061 ふたりの入浴
その日の夜。いつもより少し早い夕食と風呂を終えた俺は、いつもの作戦会議を開いていた。
テュリスは興奮覚めやらぬ様子で、俺の顔のまわりを衛星のように飛び回っている。
「やるやん! やるやん旦那! 緊急ミッションクリアするなんて、見直したわ!
不良が雨の日に犬拾うくらいのイメージアップやで!」
「お前がしきりに祝おうとするのがウザかったけどな……。
でも、クリアってことはリンは口説き落とせたってことだよな?」
「うぃ、そうや! 旦那の初ナンパ成功や!」
そう言われると、なんだか感慨深い。
世を捨てたはずのこの俺が、ナンパを成し遂げるだなんて……。
「ってことは、秋冬ハルカは俺と一緒の墓に入ることになるのか?」
「なんでやねん!? 気ぃ早すぎやろ! まだ彼女にもなってへんのに!」
「えっ、なんだ、まだ彼女未満なのか?」
「当たり前やがな! ただ保健室でくっちゃべっただけやないか!」
「なんだ……そうか……」
浸っていた熱い感慨が、だいぶぬるくなったような気がした。
「なんや、そんなに彼女にしたかったんやったら、せっかくベッドもあったんやし押し倒したったらよかったやん」
「そんなことできるかよ」
「なんででけへんの?」
「なんで、って当たり前だろ、そんなことしたら泣かれるだろうが」
「へっ……?」
飛び回っていた妖精は、俺の眼前で急にピタッ、と止まった。
「泣かれる、って……」
こちらを向いた妙な真顔は、「なに言うてんの?」みたいなニュアンスをありありと感じさせる。
なんにしても急に押し黙るなんて、おしゃべりなコイツにしては珍しいな……と思っていたら、神妙な面持ちで再び口を開いた。
「……なぁ、旦那、ひとつ聞いてええか?」
「なんだよ?」
「リンの両親に挨拶したそうやけど、その直前、リンは泣いとったんやない?」
「ああ、確かに泣いてたが……なんでわかるんだ?」
「ははぁ、やっぱな。
学食でシキがパニックになったとき、旦那は最初オロオロしとるだけやったけど、急に人が変わったみたいになったやん?
最初はキッカケがわからんかったけど、今わかったわ。旦那は女の涙を見ると、おかしなってまうんやね」
「……まぁ、そういうところもあるかもしれねぇな」
「なんでなん?」
「さぁな、別にいいじゃねぇか、そんなこと」
「でもまぁ、だいたい想像つくよ。旦那の人生で女っていうたら少ないし」
「なんだよそれ、お前に俺の何がわかるっていうんだ」
「そりゃ、こんだけ見てたらわかるがな……オカンが原因なんやろ?」
「はぁ、まったく……お前に隠し事はできねぇなぁ」
俺は誤魔化すつもりだったんだが、知らず知らずのうちに白状させられていた。
……俺が女の涙に弱くなったのは、オフクロの影響によるものだ。
俺のオフクロは……よく泣く人だった。
ちょっと親孝行をすると、嬉し涙を流す人だった。
赤ん坊の頃の俺はその涙が大好きだったらしくて、頬を伝う涙をアゴに吸い付いて、母乳のように飲んでいたらしい。
物心ついてからはさすがにやらなくなったが、今度は涙の美しさに心奪われるようになった。
オフクロの嬉し涙は、ダイヤモンドがこぼれているのかと思うほど光り輝いていて……息をのむほどキレイだった。
それを見るためだったら何でもできると思わせるほどに。
それだけじゃねぇ、オフクロが悲しみにくれて流す涙には、それ以上に心動かされるものがあった。
声を殺して静かに泣くんだが、流れ出た涙は慟哭のように鬼気迫るものがあり、まるで血を流しているみたいに痛々かった。
たちどころに止めなくては、死んでしまうのではないかと思わせるほどのものがあった。
だから俺は、オフクロを悲しませることだけはしなかった。
悲しみの涙を見てしまったら最後、俺は激情につき動かされて、涙を止めるためにとんでもないことをしでかしたからだ。
オヤジの前で泣いているオフクロを見たときは、バットを持ってオヤジに襲いかかったもんだ。
そして……俺が9歳のときに、オフクロが家から出ていった。
俺と、ルナナと、バンビと……ニセモノのオヤジを残して。
当時の俺はまだガキだったし、理由もわからずに混乱した。
俺がもっといい子になればオフクロも帰ってくるんじゃないかと思った。
小学校で勉強やスポーツに、ガムシャラになってがんばった。
やりようのない気持ちを正義感に変え、どこかでオフクロが見ていることを信じて暴れまくった。
しかし……いつまで待っても、いつまで信じても、オフクロは帰ってこなかった。
原因がオヤジにあるんじゃないかと疑いだして、オヤジとも疎遠になっていった。
そして……俺は女の涙に対して、特別な感情を抱くようになったんだ。
俺の告白を聞き終えた妖精は、「ふふぅ~ん」と唸った。
「なるほどなぁ、女の涙は旦那を狂戦士に変えるエキスみたいなもんやったんやな。
でもまぁ、ええんちゃう? あのくらい突拍子もなくて情熱的なほうが、女はグッとくるもんやで」
「……ホントかよ」
俺は信じがたかったが、妖精はそんなことはどうでもいいようだった。
会話を切り上げるように、デレノートの元へと飛んでいく。
「さぁさぁ、そんなことより、2レベルも上がったんやし、ノート確認してみぃって」




