勝負しようぜ
雪の上を歩いて数時間、三人は竜の住む山を進んでいた。
フェルガウから少し離れただけの場所だが、標高は高く、山の頂上は雲を突き抜けている。
「……ブレインさん、寒くないんですか?」
「ざむ゛い゛」
上下に着ている防寒具は中間に真空を挟んでおり、完璧に寒さを遮断できている優れものだ。
しかし、まさか顔を露出しているとここまで寒さを感じるものだとは思わなかった。
耳は帽子に入れてなんとか隠せているが、目鼻はもろに寒風を受ける。
真っ赤になって、今にもちぎれそうだ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないでず。でずげど、ズビーッ! ……実際に歩かないと得られない知見もありますね」
「いや、魔法使わないでこんなところにいられるお前おかしいわ……」
アークやゴートはマントを羽織っているものの、ほとんど普段着のままだ。
寒さを防ぐ魔法は絶大な効果があるのだろう。
「ボクはこの世界の人間じゃありませんから、魔法できないんですよ……」
「それもよくわかんねえ」
「あはは」
理解する気のないゴートの返事に、アークが苦笑いをする。
ふと、ブレインは気になったことをゴートに聞いた。
「ゴートさんは、どうして魔法を覚えたんですか?」
「仕込まれただけだ。好きで覚えたんじゃねえ」
ゴートは吐き捨てるように言う。
「そんでも、魔法がなけりゃもっと早く死んでただろうし、おれは死んでも死にたくねえからな。仕込んだやつには感謝してねえけど、ないと困る」
「死んでも死にたくないって不思議な言葉ですね」
「そんなに変でもねえだろ」
ゴートはそう言って自然な笑顔を見せた。
魔力を使って歩き続けるふたりと、道具の力で登るブレインの三人は、普通の登山では考えられない速さで頂上へ近づいていた。
雲に届くほどの高さの山を人が平地を走るくらいのスピードで、ぐんぐんと登っていく。
ブレインは彼らについて歩いていくうちに、この世界ではなぜ文明が発達しないのか理解した。
魔力という万能で誰にでも使える補助システムがあるために、道具がほとんど必要ないのだ。
しかしこの便利極まりない魔力というものが、自分の世界にあったらと思うとゾッとする。
確実に、今よりもたくさんの死人が出ていることだろう。
やがて、雲の霧を抜けると、頂上が見え始めた。
「あ! あれがストームライダーですか!?」
火口の跡のくぼんだ地面にうずくまる灰色の竜がいた。
まるで大岩のように丸まっている。
「だいぶ体調が悪そうだな」
「でも大丈夫! ボクらが来たからにはどんな病気でも治してみせますよ!」
ブレインは白い息を吐きながら竜へ近づく。
「こんにちは!」
「うぐ……こんにちは……」
「喋った!」
苦しそうな声で挨拶をする竜に、ブレインは興奮してぴょんぴょんと跳ねた。
「なんか、思っていたのと違うな」
ゴートが小さく呟く。
「エキドナさん、どうしたんですか?」
アークが声をかけると、灰色の竜、エキドナは怠そうに顔を動かす。
「私にもわからぬ。体が重い……」
「やっぱり体調が悪かったんですね。ブレインさん、調べてもらえますか?」
「任されました!」
ブレインが両手を広げると、腕についていた金属の箱が開き、中から八本脚の機械が飛び出して、エキドナにとりつく。
「さあさあ、みなさん! お仕事の時間ですよ!」
その機械からは、さらに小さな機械の群れが無数に飛び出した。
『マザー・バン』は蜘蛛型の調査機械で、その無数の子供を使って対象をくまなくスキャンする。
情報はブレインの脳内に直接フィードバックされるため、ラグも見落としも発生しない。
「ふんふん。なるほど」
「見れば見るほど変なやつだな」
ゴートの言葉を無視して、ブレインは言う。
「わかりました! 気管支の辺りに炎症のような影があります。それ以外は正常だと思います」
「気管支炎ですね」
「竜も炎症するのか……」
エキドナは診察結果を聞いて唸った。
「うぐ……どうにかならぬか……」
「あの、質問ですけど、最後にちゃんとした食事をしたのはいつですか?」
アークが聞くと、エキドナはしばらく考え込んだ。
「……五十年程前になる」
「やっぱり、そうなんですね」
「どういうことだ?」
ゴートが聞くと、アークが咳払いをして説明し始めた。
「竜は魔力が豊富なので、食事をしなくても魔力を消費して生命を維持することができます。その消費も全体で見ればたいした量ではないので、竜の魔力回復量なら問題にはならないでしょう。しかし、今のように体調を崩すと、いつも通りの回復ができず、魔力は日に日に減っていきます。やがて体に不調が現れるようになると、動くこともままならなくなります。頑丈で力強い竜の死因は、ほとんどがこれなんです」
「なまじ強いと、生命の危機に鈍くなるんですかねー」
ブレインがマザー・バンを収納しながら呑気に言う。
「そんなことより、それならおれたちはどうすればいいんだ? こんなでかい体に効く薬草なんか集めらんねえぞ」
「いえ、薬は必要ありません。きちんと栄養をとって寝ていればすぐに治るでしょう。エキドナさんも、食事はちゃんととりましょうね!」
「うぐ……すまぬ……」
申し訳なさそうに、エキドナは目を伏せた。
これだけ大きな竜であっても、体調が悪い時は誰かを頼るしかないのだ。
「さて、それではおふたりには食糧の調達をお願いします。山を少し降りれば動物の住んでいるところもありますから」
「なるほどな。それでおれも呼ばれたってわけか。おいブレイン、だったら勝負しようぜ。どっちが多く獲物を狩れるかをな!」
「え? そんな、勝負だなんて……」
「なんだよ、随分弱気だな」
「いえ、ボクとあなたとじゃ、勝負にならないと思うので」
「ほーう! やってやろうじゃねえか! アーク、いいな?」
「ええ、僕はかまいません。では、日没までに多くの獲物を捕らえてきた方の勝ちと言うことで」
「望むところだぜ!」
「仕方ありませんね……」
ブレインは懐から無数の機械を取り出した。
空を飛ぶものや、地を這うもの。
普段から持ち歩いているサーチャーの型違いだ。
これらを使えば、物探しなどあっという間に終わる。
それぞれが自立していっせいに山肌を進んでいった。
「あっ!? 汚ねえ!」
「汚くありませんよ。これがボクの科学です」
「目の数だけで負けてたまるか!」
ゴートも全速力で山を降っていく。
サーチャーたちはすぐに追い抜かれて、ゴートの姿はみるみるうちに小さくなる。
速さだけなら彼に分があるようだ。
「アークくん、ひとりでも大丈夫ですか? あまり離れると操縦がきかなくなるので、ボクも行ってきます」
「大丈夫ですよ。エキドナさんもいますし」
「わかりました。じゃあ、エキドナさんもお願いしますね」
透明の羽根で空を飛ぶサーチャーたちを周囲に従えながら、ブレインはゴートの跡を追っていった。