039
突如のターゲットとの接近遭遇。
ターン制のロールプレイングゲームだったら、1ターン自由にできるほどのサプライズアタック……!
俺はうっ、と面食らってしまったが、すぐに素知らぬフリをして通り過ぎようとした。
「……あ、あの……」
しかし、背後から呼び止められる。
静かな図書館でもかき消されそうな、極小の声で。
俺は聞き間違いかなにかだろうと思って、そのまま歩いていこうとしたが……ぐっ、と手首のあたりに抵抗感を感じて立ち止まる。
見ると、俺のワイシャツの裾が、白魚のような指によって摘まれていた。
「……あ、あの……」
再び、蚊の鳴くような声。
振り返ると、袖を挟んでいた指が離れる。
シキが、俺の方に身体を向けていた。
しかし、顔はうつむいたままだ。
間違って呼び止めたんじゃないかと不安になるほど、下を向いている。
「お……俺に、な、何か用?」
俺の声は、かすかに震えていた。
ルナナとバンビ、教師と店員以外の人間の女と会話するのは何年ぶりかなので緊張する。
くそ、ザコだと思ってナメてかかっていたが……若い女の闘気……。
通称ギャルオーラを、こんなナリのコイツでも、間違いなくまとっている……!
「……あ……あの……その……」
隠れギャルの眼鏡女は、同じ言葉を繰り返した。
「な……何か用?」
俺も、同じ言葉を繰り返す。
眼鏡女はしばらくもじもじしていたが、やがて観念したかのように、蚊を解き放つ。
「……あの……ま、間違ってたら、ごめんなさい……」
縫い付けられてるのかと思うほど口を動かさずに、そう前置きした。
薄い唇は開閉するというより、寒さに凍えるかのようにプルプル震えている。
「……その……寿……三十郎くん……ですか……?」
何を言われるのかと思ったが、俺の名前だった。
と、いうことは……コイツは『チックルキラー』の100巻を読んだ、ということか……!
たしかテュリスの指南だとこの後は、本の話をするべく城に誘うんだっけ……?
いろんな口説き文句が頭の中を駆け巡ったが、どれも口をついて出ることはなく、
「そ……そうだけど……」
と答えるのが関の山だった。
しかし、シキにとっては何よりの殺し文句となったのか、
「……や……やっぱ……り……!」
感極まったように震えだした。
「やっぱり……あなたが……あの……落書きを……!」
蚊の羽音が、蜜蜂の羽音くらいまでボリュームアップする。
俺は、期待に胸を膨らませていた。
先生には怒られちまったが、もしかして、作戦成功か……!?
この後に続く台詞は「抱いて!」に違いない……!
飛び込んでくることを期待した俺は、迎え入れるように両手を広げる。
俺の想いに応えるように、文学少女のひょろっとした身体が、勢いをつけるように転回した。
長い三つ編みが渦を巻き、リンスの芳しさが俺の頬を撫でていく。
直後、俺の身体に触れた彼女の部位は、華奢な肩でも、細い腰でも、胸に埋めてくる頭でもなかった。
ブオン! という風切音が鳴ったかと思うと、俺の頬に、布団たたきみたいな強烈なビンタが炸裂。
予想外の一撃に、破れた本の一ページのように吹っ飛ぶ俺。
格闘ゲームのKOシーンのように、世界がスローモーションになった。
きりもみしながら宙をきりきりと舞い、どしゃあ、と床に叩きつけられる。
ツルツルの床を勢い余って滑り、百科辞典の棚に激突。
切ってない食パンみたいな分厚い本が、雪崩をうって降り注ぐ。
一番破壊力があるであろう角が身体にドスドスと突き刺さった。
サッカー部のヤツらに取り囲まれて、固い靴のつま先で蹴られまくってるような痛み。
たまらず胎児みたいに身を縮めたが、一切の容赦なく紙の集合体によってボコボコにされる。
全てが終わったあとでも、俺はリンチにあったみたいにしばらく動けなかった。
頬の痛みもヤバかったが、容赦ない腹パンをくらったみたいに腹が苦しくて、ただただ呻くことしかできなかった。
身体がひとりでに震えて、死にかけのセミみたいだった。
イヤな汗がどっと吹き出す。床が冷たかったが、この時ばかりはありがたかった。
このまま土に還りたい気分だったが、そういうわけにもいかねぇ。
学校でこんな醜態をさらし続けたら、モテモテ坂どころじゃねぇ、非モテ坂へと転げ落ちかねない。
俺は歯を食いしばり、アザだらけの身体をおして本の山から這い出る。
そこにはもう、ハードパンチャー女はいなかった。
かわりに、静かな表情で見下ろしてくる司書がいた。




