048 眼鏡を落とせ
次の日。
今季最後の桜が舞い散る、朝の坂道を……俺はスキップするように昇っていた。
その足どりはローラーブレードのように滑らかで、顔つきは夢見る子供のように希望に満ちあふれていた……はず。
「今日はやるでぇ、旦那」
ブレザーの胸ポケットから頼もしい声がする。
俺がさくらちゃんなら、コイツはさしずめケルベロスだ。
「昨日も言うたけど、鉄は熱いうちに打つが一番や。今日の昼休みにでも眼鏡女の所に行くんやで」
よく考えたら、関西弁なのも一緒じゃねぇか。本家よりはぜんぜん下手だが。
「よし、わかった。行ってどうするんだ?」
「まずは軽いトークやな。おしゃべりするんや!」
「おしゃべり……? 誰とだよ?」
「誰って、眼鏡女以外に誰がおんねん!?」
「眼鏡女……? 眼鏡女って誰だ?」
「はぁ? 急にどないしたんや? 昨日までソレで通じてたやないか……って、とぼけるのもええ加減にせいや!」
「ああ、わかったわかった……ううん……急にやる気がしぼんできた……」
俺は大股で歩いていたつもりだったが、いつの間にか普段のかったるい歩調に戻っているのに気づいた。
「なんでやねん!? もう名前は覚えてもらったんや、あとは直接話すしかないやろ!?」
「うーん……一対一で話せってのか?
いくら昨今の子供たちが早熟になっているとはいえ、俺たちはまだ高校生だぞ?
それはいくらなんでも早過ぎるんじゃねぇのか?」
ポケットに沈み込む妖精は、うへぇ、とあからさまに嫌な顔をしてやがった。
「旦那……普段はデカい口たたきよるクセに、イザとなると急にヘタレよるなぁ……相手はスライム呼ばわりしよった眼鏡女やぞ?」
「ヘタレじゃねぇよ、身持ちが堅いんだ。
それに、スライムをバカにするんじゃねぇよ、ゲームによっちゃ強力モンスターでもあるんだぞ……同類のお前ならわかるだろ」
ポケットモンスターは俺の反論を、念仏を耳にした馬のようにスルーしていた。
顔の半分くらいあるでかい瞼を閉じて考えていたが、パッ、と電球がついたような表情で目を見開く。
「そや、ええこと教えたる。そういう場合は男友達も巻き込んで話しかけるキッカケを作るとええんやで」
「リンを……?」
「うぃ、そうや。二対一の図式にするんや。
一番ええのは相手も二人おることなんやけど、おそらくあの眼鏡女はぼっちやろ。
でもあのオカマがおれば、旦那が話すことがなくても間が埋まるよう援護してもらえるやろ?」
「そうか……! そりゃいいな! その手でいくか!」
リンは男女を問わず人気がある。
だからこそ相棒として召し抱えてやったんだが、最近になってヤツと行動をよく供にするようになって、それが半端ないものだというのに気づいた。
ヤツのコミュニケーション能力はクラスだけにとどまらず、学年の域をも越え、小中学生や大学生にも友達がいるらしい。
俺はてっきり、ヤツが女装して学校に通うようになったことで、皆から忌避されスクールカーストの最下位まで転落するかと思っていた。
その時は更迭も考えていたんだが、全然そんなことはなかった。
むしろ男からの憧れと女からの信頼を勝ち得て、男女ともに顔の利く存在になっている。
ポーカーでいえばワイルドカード、まさにジョーカーのような存在……先日、女子更衣室に足を踏み入れても歓迎されていたという事実が、このカードの強力さを物語っているだろう。
そうだ……俺は、ひとりなんかじゃなかった……!
仲間がいるとわかっただけで、俺の歩幅は自信を取り戻した。
街を跨ぐやさしい巨人のように大きく、鷹揚としたものになる。
「おっ!? またやる気になったようやな! それでこそサンの字や!」
「ああ、急ごう。学校に着いたらさっそくリンに頼むんだ」
登山の始まりのように、意気揚々と坂道を登っていく俺と妖精。
他の登山客がやけにチラチラこっちの様子を伺っていたが、気にせず追い抜いてやった。
教室に入るなり、俺の姿を認めたリンがスカートを振り乱す勢いで駆けてくる。
ちょうどいい、呼び出す手間が省けた……と思っていたのだが、
「聞いたよ三十郎! なんか胸ポケットの人形に向かってブツブツ話しかけてたんだって!?」
俺は、たて続けに驚いた。二度見ならぬ二度驚きだ。
えっ!? ええっ!? って感じだ。
まずひとつめの驚き。
俺と妖精が話しながら登校してきたのはつい今しがたのことだ。
それなのに、俺より先に登校していたリンがその事実を知っている……。
人の噂は光より速いというのは、マジだったのか……!
そしてふたつめ、何よりもの驚き。
これは自分自身に対してなんだが、俺は知らず知らずのうちに……テュリスを胸ポケットに入れたまま登校してしまったということだ……!
こんなねんどろいどの邪神像みたいなヤツを連れていくわけにはいかない、一緒にいる姿を見られただけで俺のいままで築きあげてきたイメージが全部台無しになっちまう……と昨日の朝までは思っていた。
だから昨朝はついてこようとしたテュリスを追い払ったんだ。
そして今朝、ヤツはどこにもいなかった。てっきりどこかで寝てるんだろうと思って気にもせずに制服を着て家を出た。
そして登校しながらシキについてアレコレ考えていたんだが、ふと漏れた独り言に反応があったんだ。
上着の胸ポケットを見ると、縁からテュリスの顔が出ていた。
まるで掛け布団をかぶるようにしてポケットに潜り込んでやがったんだ。
本来であるならば、即座に叩き出してやらなくちゃいけなかったんだが……俺はなぜかそのまま会話を続けちまったんだ……!
お……終わった……! 熱血路線からクール路線に変更し、積み重ねてきたイメージが……!
これまでのことを思い返していると、どんどん血の気が引いていくのがわかる。
崩れ落ちそうになっているところを、リンによってガッと肩を掴まれてしまった。




