031
次の日、俺は妹のバンビから布団を剥ぎ取られ、叩き起こされた。
そして開口一番、
「……そのバンダナとグローブ、ずっとしてるみたいだけど……正直ダサいよ?」
ファッションをこきおろされてしまった。
反論する間もなく妹は、俺の布団を抱えて屋上にあがっていったので、しょうがなく起床する。
同じく布団難民になったテュリスを肩に乗せ、1階のダイニングに降りる。
「おはようサンちゃん、今日からまた学校ね」とエプロン姿のルナナが迎えてくれた。
両親不在の食卓を囲んだあと、昼食用の弁当を持って自室に戻り、部屋着を脱ぎ捨てた。
「ワイも付いてったろか?」
ルナナお手製のミニチュアみたいな弁当袋をぶら下げたテュリスが、生着替え真っ最中の俺のまわりを飛んでいる。
「妖精なんか連れて学校に行けるかよ」
「ならせめてデレノートだけでも持っていき、これは恋のヒントブックでもあるんやで」
必要性はあまり感じなかったが……特に荷物になるものでもなかったので、弁当しか入っていないスクールバッグに追加で黒いノートを押し込んだ。
「あんじょう、きばりや~」
「俺のいない間に、部屋を勝手にあさるんじゃないぞ」
登校準備を終えた俺は、手を振る妖精に念押ししてから部屋を出た。
台所で後片付けをしているルナナとバンビを尻目に、玄関で靴を履く。
あの姉妹はいつも一緒に家を出るんだが、俺はなんだか気恥ずかしいので先に行くことにしている。
そそくさと家を出発した俺は、駅とは反対の方角に歩きだす。
駅は丘のふもとにあるので下り坂なんだが、学校は丘の頂上にあるので上り坂だ。
ここいらは高級住宅街で、上にいけばいくほどハイソらしい。
金持ちどもの源流、貴族を見下ろす王様のように位置しているのが、俺とバンビが通学し、ルナナが通勤する『私立愛染学園』。
幼稚園から大学までの一貫教育。お受験さえ成功すればどんなヤツでも大学のバカ学部までは進める。
いい学部に行きたけりゃかなり大変らしいので、この学校には向上心のある頭のいいヤツと、金持ちのボンボンみたいなアホが混在している、なかなかにカオスな空間なんだ。
オヤジが何の商売をやっているのか知らなかったが、俺んちはそれなりの小金持ちか、よほどの見栄っ張りなんじゃないかと思っていた。
だって、私立に三人も子供を通わせるなんざ金が余ってしょうがねぇヤツか、学歴コンプレックスを拗らせたヤツのすることだからな。
だが……俺は二日ほど前、オヤジの正体を知った。
アイツはしながいサラリーマンでも、社員数ひと桁の町工場の社長でもなかった。
愛の神で、ハーレム王とかいうワケのわからねぇ存在だった。
……石油王とかならまだしも、なんなんだよハーレム王って。
荒唐無稽にも程がある。遊戯王とか言われたほうがまだマシだったってもんだ。
ブッ飛ばしてやりたほいど、フザけたヤツ……。
そして俺は、そんなフザけたヤツになろうとしている。
理由は簡単。オフクロ……そしてオヤジを、家に連れ戻すためだ。
オヤジの言うことを信じるならば、俺がハーレム王になったら行方不明になったオフクロが出てきてくれる。
そしてこれは想像だが、俺がハーレム王になったら……きっとまたオヤジは俺の前に再び姿を現すはずだ。
両親と再会したら、今度こそは逃がさねぇ、首に縄をつけてでも食卓に座らせる……!
そして家族揃ってメシを食うんだ……! バンビのために……!
それだけじゃねぇ……だんらんの席で、オヤジとオフクロに問いただしたいことが、山ほどあるんだからな……!
などと気持ちを新たにしながら、坂道をずんずんと踏みしめる。
学校まで一直線の大通りにさしかかると、あたりは俺と同じような格好をしたヤツらでごちゃつきはじめ、一気に賑やかになる。
うちの学校の高等部の制服は、男はワイシャツにチェックのスラックス、あとはネクタイ。
女はブラウスにチェックのスカート、あとはリボンタイ。
タイの色とチェックの柄で、学年を判別してるんだ。
一年は赤、二年は黄、三年は青。
たまにイベントとかで全学年が揃うと、でかい信号機みたいになるんだよな。
何日かぶりの人混みに嫌気がさして、つい現実逃避をしていると……いきなり背中をズバァンと叩かれた。
「いってぇ!? 何すん……」
抗議する俺の頬を、やわらかな風が撫でていく。
洗いたての髪の香りが通りすぎていった。
「おっはよーっ、三十郎!」
爽やかさんの正体はなんと、女モノのブレザーに身を包んだ、華一リンだった……!
俺の前で、コスプレダンス動画を彷彿とさせる華麗なステップで振り返ったかと思うと、ノロマな亀をからかうウサギのように後ろ向きでスキップをはじめる。
膝上のスカートがリズミカルに跳ねあがり、健康的な太ももがチラ見え。
や……やべえぇ……! これは反則だろぉっ……!
不意打ち気味に襲いくる、ときめきの衝撃。
コイツの女装姿は昨日慣れたつもりだったが……こうして朝日の中で見ると、まぶしいほどの輝きがあった。
もはや背中の痛みも忘れ、それどころか言葉すらも忘れて立ち尽くす。
俺の驚きを楽しむようなリンは、イタズラっぽいウインクを飛ばすと、
「三十郎ってさ、私服はおしゃれだよね! 昨日ボクをナンパしたときに着てた服、カッコよかったよ!」
なぜか俺のファッションの話をしだした。
……ちなみに俺は自分で服を買ったことがない。
いつもバンビの買ってきてくれた服をそのまま着ているので、この褒め言葉は俺に対してなのか妹に対してなのかよくわからない。
「そ、そうか?」
でもこんなかわいい、制服美少……年に褒められるのは悪い気はしなかった。
「うん、そのバンダナとグローブも似合ってるよ! またデートしようね!」
リンはポカリスエットのCMでも通用しそうなハツラツ笑顔でそう言うと、俺の返事を待たずに再び身体を翻す。
そのまま仔鹿のようにスキップしつつ、坂道を蛇行しながら道すがらのクラスメイトたちに次々と挨拶。
いつもリンがやっている通学の儀式の女バージョンだ。
声をかけられたクラスメイトたちは変わり果てたリンの姿を目撃する。
男子生徒は言葉を失い頬を染め、女子生徒はただでさえうるさかったのが「ええーっ!?」とさらに騒ぎたてたりしている。
連休明けの通学路はいつも以上に騒然としていたのだが、それに加えて女装男子という爆弾が投げ込まれたおかげで、もは狂乱といってもいいほどの様相を呈していた。




