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ゆるやかな坂を登りつくと、俺が十年以上、ほとんど毎日といっていいほどくぐっている『私立愛染学園』の正門がある。
広大な丘の頂上をぜいたくに使ったキャンパスは、ちょっとした街くらいの広さ。
敷地は正方形なんだが、対角線を引くような形で四つに区画分けされている。
北側は、学食や売店などがある生活スペース。
西側は、グラウンドや体育館などの運動系施設。
東側は、職員室や図書館、その他の特別棟などの文化系施設。
南側は、いま俺がいる正門がある。
幼稚園から大学までのすべての校舎が集められている場所で、一番人口密度が高い。
「社交性・自主性・個別性」を校風としているせいか、幼稚園から大学までの施設は特に区切られていない。
園児服の集団がカルガモのように連なって歩いているかと思えば、その隣では私服の大学生がバカ騒ぎしてたりする。
門をくぐってすぐの中庭には、生まれて間もない人間と、もうじき成人かという人間が集う不思議な世界になってるんだ。
でも、見知った顔より見知らぬ顔が多いこの空間のほうが、俺は好きだ。
なんとなくだが。
校舎に吸い込まれていくと、じょじょに知ったような知らないような顔がいくつか。
クラスに近づくにつれ、それも増えてくる。
耳に入る喧騒は、専らリンの話題でもちきりだ。
でも、その立役者である俺に、声をかける者は誰もいない。
教室に入ると、孤独は決定的なものとなる。
連休明けとはいえ、その間なにをしていたかなんて牽制しあうくだらないことは俺はしないので、自席に着いてたところで誰とも言葉を交わすことはない。
ただ……俺のバンダナとグローブには皆気づいているのか、失笑めいたものは聞こえる。
でも、中学からの永きわたるヘイトに耐えてきた俺は、動じることはない。
ホームルーム中であっても、唇を縫い付けられたかのように閉じたまま、ただただ座っているだけだ。
授業については教師も連休ボケしているのか、いつもより浮ついた内容だった。
いつも以上に気だるい気持ちになって、板書のカツカツという音が眠気を誘う。
まだ午前中だというのにまどろんでいると、前のほうの席にいるリンがこっそりと振り向いて、目があった。
ヤツはいつもこんな感じで俺を見てくる。
野郎のときは気にしなかったんだが……とんでもない美少女ともなると、男だとわかっていてもつい居住まいを正してしまった。
そうこうしているうちに、昼休みになった。
俺の昼食はパブリックスペースではなく、プライベートな空間で食うようにしている。
ハリーポッターも顔負けの秘密の部屋があるんだが、そこを愛用しているんだ。
しかし……今日に限ってはそのお気に入りの場所ではなく、学食にいた。
なぜなら、リンに無理矢理引っ張ってこられたからだ。
うちの学食は小学、中学、高校、大学の十六学年が利用するため巨大ショッピングモールのフードコートみたいにでかい。
ひとりで利用していると、家族連れのなかに紛れこんだ独身男性みたいで侘しさがハンパないんだ。
だが今日は……外見上は美少女ともいえる連れがいるので、むしろ羨望の的だ。
張り子の虎だが、バレなきゃ問題ない。
窓際の二人がけの席。
対面には、それで足りんのかと聞きたくなるほど小さい弁当箱を広げているリンがいる。
昨日の今日なのに、服装どころかすでに身の回りのものまで女に染まっているようだ。
俺はルナナ手作りの弁当を、ちびちびとつまんでいた。
腹が減ってないわけでもないのに箸が進まなかったのは、何を言われるのかちょっとドキドキしていたからだ。
「……あれからね、ちゃんとパパとママに話したんだ。ボクは女の子として生きていきたい、って」
フォークでプチトマトを口に運んでいたリンが切り出す。
「パパもママも最初はビックリしてたけど、お小遣いでコツコツ買い揃えてきたクローゼットの服とか見せて、なんとかわかってもらったんだ」
プチプチと噛んていたトマトを、こくりと喉を動かして飲み干す。
それで気づいたのだが、喉仏が出てなかった。
「三十郎がパパとママに向かって叫んでくれなかったら、無理だったかもしれない。
アレがふたりにかなり効いたみたいなんだ。おかげでボクもがんばって説得できたんだよ」
ちょっとはにかんだような上目づかいに、俺は箸で摘んでいたミートボールをボトッと落としてしまった。
「さすがに女の子の格好で学校に行くのは止められたけど、大丈夫だから、って言って許してもらった。
ちょっと順序は逆になっちゃったけど、今日の放課後にパパとママが来てくれて、ルナナ先生と話すことになってるんだ」
リンの大変身はホームルームでも大騒ぎだった。
しかし担任のルナナの反応が「きゃあ、かわいいーっ!」と大絶賛だったので、それが潤滑剤となったのか、わりとすんなりとクラスに受け入れられたようだった。
「最初は不安だったけど、みんなも受け入れてくれたし、なんとかやっていけそうな気がするよ。
……これから心ないことを言うヤツが出てくるかもしれないけどね。
でも、もう覚悟はできてるんだ。
なんたって、三十郎がいっぱい勇気をくれたからね、なんて言われてもくじけないよ」
リンは熱っぽい瞳で俺を見つめると、
「ありがとう、三十郎。だから、ボクが三十郎の初めての友達になってあげる」
ぱっ、と花が咲いたような笑顔を浮かべた。
俺は、箸で拾い上げていたミートボールを、再びボトンと落としてしまった。




