ごめんなさい
「おはようございます」
眠っているアークの耳に、聞きなれない声が朝の挨拶を告げる。
はりつく目をこすりながら、薄く視界を開くと、目鼻の先で、色白な女性がこちらを覗き込んでいた。
「うわっ!」
アークは驚いて思わずベッドの端へと逃げた。
女性は透き通るような赤い瞳をしており、口の端から小さな牙のような歯が見えている。
フリルのついた可愛らしいメイド服を着ているが、表情はほとんど無く、起きたアークに深く礼をする。
「おはようございます。本日より復帰させていただきます」
「えっ、いや、あの、誰!?」
「ああ、この姿で会うのは初めてでしたね。ブラドですよ、坊ちゃん」
にこりともせず、彼女は言った。
リビングでは先にブレインが朝食をとっていた。
無理矢理起こされたのか、目はいつもの半分も開いていない。
もそもそとパンを口に運んでいる。
「おはようございます、ブレインさん」
「……おはようございます」
「起こされたんですか?」
そう聞くと、ブレインは無言で頷く。
「この家で暮らす以上、規則は守ってもらいます」
どこから現れたのか、ブラドがピシッと言う。
「でもボク、昨日あんまり寝ていないんですよ……」
「だから? それは私の仕事を遅らせるだけの理由になりますか? 早く食べてください。片付けられないので」
「ううっ……」
詰め寄られて、ブレインは泣きながらパンを食べている。
「私が体を手に入れるまでの間、誰か代わりに掃除をしましたか? 炊事と洗濯だけは必要だからやっていたのでしょうけど、使った皿は厨房で山のようになっていますが。それに――――」
「ブ、ブラドさん、それくらいにしてあげてください」
アークがそう言うと、ブラドはまだ言いたそうな顔をしたものの、しずしずと仕事に戻っていった。
「あの人、怖いです……」
ブレインがアークに耳打ちする。
「この屋敷でずっと家事をやってきた方ですからね……」
ブラドは魔獣の集合体であるため性別がなく、好きな方を選べるようだ。
最近、この屋敷に女性が増えたことで、ブラド自身もそれに合わせることにしたらしい。
どちらにせよ、仕事をする能力に変化はない。
「そういえば、ゴートさんは?」
ブレインが窓の外を指さす。
すると、庭の草むしりをさせられている彼女の姿があり、アークは引きつった笑みを浮かべた。
「横暴ですよ。こんなの……」
「ずっと我慢していたんでしょうね。ブラドさん、真面目ですから」
むう、とブレインは口を尖らせる。
「そういえば、朝まで何していたんですか?」
「ああっ、そうです。面白いものを作ったんですよ」
ブレインは懐から小さな四角い箱を取り出す。
その箱の表面には溝があり、淡い黄色の光を放っている。
「エキドナさんからもらった竜玉を使って作ったんですよ。名付けて、ワープ装置です!」
「ワープ装置っていうと、ブレインさんがアトルシャンに行くときに使っている装置ですよね?」
アトルシャンは今もこの世界の空を漂っている。
そこへ行くにはブレインの持つ装置が必要だった。
「あれは、行き先を固定することで移動できるようにしてある未完成品です。それに耐えられる施術も必要ですし。これはそんなもの必要なく、誰でもどこへでも自在に行ける究極の発明品です!」
ブレインが箱を高く持ち上げる。
しかし、すぐに降ろした。
「でも、どこへでも行けるというのはけっこう危険なんです。例えば壁や地面の中に出てしまうとそれだけで死にますから」
「リスクなし、というわけにはいかないんですね」
「まあ、まだ実験段階ですから。事故の可能性を極限まで減らすのも技術者の仕事ですよ」
そういうブレインはすごく楽しそうだ。
階段を降りてくる足音がして、そっちを見るとゼオルがいた。
髪はぼさぼさで、今起きたばかりのようだ。
「……む? なんだそれは」
「ああこれは」
ブレインがまたワープ装置の説明をしようとした瞬間、箱の溝が輝き始めた。
「わわっ! 起動した!」
ブレインが慌てて箱をいじろうとするも、光が止まることはない。
「……は、ははっ、みなさん、ごめんなさい」
諦めたブレインの発したその言葉の後、全てがまばゆい光に包まれた。




