人に迷惑をかけない
勇者の屋敷のあるフェルガウから西に500キロほど向かった先に、水上都市カルディナと呼ばれる美しい都市がある。
水の上に浮かんだ石造りの都市は、当時稀代の天才と呼ばれた美術魔法の使い手によって作られており、世界三景のうちのひとつに数えられている。
そんなカルディナへ向かっている途中のゼオルは、鼻歌を歌いながら森の中を歩いていた。
この間、リンの注文した果物『メランダ』を勝手に食べてしまったことで、弁償を言い渡されたものの、取り扱っている商人がおらず、自分で買いにいかなければならなくなった。
その果物は時期が決まっているせいで、今行かなければまた来年になってしまう。
商人を探すよりは自分で行った方が確実だ、とゼオルは思って出かけることにしたのだ。
(それにしても、遠出するのは久しぶりだ)
アークが生まれてから、フェルガウの周辺から離れることがなくなった。
遠出するとアークが心配で仕方がなかった。
今は不本意ながらブレインが屋敷にいるため、最低限の安全は保証されている。
ブレインも馬鹿ではないのだから、アークを危険な目に合わせることはないだろう。
(それに、歩くのも悪くない)
ゼオルは拾った大きめの枝を振りながら、ご機嫌に歩いていた。
フェルガウから途中までは馬車で進んでいたが、座っているだけの移動が退屈になり、降りて森の中を歩くことにしたのだ。
今歩いているここは旧道で、今は誰にも使われていない。
ゼオルの感覚ではあと一日もすれば目的地に着くはずだ。
「んむ?」
ふと、旧道をそれるようにして森の中へ続く道を見つけた。
きちんと作られた道ではないが、馬車でも通れるように大きく森が切り開かれている。
大昔にここを通ったころはまだなかったと記憶している。
ゼオルは気になってそちらへ向かった。
どうせ、急ぐ旅路ではない。
「お、おお、いつの間にこんなものが」
しばらく進んでいくと、獣避けの柵で覆われた町が見つかった。
なかなか大きな敷地に出来ていて、中に見える家々は木造のものばかりだ。
魔法で作られた家は石や土が多いため、これは恐らく魔法ではなく人の手で建てられたものなのだろう。
入り口にはひとりの見張りが立っている。
肌は鱗状のものが覆っているが、顔立ちは普通の人間そのものであるため、ゼオルは彼が混血であることにすぐ気がついた。
ゼオルを見て、彼は親し気に話しかけた。
「無法の町トリアムへようこそ。何か御用ですか?」
「無法? いや、久しぶりにあの道を歩いていたら前は見なかったものを見かけてな。ここ最近できた町か?」
「そうです。ここ十年で作られました」
「十年だと!?」
ゼオルは思わず驚きの声をあげた。
魔法も使わず、十年でこれほど大きな町が作れるとは思えない。
その姿を見て、見張りの彼は誇らしそうに笑った。
「すごいでしょう。これもすべてボスのおかげなんです」
「うむ、統率している者がよほど優秀でなければこのようなことはできまい。ところでこの町に泊まれるところはあるか?」
本当は夜通し歩くつもりだったのだが、この町のことが気になっていた。
「この町は商人や衛兵の宿泊地でもあるので、店もありますよ。大通りを進んで一番目立つ大きな建物が宿屋です。あとの詳しい話はそこでお聞きください」
「うむ。手厚い歓迎に感謝するぞ」
ゼオルが町へ一歩踏み込むと、すぐにこの町の異変に気がついた。
すれ違う者、談笑する者、窓から顔を覗かせている者。
そのほとんどが、魔族と人間の混血だ。
普通はひとつの町にこれほどたくさんの混血はいない。
フェルガウでも、混血の人間はリンだけである。
珍しい町の様子に興味をひかれながらも、ゼオルはとりあえず宿を目指した。
まずは風呂、それから酒だ。
数日とはいえ、風呂に入っていないと全身がべたべたして気持ちが悪い。
観光するのは、風呂のあとにしようと決めた。
宿は意外にも空いていた。
外には何台かの荷馬車が止まっており、商人たちが寝泊まりしている様子が伺えた。
ゼオルはすぐに部屋をとり、荷物を置くと隣接する浴場へ向かった。
風呂が常備してある宿屋も最近は珍しくなくなってきたが、ここはかなり大きな施設を用意している。
女湯へ入ると、先客はひとりだけだった。
「こんにちは」
ひとりで湯につかる金色の髪と碧色の目をした少女は、ゼオルに挨拶をした。
普通の少女に見えたが、背中には歯車を抱いた竜の大きな刺青がある。
「……随分と空いているな」
湯に浸かりながら、ゼオルは言う。
「まだ時間が早いですからね。夕方になるとこの町の人たちが入りに来ますよ」
「そうか」
少女は肌の色や筋肉のつき方がおとなしく、やたらと目立つ刺青はあるものの、どうやら普通の人間のように見えた。
「さっきからこっちを見て、どうかしたんですか?」
「……いや、この町は混血がたくさんおるな、と思っていた。お前は普通の人間だな」
「この体もこの町だと逆に少数派ですね」
少女は恥ずかしそうに笑った。
「魔族のお姉さんは、どこから来たんですか?」
「ゼオルでいい。フェルガウから来た。カルディナに行く用事があってな」
「フェルガウからって、大変ですね。ゼオルさん、オ、私は、ええと、サナと言います。よろしくお願いします」
「……? ああ、よろしく」
何か奇妙な違和感を覚えながらも、ゼオルはサナと名乗る少女と握手をした。
「……どこかで会ったことがあるか?」
「え? どうしてですか?」
「いや、何か引っかかるのだが……」
見た目の年齢からしても、十代か二十代の少女と会う機会があるとは思えない。
「むう。思い当たるものがあるはずなのに、出てこない」
「あっ、それより、酒場に行きましょうよ。高級なはちみつ酒が手に入ったんですよ。飲みましょう」
「果実酒や穀物酒が主流になったこの時代に、はちみつ酒とは渋いな。だが、我は好きだぞ」
「ささ、行きましょう」
サナに促されるまま、ゼオルは湯からあがって、酒場へ向かった。
これもまた、宿屋に隣接している施設だ。
「しかし、各施設が近いな。胴元が同じなのか?」
「そうですよ。宿屋と風呂屋と酒場は同じ人が営業しています」
酒場へ入ると、すでに飲んでいる客でにぎわっていた。
吟遊詩人もおり、心地よいリュートの音と歌を響かせている。
サナと共にカウンター席に座ると、店主が何も言わず穏やかにグラスをふたつ置いた。
「常連なんですよ」
サナはそう言って笑う。
金色のはちみつ酒のボトルを店主が開き、グラスにそそいだ。
彼女と乾杯して、ゼオルは酒を口に含む。
甘い味が喉から鼻に抜ける。
酒の辛さに負けない深い甘みは、間違いなく高級な酒のものだ。
「良い酒だ」
「わかっていただけて幸いです」
サナは嬉しそうに言う。
ふたりはしばらく、話もせずにゆっくりと酒を楽しんだ。
酔わないうちに味をしっかり楽しんでおき、雑談はそれからでいい、というのがゼオルの飲み方であったが、どうやらサナも同じようだ。
時間が経ち、店内の客が少し増えたところで、ゼオルが言った。
「門番が言っておったが」
「はい」
「無法の町、というのはどういう意味だ? 法がないというわけではないのだろう?」
「いえ、言葉の通りです。ここはこの世界唯一の治外法権ですよ」
サナは目を細める。
「それにしては治安がいいではないか」
「法が守ってくれているという安心がなければ、人はおとなしくなるものですよ。まあ、それほど単純なものではありませんけどね。公になっている法がないだけで、暗黙のルールは存在するわけですし」
「たとえば?」
「人に迷惑をかけない、とか?」
「そんな道徳心みたいなもので人を縛れるなら、この世界に法はいらない」
「その通りです」
「……それでも、うまくいっているのなら、それにこしたことはないな」
ゼオルは酒を飲みながら、昔のことを思い出していた。
魔王の軍も、似たようなものだった。
ただし、絶対的な上下関係がありきで、信賞必罰をとにかく守らせていた。
下の者は上の者のために命を投げ出せるほどには忠誠心が育まれていたし、あれは今思っても上策であったと自分をほめてやりたい。
「皆が同じ方向を向いていれば、その程度の決まりでもうまくいくものです」
「ああ、それはわかるぞ。我のところも昔はそうだった。そう、あれは――――」
突然、背後で大きな物音が鳴る。
思い出話をしようとしたところを邪魔された不快感から、少し睨みぎみに、ゼオルは後ろを見た。
三人組の人相の悪い男が、入り口のところに立っていた。
どうやら先程のはドアを蹴破った音らしく、無残にも割れた破片が辺りに散らばっている。
「おい! 酒を飲ませろ!」
男たちは、下品な笑みを浮かべながらカウンターに近づいていく。
店主はぴくりとも動かずに、彼らを見ていた。
「聞こえなかったのか? 酒を出せ」
「お出しできません」
「じゃあ、奪わせてもらうぜ」
男はカウンターに手を伸ばして、並んでいた酒瓶をひとつとると、ぐいっと飲み干した。
「おれにも寄越せ」
三人は次々に酒をとり、満足気に飲んでいる。
「ここは法の外にある町だって聞いたぜ。さっきも外で歩いてるやつをぶん殴ったが、誰一人助けを呼ばねえ。楽園だな、ここは!」
そこで、男のひとりがカウンターに座るゼオルたちに視線を向ける。
「おいおい、こんなところに美人な姉ちゃんがいるもんだな!」
そう言って、ゼオルの肩に手を置いた。
こちらに絡んでこなければ、こんな面倒な小物の相手はしないつもりだったが、触られるだけで不快な気持ちになった。
少し痛い目にあわせてやろう、と思ったその時だ。
「おい」
いつの間にか男のとなりに立っていたサナが、手にした酒瓶で、ゼオルに触れていた男の頭をかち割った。
どうやら男は人間に擬態した魔族だったようで、頭部から血を流しながらも、サナに掴みかかろうとする。
しかし、サナはそれを軽く躱して喉元に割れた酒瓶をつきつけた。
「な、なんだてめえ! ぶっ殺してやる! お前ら、やれ!」
男は残るふたりに指示を出そうとしたのだろうが、そのふたりは背後に立った他の客からナイフを突きつけられていた。
そこで、ゼオルは初めて酒場の中の空気が一変していたことに気がついた。
全員が立ち上がり、腕を前で組んで背筋を伸ばして立っている。
上機嫌に酔っ払っていた男や、吟遊詩人も同じように、口を一文字に結んで、乱暴者たちの方を向いていた。
「なんだこの店――――ぐわ!」
サナが、男の右目を酒瓶で切りつけた。
「だーれが喋っていいっつったよ」
声を荒げることもなく、彼女は言う。
「まあ、座れや」
「へ?」
血を流す目を抑えながら、男は間抜けな声を出した。
次の瞬間、男の右耳が床へ落ちた。
サナはいつの間にかナイフを握っており、何の躊躇もなく、男の耳を落としたのだ。
「おい、もう一回だけ言うぜ。座れ」
「す、座ります! 座ります!」
男を椅子に座らせ、そのとなりに、サナは座る。
「なあ、今日はどういう予定でこの町に来た?」
「ええと、この町に、法がないと聞いて……」
「そんで、悪さをし放題だと?」
「……はい」
異様な雰囲気だった。
無音の店内に、男の声と、サナの低い声だけが響いている。
ゼオルも、突然の事態にあっけにとられていた。
「法がないってことがどういうことか、お前のその腐れ脳みそに教えておいてやるよ。いいか?」
カウンターに置いてあった男の右手の甲に、サナはナイフを突きたてた。
「ぐわあああああああ!!」
「ここではオレさまが法だ。重罪人に、判決を言い渡す。あっはっはっはっは! 死刑!」
「ひっ」
ナイフを引き抜いて喉へ刺そうとしたところを、ゼオルが止めた。
「もうよせ。我は殺戮ショーを見に来たわけではない」
サナはとくにそれに対して不満も見せず、今にも泣きそうな男へ向かって満面の笑みを浮かべた。
「良かったですね、お兄さん。この人が許してくれるそうですよ」
その言葉を聞いて、男は店の外へ向かって逃げ出した。
彼の仲間たちも解放され、あとを追うようにして駆けていく。
異様な雰囲気だった店内は、一気に切り替わって、先程のように、普通の酒場に戻った。
「お騒がせしました」
サナがゼオルに一礼する。
「もうよせ。お前のことはわかった」
ゼオルはため息をついた。
「どういうことですか?」
「頭の中をちらつく影が、何だかわかった。ありえないことだと思ったが、我の記憶の中にお前とよく似た男がいる。――――勇者カーレッジ。かつて魔王を倒し、この世界を平和に導いた男だ」
サナは、不敵な笑みを浮かべた。




