053
天使のようなキューティクルのシキと、堕天使のようなソバージュヘアの女。
雰囲気は真逆だが顔つきは似ていたので、おそらく家族だろう。
俺は近づいていって、ふたりの会話の輪に加わる。
「来月の撮りが決まったよ、いつものように最初の土曜日ね。ちゃんとオンリーにしてあるから、もう逃げんじゃないよ」
堕天使の口調は優等生に絡むヤンキーみたいだった。
でも天使はその裏にある気遣いを感じ取っているのか、素直に頷いていた。
「うん。この前はごめんね。ありがとう、ナナヨお姉ちゃん」
お姉ちゃんってことは、このガラの悪そうなのはシキの姉ってことか……。
「あら、どした? 赤い顔して。何かあった?」
「うん……今日学校で、ちょっとだけなんだけど、お友達とおしゃべりしたんだ。
それがずっと尾を引いてて、まだドキドキしちゃって……」
「はぁ、相変わらずだねぇ……でもアンタが友達と会話するだなんて、珍しいね」
「うん。でも、ぜんぜんうまくしゃべれなくて……嫌われちゃったかなぁ、って思ったんだけど、明日もおしゃべりしようね、ってメールくれたんだ」
「ふぅん、良かったじゃない。ならいつものやぼったいカッコじゃなく、ハルカの格好してけばもっと友達もできるんじゃないの?」
「む、無理だよっ……そんなことしたら、目立っちゃうし、きっと、笑われちゃう……!」
ブルルルルと頭を左右に振りまわすシキ。
この壊れた扇風機みたいな高速首振りは、どうやらクセのようだ。
妹の仕草に、渋い表情で首を振るナナヨ。姉妹揃ってのクセなのか。
「まったく、声優がそんなことでどうすんのさ……アンタがもうちょっと社交的で、緊張しぃじゃなけりゃ表に出る仕事が入れられるってのに……」
「ごめんなさい……」
「インタビューくらい、アタシがやらなくてもいいようになってほしいんだけどねぇ……。
それに機械オンチじゃなけりゃ、せめてツイッターくらいはやってもらうのに……はぁ、やれやれ……」
俺はふたりの会話に耳を傾けつつ、バンダナを上げる。
テレビボードの棚に置いてあったアニメ版『ファイナルメンテナンス』のブルーレイディスク付きオフィシャルガイドブックを取り出す。
スタッフ一覧のページを参照してみると……総合プロデューサーの欄に大西七曜とあった。
「あのアバズレはアニメのプロデユーサーなんやな。ナナヨ姉ちゃんって名前をくっつけて呼んどるってことは、眼鏡女には他にも姉ちゃんがおるんやろうな」
肩の上から鋭い指摘が炸裂する。
姉との会話が終わったようなのでバンダナを戻すと、シキは机で文庫本を読んでいた。
フェルトのカバーがかけられた本……そういえばメシのときも同じやつを持っていたな……どれどれ……。
俺は教え子を狙う家庭教師のように、シキに寄り添う。
世界が鮮明になったおかげで、近づけば本の中の文字もなんとか読めるな。
タイトルは『カエルのために金になる』……か。
なんとなく一緒に読んでみた。
……主人公のお姫様の女の子は生まれつき、カエルのような声の体質だった。
変な声だったので「カエル姫」と民衆から揶揄され、笑いものにされてしまう。
それがトラウマとなって姫は引っ込み思案になり、お城の庭で動物たちと一緒に過ごす毎日だった。
だがある日、庭に押し入った賊にさらわれ、その若き首領に連れ回される旅に出ることになる。
いつも乱暴で強引な首領に最初は怯えていた主人公だったが、あるとき繊細な一面を目撃してしまい、そこから惹かれていくようになる。
そして明らかになるのだが、主人公の声が変なのは魔女の継母がかけた呪いのせいだった。
かつての側近だった首領は主人公を助けるために離反し、賊となって戻ってきたのだった。
主人公とともに旅をしていたのは呪いを解くためで、やがてたどり着いた地で主人公は美しい声を取り戻す。
しかしその代償として、首領は金の像に変えられてしまう。
悲しみにくれる主人公はその金の像を売り払い、莫大な富を得て新たなる地で女王となる。
そして、いつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ……。
という内容だった。
……正直、何が面白いのかさっぱりわからねぇ。
しかしシキはウットリした夢見心地の表情で、味わうようにページをめくっていた。
『チックルキラー』のときは一刻も早く先の展開が知りたいと血走っていたが、いまは味わうように読んでいる。
「きっと、お気に入りの本なんやろうなぁ」
肩からしみじみとした声がする。
「……わかるのか?」
「うぃ、ずいぶんゆっくりやから、きっと先がわかっとんのやろ。
それに同じところを何回も読み返しとる。お気に入りのシーンなんやろうなぁ。
それに本をよく見てみ、何度も読み込んだ跡があるやろ」
相変わらず鋭い観察力に関心していると、
「内容、よう覚えときや、これが眼鏡女攻略のヒントになるかもしれんのやから」
教え諭すように言われたので「もうたくさんだよ」と返した。




