大鎌がゆっくりと現れる。
『宵闇の陽炎』はブラドの体と同じくらいに巨大な赤黒い刃を持つ大鎌だ。
「大きさだけはおれと釣り合うがその華奢な体でどれだけのことができる」
「あなたを処するくらいは」
ブラドが、ふわり、と羽のように高く跳んだ。
「なんだその遅い動きは! 死ね!」
触手がブラドを突き刺そうと迫る。
ブラドは少しだけ身を捩り、触手を躱すと、撫でるようにして切り飛ばした。
タコの表情はわからないが、驚いているのか、体が固まる。
ブラドは切り飛ばした触手の破片を蹴り、空中で加速し、タコの足元に降り立つ。
そして素早く回転し、鎌の刃をタコのかかとに引っ掛け、勢いよくすくい上げた。
大きな獲物、特に二足歩行の生き物は転ばせるのが容易だ。
「なにっ!?」
体勢を崩した怪物の肩に乗り、首に刃をかける。
刃先を食い込ませ、少しでも動いたら切り落とすことを暗に分からせる。
「これが、終わりです」
「くっ、まだだ!」
触手がブラドの体を巻きつける。
どうやら、全く体を動かさずに、触手だけを動かせるようだ。
「形勢逆転だ!」
「このあとどうするんですか?」
「余裕ぶるな! 絞め殺す!」
触手がぎゅっと締まり、ブラドを潰そうとした。
しかし、それ以上締まらない。
「な、なぜだ! なんだこの力は!」
「あなたとは生物としての位が違うのですよ」
拘束から難なく抜け出し、触手をバラバラに切り裂く。
「負けを認めれば許してあげます」
ブラドは鎌を向けながら無感情に言う。
もはや、彼に打つ手はない。
しかし、それでも彼は諦めなかった。
腕を振り上げ、彼女に殴りかかる。
はあ、とブラドはため息をついて、少し後ろへと下がった。
馬鹿は嫌いだ。
自分の立場を理解しない。
命を投げ捨ててでも敵わない敵に立ち向かう。
「だけど……」
『宵闇の陽炎』の柄から鎖が伸びて、怪物の体を拘束する。
「そういうのは、嫌いじゃないですよ」
ブラドが月光を背に呟く。
砂浜に縛りつけられた怪物は、悔しそうに呻いた。




