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059 保健室にて

 俺たちは、食堂と同じ棟の1階にある保健室にいた。


 ぐったりしたシキを介抱するためだったのだが、ベッドに寝かせると、わりとすぐに意識を取り戻した。

 そして取り乱した時のことを思い出したのか、また真っ赤になり、顔を隠すように布団をかぶってしまった。


「……ごめんなさい……私……いちど感情が昂ぶると、抑えがきかなくって……」


 そしてシキは、照れ照れと語りだす。


 その喋りはいつもみたいにボソボソしておらず、大人しいサーバーダウンちゃんみたいな声で聞き取りやすかった。

 おそらく、装うのを忘れちまってるんだろう。


「昔から、そうだったんです……それで、みんなから引かれちゃって……。

 それで、抑えようって心に決めてたのに……また、やっちゃいました……。

 今日だけじゃなくって、この前もそう。

 三十郎さんが図書館にある『チックルキラー』の100巻に落書きしたの見たときに、どうしてもガマンできなくなっちゃって……」


「ああ、三十郎から聞いたよ。犯人のネタバレをしたんでしょ?

 悪いのはどう考えても三十郎だから、怒って当然だよ」


 リンはやさしい声でシキを労っていたが、急に厳しい目になり、吊るし上げるように俺を見た。


「三十郎、シキちゃんにちゃんと謝った?」


「あっ、リンリンさん、違うんです……三十郎さんは、私を助けてくれたんです」


「えっ? それ、どういう意味?」


「図書館にある『チックルキラー』100巻には、もうひとつネタバレがあったんです。

 先に落書きされてたみたいで……三十郎さんは、そのネタバレを台無しにするために、ウソのネタバレを書き加えてくれたんです」


 妖精の推理が当っていた。

 肩のあたりから「エッヘン」と得意気な咳払いが聞こえる。


「最初に登場人物紹介に書かれた三十郎さんのネタバレを見たときに、私は自分が抑えられなくなっちゃって……。

 つい、お昼休みに三十郎さんをぶってしまったんです。

 でも、よくよく読んでみたら、もうひとつのネタバレを見つけて……三十郎さんの気遣いに気づいたんです。

 それで……放課後、待ち伏せして謝ったんです。

 ……あの時は本当に、ごめんなさい……」


 叱られた子供のように、布団から目だけ出して俺を見るシキ。


「ふぅん、なんかよくわかんないけど……もう許してあげなよ、三十郎」


 リンは男のクセに、女心に理解のある母親のようにシキをかばう。

 いつの間にか俺が、話のわからない父親みたいになってるじゃねぇか。


「いや、許してやるもなにも……俺はもともと気にしてねぇよ」


「そうだったんですか? よかったぁ……」


 シキは心の底から安堵したような溜息を漏らす。


「殴られたのはムカついたけどな、それをリンに話したら、当然だよって怒られちまった」


「そりゃそうだよ、好きなものに落書きされたんだ。ボクだったらまるまる二時間は絶交してたね」


「……短かくね? 映画1本分くらいじゃねぇか」


「えーっ? 短いかなぁ? じゃあ一時間半!」


「減っとるがな!」


 俺とリンのやりとり、そして妖精の突っ込みがトドメとなって、シキはクスッと笑ってくれた。

 それに気をよくしたリンも顔をほころばせる。


「あはは、でも、シキちゃんってホントはそういう声してたんだね。

 なんで普段はボソボソしゃべってるの?」


「え……?」


 だいぶ布団から出てきていた顔から笑みが消えたかと思うと、


「あっ……!」


 「しまった!」と言わんばかりの顔になった。

 地雷を踏んでしまったのかと、リンは慌ててフォローする。


「あっ、でも、シキちゃんはそのほうがいと思うよ。その声、ボクもっと聞きたい!」


 シキの顔がまた、赤みを取り戻す。


「小学生の頃なんですけど……声を変なふうに出さずに、ちゃんと喋りましょう。

 って帰りの会で言われて……それからみんなに声でからかわれるようになっちゃって……。

 なるべく地声が出ないように、小さな声で話すようにしてたんです……」


 小学生の断罪の場と呼ばれる、『帰りの会』か。

 その日あった良いこと、悪いことを発表するという大義名分のもとに行われる、弾劾裁判だ。


 下された判決の効力は絶大で、教師の暗黙の了解を取りつけたも同然となる。

 良いことを発表されたヤツは英雄となり、悪いことを発表されたヤツは教師公認の罪人となるんだ。


 おそらくシキの地声は、クラスの和を乱すふざけた喋り方という判決を受けちまったんだろう。

 そうだとすると、その後の学校生活において容赦ない扱いを受けるのは想像に難くない。


 シキは普通に喋っているだけなのに、よってたかって石をぶつけられるような扱いをされてきたんだろう。


「うーん、別に変じゃないと思うけど……シキちゃんの声だったらボク、もらえるんだったら欲しいくらい」


 リンはシキを元気づけようとしているのか、腕組みして首をかしげながら、悪い魔女みたいなことをのたまっている。


「ホラ、三十郎もさっきみたいに言ってあげなよ、えーっと、なんだっけ?」


 俺も、なんだっけ? と思い出そうとしていると、


「お前、かわいい声してんな。その声、もっと聞かせろよ……マイクならここにあるぞ」


 かわりに繰り返したのは、サーバーダウンちゃんの声だった。

 さすがプロの声優だけあって、宝塚の男役みたいにキマってる。


「……これは、『カエルのために金になる』のいちばんの名シーンです」


 その情景を思い浮かべるように、遠い目をするシキ。

 俺はなんだか気まずいものを感じて、後ろ頭をバリバリと掻いた。


 ……我を忘れたシキを落ち着かせるため、昨晩、覗き見した本の内容をいちかばちかで実践してみたんだ。

 シキが何度も読み返していた「名シーン」を。


 盗賊に追われ、逃げ惑う主人公の姫。

 追い詰められてパニックになるんだが、首領は壁ドンしてアゴをクイッとやって、件の台詞を言って大人しくさせるんだ。


 本当は台詞のあとに姫の手を取り、股間に当てるんだが……それをする前にシキは気絶しちまった。

 ちなみにお姫様抱っこして運ぶまでが、一連のシーンだ。


 ふと視線を戻したシキは、


「三十郎さんも、お読みになってたんですね」


 同郷の友を見つけたかのように、俺に微笑みかけてきた。


「えっ……あ、ああ、バレたか」


 我ながら、下手な言葉で取り繕う。


 しかしシキはそれをスタートの合図にしたかのように瞬発的に、がばっ、と音がするくらいの勢いで身体を起こした。

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