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サイレント・シーフ

短編その3です

ひとりの細身の男がフェルガウを歩いていた。

昨日ここに到着したばかりで、まだ町の中の様子はよく知らない。

男は名前をガストと言い、西から東へと渡ってきた盗人だった。


未だ捕まったことはなく、目撃者がいれば確実に始末してきた。

数多の宝飾品を盗み出してきた透破ではあったものの、ガストはそれほど多くの財産を持っていない。

盗ることと使うことを違う町で交互に行い、綺麗に使い切ることを信条としていた。

今回は稼ぎ――盗みで収入を得るため、この辺りで一番大きな町であるフェルガウへとやってきたのだ。


山を切り開いたような形の町を適当にぶらついていると、高くなったところに大きな屋敷があることに気がついた。

付近には他に金の匂いのする屋敷もないことから、ガストはその屋敷を標的とすることに決めて、安い宿をとった。


日が落ちて、酒の飲めるところを探して大通りをうろついていると、すぐに大衆居酒屋の明るい光を見つけた。

町の治安は居酒屋の様子によく現れる、というのは彼の言説だ。

壁際の席に着き、店員に穀物酒と干し肉を注文する。

店内の賑わいはそこそこ、体格のいい者が多いことから肉体労働者が多いことがわかる。


「おい、来たぜ」

「ああ、“大酒飲み”だ」


男たちがひそひそと会話を始めて入り口の方へ視線を向ける。

ガストもそれに合わせて目を向けると、すらっとした女性に率いられた一団が入ってきた。


「いやー、疲れた疲れた。いつものいい?」


座席に着くや否や、女性が言う。

対照的に、彼女の連れて来た五人の恰幅のいい男性たちはおとなしく座っている。

すぐに、店員が酒の入った大樽を持って現れた。


いったい何が行われるのか、とガストがその様子から目を離せないでいると、女性はその大樽の蓋を開けて、空の器を突っ込んで酒を掬い、一気に飲み干した。


「くーっ! うまい!」

「隊長、いつも言いますが、あまり飲み過ぎるのは……」


となりの男が止めようとするも、隊長と呼ばれた女性はお構いなしに酒を口に運ぶ。


「ドルジ、無理だぜ。週末の隊長は誰にも止められねえよ」

「俺たちも飲むか」


彼らもそれぞれ酒を頼んで飲み始める。

ガストはしばらく彼らを観察していた。

あの、常識外の量の酒を飲んでいる隊長と呼ばれる女が、彼らを統率しているようだ。

それに比べて他の者の常識の範囲内の振る舞いや、周囲の人間の反応を見るに、そうやら彼らは治安維持部隊のようだ。


任務時間外とはいえ、なんという気の抜きようだ。

王都の警備兵などであれば、禁酒は当然のことだと聞いたことがある。

夜間、店を利用することは防犯の面では効果がある。

しかし、この体たらくでは、大した仕事もできまい。


ガストは他に警戒すべき人間はここにいないかそれとなく店内へと注意を向けた。

純粋に食事を楽しんでいる人間と、彼女の飲みっぷりを見に来ている人間とに大きく分けられるようだ。


ある程度の観察が終わると、ガストは席を立った。

店を出ようとすると、紺色の髪をした少女がぶつかった。


「あっ、ごめんなさい!」


こんな時間に子供がひとりで居酒屋に来るなどということがあるのだろうか、とガストはその後ろ姿を見ていた。

どうやら、あの『隊長』と知り合いらしく、となりに行って何か話している。

そちらは向かずに身をひそめて魔力で聴覚を強めると、ふたりの会話が聞こえてきた。


「新しい警備用道具を作ったので、町中へ仕掛ける許可を頂きたいのですが」

「ん? 何?」

「……申し訳ない、ブレインどの。隊長は酒を飲んでいるため、俺が代わりに聞こう」

「わかりました。あのですね、ずばり、人間を識別する装置です」

「人間を?」

「はい。背格好と顔を覚えて、未登録の人間を追跡します。犯罪を行えば、即、顔写真が共有されることになります」

「ふむ。しかし、それでは住民のプライベートに問題が出るのでは?」

「むう……。そうですが、でも、精度も高いですし、登録した情報は本来の目的以外に使用しませんよ」

「一度持ち帰って精査させてくれ」

「……わかりました。仕方ありませんね。あ、ボクも食事いいですか?」


そこまで聞いて、ガストはその場を離れた。

会話の内容全てが理解できたわけではないが、どうやらこの町にはあまり長居しない方が良さそうだ。


今日中に支度をすることに決めたガストは、警備隊の詰所を探して歩いた。

今のうちなら本部は手薄、情報を集めるにはもってこいだ。


いつもなら、ここまでやることは少ない。

住民に見つからずに侵入して盗みを働くくらいは朝飯前だ。

しかし、できることならやっておきたいことのひとつだった。


今回のように、狙う場所、時間がはっきりしているのなら、手早く警備状況を把握することは可能だ。

そういったものは、町によって少しばかり管理体制が違っていたとしても、組織内で統一するには紙媒体での管理が不可欠。

――つまり、探せば必ず出てくる。


ガストは途中の路地裏で自分自身に姿を見えにくくする魔法をかけた。

薄いベールをかけたような見た目になるため、昼間は明らかにおかしく見えるが、夜闇ならば限りなく見えにくい。

警備隊の詰所を見つけ、灯りの漏れる窓から内部を伺う。


ひとりの隊員がランタンの下で書類仕事をしている。

室内に他の人間の姿はなく、奥の本棚には束になった書類が収められている。

あの中に警備情報があるかもしれない。


ガストはまた呪文を唱える。

音を消す魔法は、自分自身にしかかけられず、物を動かすと音が鳴って見つかってしまう。

そこで、彼に対して魔法をかけるのだが、そういう時であっても、彼を眠らせたり意識を混濁させたりしようとしてはいけない。

その時だけならいいが、長期的に見ればおかしなことが起きたことがバレて不利になるからだ。


だから、必要な魔法は、自身を隠したり彼を妨害する魔法ではない。

彼にはもっと『集中』してもらう。

作業に没頭すると起こりうる『集中』という自然な状態をほんの少し強化してやるだけだ。

すると、極限まで見えにくく聞こえにくいガストの行動は、もう彼の意思には届かない。


書類に没頭する彼の真後ろを通り、ガストは最も使い込まれた束を探す。

あれほどの屋敷であれば、細かい確認手順が存在するはずだ。

今までの経験からその情報を探すと、いとも簡単に目的のものは見つかった。


平時であっても一時間毎の見回り、戸締りの確認。

不思議なことに内部の警備に関しては書かれていない。

もしかすると、屋敷の主人が他人に入られることを良しとしていないのかもしれない。

で、あれば、普段の屋敷内の設備や配置を知らない警備隊に侵入の痕跡が分かる可能性は低い。

自分が犯人であることは、分かりようもないだろう。


彼の書類が終わりそうになっているところを見て、ガストは入ってきた窓から素早く外へ出る。

暗がりを通りながら、大通りへと戻って魔法を解除すると、宿に戻った。

屋敷の間取りは見取り図を見て、頭へと叩きこんだ。


これから部屋でじっと、可能な限り正確に頭で屋敷の中を思い描く。

いざという時の逃走ルートまで、きちんと考える。


本来なら、下見と品定めと贋作作りのために期間を空けて二度侵入したいところなのだが、町で最も大きな屋敷であるため不確定な要素も多く、先の警備隊の話を思い出すに、家族構成や行動パターンの把握をする時間もなさそうだ。


ハードルは高ければ高いほど燃える。

以前、貴族の屋敷に盗みに入った時は、大勢の衛兵をかいくぐり、屋敷の主人が談笑している隣から黄金の像をすり替えて持ち帰ることすらもできたことがある。

ガストには、それができるだけの経験と能力があった。

できてしまうため、未だに盗人稼業から足を洗えずにいるのだ。


翌日の昼前から、屋敷の近くにある飯屋のバルコニーで、ゆっくり食事をとるフリをしながら、監視を始めた。

忍び込むにはやはり二階から、だろう。

間取りから考えるに、こちらを向いている廊下の窓から侵入するのが一番良さそうだ。


必要な道具、魔法を思い浮かべ、可能かどうか再検討する。


――問題ない。

侵入から脱出まで五分あれば余裕で完遂できる。


夜が更けるまでの間に、ガストは道具を並べて点検を始めた。

闇に紛れるための黒装束、つま先にトゲのついた靴、鉤爪のついた縄、鉄格子や窓を外すための工具。

そして、最も重要な、品物を納めるための背負える箱。

風呂敷でないのは、万が一にでもぶつけて傷をつけては価値が下がってしまうからだ。

特に、慌てて逃げる時などはそれが原因で盗品がダメになってしまうこともある。

だから、品物を守るための緩衝材の入った箱が必要なのだ。


日が暮れて、ガストは宿を出た。

道具は全て箱の中にしまってある。

屋敷の外に広がる森の茂みに潜むと、そこで着替えをすませ、戻って来られない時のために、服を布でくるんで地面の中へと埋めた。

すっかり日が落ちるまでの数時間、ガストは屋敷の窓をじっと見ていた。

窓に映る人影から確認出来たのは、五人か六人。

これほど大きな屋敷であれば十人ほどはいてもおかしくないと思っていたが、どうやらあまり人を雇ってはいないらしい。


これほど容易い獲物が、今まであっただろうか。

田舎貴族というものは、危機管理能力が低いらしい。


ガストは屋敷の中の灯りが消え、すっかり物音がしなくなるまで待った。

炭を塗って真っ黒になった顔は、完全に夜とひとつになる。

もはや、近くで見ても、そこにガストがいることに気がつくことすらできないだろう。


鉤爪のついた縄を雨どいへ飛ばし、引っかける。

ガストは体重を感じさせず、まるでクモが糸を伝うように、するすると登る。

鉄格子の嵌まった窓まで来ると、特殊な工具を使って、留めてあるボルトを一本ずつ外していく。

格子を外すと、となりの格子と縄で繋いでぶら下げ、次は窓へと手をかける。


――窓は、外から外せないようになっていた。

そこでガストは薄くて丈夫な金属の板を取り出すと、窓と壁の間に滑り込ませようとする。

ぴったりとくっついていて、それを入れられる隙間もないようだ。

窓枠に細工ができないことがわかると、次はその少し外側に指をつけて、魔法を使う。

使う魔法は、石工の得意な加工の魔法。

壁ごと、窓を切り離す。


外から鉄棒のように大きな蝶番を取りつけ、壁が開くように加工すると、ガストはすんなりと中へ侵入できた。

侵入する場所がないのなら、自分で作ればいい。

単純なことながら、この方法でガストは今まで捕まったことがない。


赤い絨毯の敷き詰められた廊下は真っ暗だったが、夜闇でも物が見える訓練はしているため、月光の射し込む室内であれば大して障害にはならない。

たいてい、高価なものというものは、屋敷の最も奥の部屋や寝室にある。

来客へ見せびらかすように置いてあることもあるが、そういうものは防犯対策がされていることが多いため、手を出すのは素人だ。


足音を立てないよう、鉢合わせしないよう、気配を探りながら慎重に頭の中に思い浮かべた見取り図通りに歩く。

一階のほとんどは寝室や客間、二階には主人の部屋がふたつあり、その片方の奥には倉庫が直結していた。

主人の部屋がふたつあるということは、片方は使っていないはずである。


気配を探る魔法は逆探知されやすいため使えない。

そこでガストは目的の部屋まで来ると鉄でできた円筒を扉に押し当てた。


左右のどちらからも寝息が聞こえる。

夫婦で別の部屋を使っているのか。

ならば、尻込みしていても仕方がない。

彼らが目を覚ます前に、屋敷の最奥へと辿りつき、脱出するのだ。


部屋の戸をそっと開くと、暖炉の火が見えた。

おそらく、つい先程まで起きていたのだ。

寝具へ視線を向けると、ゆっくりと上下する掛け布団が見える。


素早く、ガストは部屋の奥へ向かう。

扉を開くと、埃っぽい倉庫があり、剣や槍などの武具と防具が飾られていた。

そのどれもが分厚く埃を被っており、全く使われていないどころか、手入れさえされていないようであった。


しかし、それを差し引いたとしても、その意匠は素晴らしく、西の果てから東の果てまで、様々な地域の鍛造技術が随所に見られる。

この剣一本でも、半年は暮らしていけるくらいの額になるに違いない。


ガストにとって垂涎ものであった。

ここにある宝の山は、おそらくここの主人にとって不要なもので、この中からならいくつ持ち帰っても発覚することすらないのではないか。

持ち切れないほどの高価な不用品の納められた倉庫を空っぽにしてやりたい気持ちが胸中に浮かぶ。


――やってしまおうか。

この壁に穴を開ければ、そこから直接外へと持ち出せる。

しかしそのためには一度、鉤縄を取りに行き、またここへ戻って来る必要がある。

危険だが、それくらいのリスクを負う価値がある。


ガストはまた、扉から室内の音を聞く。

まだ主人は目を覚ましていないし、これならあと一往復くらいはできる。


倉庫から抜け出し、室内を通り、廊下へ出る。

暗がりの廊下には誰もいない。

またも慎重に歩みを進めていると、ふと、廊下の先に人の気配を感じた。


ガストは素早く天井に跳びあがって、梁に身を隠して様子を見た。

ふらふらと身長の高い女が、廊下の壁の左右へとぶつかりながら歩いている。


酔っているのか、とガストが目を凝らすと、どうやら女は眠ったまま歩いているようで、目はほとんど開いていない。

彼女がすっかり通り過ぎるまで待っていると、そのすぐ後ろを、黒い影が走っていき、彼女を包み込んだかと思うと、引き摺るようにして連れて行った。


何が起きたのかさっぱりわからないが、得体の知れない恐怖を感じてガストは天井の梁から降りられないでいた。

他に魔法に長けた者がいるのか、さっきの彼女が寝ぼけて使った魔法なのか、判別のつけようがない。


それはそうとして、屋敷内に起きている者がいることは疑いようもなく、命の危険を感じて、ガストは脱出を優先することにした。

まだ何も盗っていないのだから、捕まってもそれほど重い罪は受けまい。


廊下を走ろうとすると、突然、ガストの足に何かが絡みついて、体が空中に浮いた。


「こら~。廊下は走っちゃダメですよ~」


さっきの、寝ぼけながら歩いていた女の背から触手が伸びて、ガストの足を掴んで持ち上げている。

体にまとわりつく影が、後方へ引っ張ろうとしているのを、完全に無視しているようだ。


「ブラドさま、とうとうやりましたね。私に注意されるなんて……フフ」


まだ寝ぼけているようだが、ガストはこの怪力を持つ触手から抜け出す手段がない。

油などで体を滑らせれば抜け出せるかもしれないが、今はそんなものを持ち合わせていない。


女は全く起きる様子がなく、突っ立ったまま寝息を立て始めた。

それでも、まだ触手の力は緩まない。


「まったく、何を騒いでいるのですか? ラメール、部屋に帰れと言ったはずですが」


廊下の奥から、別の女性が現れて、寝ぼけ眼をこすりながら言う。

その声に、まるで風船が割れるように、急に目を覚まして彼女は姿勢を正した。

ガストはその拍子に放り出されて、廊下へ転がる。


「……ん? あなたは……」


逃げるなら今しかない、と駆け出そうとする。

しかし、逃げ道は彼女たちを挟んだ向こう側だ。

ガストが走る先は、主人の部屋だけしか残されていない。


とにかく、ここから逃げ出すために、脱兎のごとく走る。

何かが追ってきている気配がしている。

後ろは振り返らない。


「待ちなさい!」


待てと言われて待つはずもない。

あと少しで扉に手がかかる、と思った時、不意にその扉が開いた。


「……おい、うるさいぞ。こんな夜更けに何をして――わ!」


ガストは急に現れた三人目の女性へ、止まることができずにぶつかってしまった。

瞬時に、彼女がここの主人であることを理解し、ガストは懐からナイフを出して、彼女を人質にとった。


「ゼオルさま!」

「おい、何の真似だ? お前は何をしている? 盗人か?」


ガストはナイフを突きつけたまま、廊下でこちらを睨みつけるふたりの従者に、向こうへ行くように顎をしゃくった。


「ふたりとも、下がっていい。まったく、この屋敷に泥棒を入れるなんてな。明日、ブレインに言って防犯設備を強化してもらえ」

「申し訳ございません」

「ラメール、夢遊病が出るのは仕方がないことだとしても、部屋からは出ないよう鍵をかけて寝るべきだな」

「すみません……」


主人に叱られ、ふたりはすごすごと下がった。

ガストにも彼女が何を考えているのかわからない。

首筋にナイフを突きつけられて、どうしてこんなに落ち着いているのか。


「さて、ふたりきりになったな。お前は誰だ? こんな屋敷に忍び込んで、盗むものがあったか?」


ガストは口を閉じ、首を振った。


「……お前、口が利けないのか」


彼女はガストのナイフを指でゆっくりとつまむ。

すると、まるでその場に固定されたかのように、ナイフが動かなくなった。


「こんな玩具では我を殺せん。したいと言うのなら止めないが、後には引けなくなるぞ」


鋭い視線に、ガストは怯んで手を離した。


「賢い判断だ」


彼女がナイフを粘土でもこねるように両手で握ると、小さな丸い球へと変わった。

いったい、どれほどの握力があればこのようなことが可能なのか。


「さて、お前はまだ住居に侵入しただけだが、余罪が大量にありそうだな。口が利けない以上、お前からそれを聞くことはできないが……」


ガストの肩に、彼女の手が乗る。

冷や汗が、ガストの背筋を伝った。

この手が少しでも力を込めたら、自分の体もあのナイフのように容易く破壊され、元の形を失うことだろう。


「口が利けんとなれば、まともな職にもつけまい。盗人稼業に身を窶すことには同情しよう。この屋敷に忍び込めるくらいだから、生半可な腕でもないのだろう。我はお前のように生きることに必死でなりふり構わない者を嫌わない。だが、それはそれだ。人の法には罪と罰がある。わかるな?」


冗談じゃない、とガストは言いたかった。

口の利けない者が捕まればどうなるか、知らない者はいない。

やったことも、やっていないことも、適当な罪をでっちあげられて、牢獄にぶち込まれるに決まっているのだ。


「嫌そうだな。だが、お前の気持ちなど関係はない。法に感情はないからな。――いいか? 自分の足で出頭しろ。この町の警備隊は我の部下だ。悪いようにはしない」


悪いようにはしない、と彼女は言う。

しかし、しかし。

罪を償ったとて、真っ当に生きることなど、できるはずはない。

それができないから、こうしているのではないか。


「じゃあ、我は寝る。後片付けをして、ここを出ていけ。そして、出頭しろ」


背中を向けて部屋へ戻ろうとした瞬間、ガストは懐からもう一本のナイフを取り出して、彼女へ襲い掛かった。

彼女を殺して、この屋敷の人間を全員殺す。

そうすれば、今日のことは誰にもバレない。

まともに生きていけるのは、まともな体を持っている人間だけだ。

自分のように、生まれながらにして欠けている人間が、どうやってまともに生きていくと言うのだ。

今までこうやって生きて来たし、これからもこうやって生きていくしかないのだ。


ナイフを振り下ろし、彼女の肩口へ刺そうとすると、ボッと蒼い炎が刃の先へついた。


「あう、あ、ああっ!」


炎が手を伝い、腕を、肩を、腹を焼いていく。

不思議と、苦痛は感じない。


視界が蒼くなって、炎の波が全てを覆い、やがて何も見えなくなった。






「やった、許可もらえましたよ!」


昼頃、ブレインが嬉しそうに食堂へと飛び込んできた。

ゼオルは口に含んだパンを飲み込み、何が、と聞く。


「人物識別装置ですよ。民家の中には仕掛けてはならないということでしたが、大通りや路地なら調べることができます。これで、目に見えなかった小さな悪党も探し出すことが可能ですね。この町がより一層、安全で安心な町になる、ということです!」

「……我にはよくわからんが、犯罪を防げるのはいいことだ。しかし、あまりに清い土地は息苦しいものだぞ」

「そうなんですか?」

「治安の向上というものは、単純に犯罪者を排除するということではなく、悪事を働く理由を探り、取り除いてやる必要がある。表層上に見えた者だけを切り捨てても、実際のところ、問題は変わらん。悪事を働く者を絶対的な正義で罰していく世界というのは、問題が起きてからの対処しかできないため、何も解決にはならない」


ゼオルは熱い紅茶を口に運ぶ。


「生き方というものは百人いれば百通りある。その過程で、とある問題に直面する者がいたり、他から見れば大した問題ではなかったり、様々だ。その全てを救うことなどできはしないが、そういった者に生きていくための代替手段を用意できてこその為政者だろうな」

「ふうん?」


ブレインはわかったような、わかっていないような返事をする。

席に着くと、ブラドが新しいティーセットを準備した。


「そういえば、警備隊に新しい人が入ったらしいですね。さっき会ったんですけど、ボクどこかで見たことあるんですよね」

「そうか。どうだった?」

「どうだった……? そうですね、なんだかたどたどしい言葉で喋っていましたね。他所から来た人なんでしょうか」

「ああ、西の方から来たらしい」

「やっぱり、そうなんですね。言葉を通じさせるのにも魔法が必要なんて、大変ですね」

「……お前が言うと嫌味っぽいな」

「えっ」


ブレインのカップに熱々の紅茶が注がれる。

立ち上った湯気が、微かに揺らめいた。











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