次は一緒に行こう
「アーク、少し話がある」
唐突にキテラから呼び止められて、アークは振り返った。
「はい?」
「本当に少しだけだ。君が外に出ない限り、あの三人は入ってこられない。紅茶の準備をしていたのだ。飲んでいきたまえ」
「え、あ、はい」
アークは迷う素振りを見せたものの、キテラについてきた。
二階の吹き抜け部分にある小さなテーブルに、ふたり分の紅茶のカップが用意してあった。
「キテラさん、今日はありがとうございました」
「あれくらいならいつだって歓迎さ。しかし、君の周囲は段々と人が増えていくな」
「あはは、ストームライダーのエキドナさんにも言われました」
「そうかい。君の世代で何か大きなことがあるのかもしれないな」
「どういうことですか?」
「君の血筋は運命に守られている。偶然と思えるようなことは、すべて理由がある。私と知り合ったことも、そうなのかもしれない。昔、カーレッジがゼオルと戦い始めた時も同じようなことがあったよ」
キテラは紅茶を口に運ぶ。
「そういえば、カーレッジさんってどうしてひとりでゼオルさんと戦ったんですか? 仲間はいなかったんですか?」
「彼は私と同じ孤児院の出身でね。知り合いも身寄りもいなかった。孤児院が魔族に襲撃されて、カーレッジは自分が死なないことに気がついた。そこからは地獄のような日々さ。私にはついていけなかった。ついてこさせないためにわざと無茶なことをやっていたのかもしれないが」
キテラがそう言うと、アークは黙った。
「まあ、元気そうな顔を見られてよかったよ」
「え?」
「女に生まれているなんて驚いたけどね」
「わかっていたんですか?」
「私の話を遮ってものを言ってくる感じがよく似ていたからね。見た目と喋り方を変えたくらいでバレていないと思っているのは本人だけだろう。そもそも彼はあまり演技の得意な方ではない」
「お話しますか? まだ間に合いますよ」
「いや、いいよ」
紅茶を飲み終えると、キテラは言った。
「引き留めて悪かったね。また用事があればいつでも訪ねてくれ」
「はい、今日はお世話になりました」
キテラはアークを帰すと、椅子に座ってひと息ついた。
カーレッジに会うことは二度とないだろうと思っていたが、こんな形で会うことになるとは。
目を閉じると、今でも孤児院にいたころのことを思い出す。
キテラは、いつでも部屋の隅で本を読んでいる少女だった。
人と話すことが苦手で、家族同然であるはずの孤児院の子供たちにもなじめず、友達もいなかった。
「根暗! なんで本ばっかり読んでんだよ!」
「やあっ……」
子供たちの中でも序列があり、力を持っている男子はそうやっていつもキテラのことをからかい、本を取り上げ、意地悪をする。
そうやって、ますます馴染めなくなっていく。
悪循環を感じながらも、自分の力ではどうすることもできない。
完全に諦めていた、そんな時だった。
「あー、危ないぞー」
気の抜けた、わざとらしい声がして、次の瞬間、いじめっ子の男の子の頭に、腐った果物がぶつかった。
「うわっ! くせえ!」
「おい、あいつカーレッジだ!」
カーレッジは、いくつもの孤児院を渡り歩く問題児だった。
キテラと同じ孤児院に来て、初めのうちはおとなしかったのだが、やがてそうやっていじめっ子たちに手を出すようになっていた。
「てめえ!」
当然、いじめっ子たちはカーレッジへ殴りかかる。
しかし、彼らの拳や蹴りは当たらない。
カーレッジは軽々と身を躱しながら、どこかから取り出した泥の塊を、彼らの口に突っ込んだ。
「どうだ? 農家のおじさん特製の田んぼの味だぜ? うまいだろ」
彼は本当に愉快そうに言う。
いじめっ子たちが泣いて逃げ出すまで、そうやってカーレッジは続けた。
彼らが戻って来ないことを確認すると、キテラの本を拾い上げて返した。
「お前、なんでやられっぱなしなんだよ」
「あ、う……」
上手く喋られないでいると、カーレッジは懐から銀色の鍵を取り出した。
「お前が何考えてんのかよくわかんねえけど、やり返さねえなら、ちゃんと逃げろ。これはオレさまがこの近くに作った秘密の部屋の鍵だ」
「な、なん、で……」
「やべえ時に隠れる場所はいるだろ。こんな世界だぜ。この孤児院だって、いつ襲われてもおかしくない。お前にも使わせてやるって言ってんだよ。喜べ」
「あ、あり、ぐっ……。あり、がとう……」
「鍵、失くすなよ」
カーレッジはそれだけ言って、どこかへ行ってしまった。
それからしばらくして、孤児院は魔族の襲撃にあった。
郊外に作られたカーレッジの秘密の小屋で、外からは爆発音や悲鳴が聞こえる中、カーレッジはずっとキテラの手を握っていてくれた。
しかしやがて、それにも終わりがくる。
魔族は目や耳だけで獲物を探すわけではない。
動物がやるように、気配や温度でも人間を見つけられるものがいる。
唐突に、小屋の扉が破られた。
蛇の頭に人の体を持つ、恐ろしい風貌の魔族だ。
「フシュルルル。こんなところに子供がいたとは」
キテラが震えていると、その前にカーレッジが立ちはだかった。
「おい、キモ頭。お前ひとりか?」
「だったら何だ? お前のようなガキが気にすることじゃない」
「そうか、ひとりなんだな。よかった」
カーレッジは素早く懐からナイフを取り出して、敵の首元に突き刺す。
「ひとりなら倒せる!」
「貴様!」
蛇男は、カーレッジを殴り飛ばしてナイフを抜いた。
赤い血が流れ出るが、傷が浅かったのか、あまり出血は酷くない。
「丸飲みにしてやろうと思ったが、先に殺してやる! 女の方は犯してから食ってやる!」
「クソ! やらせるか!」
カーレッジが立ち上がって、殴りかかろうとするも、蛇男は難なくその手を掴みとり、カーレッジの腹部にナイフを突きたてた。
「うっ、あ……」
「そこで死んでろ!」
蛇男がカーレッジを乱暴に投げると、そのまま動かなくなった。
「さあ、お楽しみの時間だ」
「ひ、やっ……!」
蛇の長い舌がキテラの足に巻きつく。
しかし次の瞬間、長い舌が切り飛ばされた。
「何!?」
傷ひとつないカーレッジが、ナイフを手に、キテラの前に立つ。
「はあっ、はあっ」
「どうなっている? 魔法を使ったのか?」
「死ね!」
「調子に乗るな!」
ナイフを突き刺そうと蛇男に向かっていくも、簡単に掴まってしまう。
身長も、力も、戦うには足りないものが多すぎるのだ。
蛇男は、カーレッジの胴に噛みついた。
牙が突き刺さり、カーレッジはぐったりとした。
蛇男が吐き出すと、カーレッジの体が光の粒子となって、蛇男の頭上へ移動する。
近くで光にまとわりつかれている蛇男は、それに気がついていない。
「何が起きているんだ!」
光がカーレッジの姿になり、ナイフを蛇男の首の真後ろに突きたてた。
うまく頸椎に突き刺さったのか、蛇男は悲鳴をあげる暇もなく、激しく痙攣したあと、力尽きた。
「……大丈夫か?」
息を切らせながら、カーレッジはキテラに聞いた。
「わけわかんねえけど、どうやらオレさまは死なないみたいだな。これなら、やれる」
「ど、どうする、の」
「魔族をぶっ潰す。オレさまは、調子に乗っているやつが一番嫌いなんだ。わかるだろ?」
「わ、私も……」
「ダメだ。お前はここにいろ。そのうち助けが来るはずだ」
キテラは首を振る。
カーレッジがどこかに行くのなら、そこに行きたい。
ずっと、となりにいたい。
「だったら、魔法を覚えろ。オレさまはとりあえず武器の使い方を覚える。お前は魔法を覚える。そんで、充分強くなったら、その時は手伝ってくれ。最低限、自分の身を自分で守れるようになってな」
「わ、わかった。やる……!」
「これからのことも決まったな。じゃあ、オレさまは行く。死なないなら、食糧なんかも必要ないだろうしな。お前は助けを待って、町に連れて行ってもらえ」
キテラは頷いた。
カーレッジは安心したように笑うと、小屋から出て行った。
光の中に消えていったカーレッジの姿を、キテラはいつまでも見つめていた。
キテラの住処から帰る馬車の中で、カーレッジはご機嫌に笑っていた。
肩の荷が降りてすっきりとした気分で帰路につけて、気持ちが良いのだ。
「しかしいったい誰が最初にこんな厄介な魔法かけたんだ?」
ゴートが何気なく口にする。
「気になるのか?」
ゼオルが聞くと、ゴートは頷いた。
「赤ん坊抱えた母体を使うなんて、どう考えてもまともじゃねえだろ」
「お前が人にまともさを問うなんてな。しかし、それはそうだ。カーレッジよ、いったいどこから魔法が来たのか調べることはできるか?」
「商人がどこから来たのか調べればすぐにわかるだろうな」
「うむ。わかったら教えてくれ。それに、キテラにも声をかけないとな」
「はあ? なんでだよ」
「わけのわからない魔法をかけられた時に解けるやつが必要だろう」
そう言われると、その通りだ。
今回はカーレッジだったから死ななかったが、それ以外であったならどうなっていたか、想像に難くない。
「じゃあ、オレさまは行かねえぞ」
「かまわん。調べてくれさえすればいい」
そんな会話をしていると、アークの頭上に一枚の花びらが降ってきた。
「花?」
アークが手に取ると、その裏には小さな字で一行だけのメッセージが書いてあった。
『次は一緒に行こう』
カーレッジの背筋に冷たいものが走った。
「あの野郎……!」
「どうやらバレていたみたいだな」
「恥ずかしいやつだ」
「うるせえぞお前ら!」
やかましい声をあげながら、馬車はフェルガウに向かってゆっくりと進んでいった。




