026
リンがペットショップから出たのを見計らって、俺は足早に近づく。
背後から手を掴み、強引に引っ張った。
リンは「キャッ」と女みたいな声でよろめきつつ、驚いた顔で振り向いた。
そして俺の顔を見て、大きな瞳を瞬かせる。
今だ……!
俺は相手の言葉を待たず、ゲームで身につけた口説き文句を放つ。
「……メス犬、お前が歩いて当たる棒は、ここにあるぞ」
今世紀最高の恋愛ギャルゲー、『スクール事案ハートフル』の最大の名シーン。
ペットショップから出てきたヒロインの手を掴み、股間に当てた主人公の一言だ。
本来であるならば手を股間に当てるまでが一連の動作なんだが、さすがにそれはやめておいた。
何か目覚めてしまいそうだったから。
殺し文句をモロに受けた、少女みたいな少年は……目と口を真ん丸にしたまま、時間が停止してしまったかのように固まっている。
メス犬の背後にあるオモチャ屋の軒先では、ミニ鯉のぼりがはためいていて、まるで姉弟鯉みたいな佇まいだった。
一瞬の間を置いて、
「ブフォッ!」
緋鯉のような女々しい小鼻から、鼻水が吹き出した。
俺とリンは、喫茶店の窓際の席にいた。
俺はアイスコーヒーを、リンは生クリームにキャラメルソースをトッピングした、いかにも甘ったるそうなのを飲んでいる。
しかしこうして見ると、どっからどう見ても女だな……。
ツヤ光りする長い睫毛に、ツリ目がちなんだけつぶらな瞳。
俺の半分くらいの小さな鼻に、リップでプルンとなったおちょぼ口。
ほんのり染まったような白桃のような頬。
小悪魔的な魅力が詰まった美顔……俺が無言で見つめていると、それはふっと子供のようにほころんだ。
「キミ、すっごいナンパの仕方するんだねぇ、思わずついてきちゃった!
『メス犬、お前が歩いて当たる棒は、ここにあるぞ』だっけ? あっはっはっはっ!」
思い出し笑いならぬ、思い出し爆笑をするリン。
大きな声で笑っているが、女らしさは崩れない。
まるで男のときのほうが作ってるんじゃないかと思うほど、ナチュラルなソプラノボイスだ。
ペットショップで俺を見た瞬間は驚いていたクセに、もうペースを取り戻したみたいだな。
マジのナンパであるならばここで微笑み返してやって、イイ感じの世間話など始めるのだろうが、俺はそんなつもりは毛頭なかった。
「いや、間違ってたようだ。お前はメス犬なんかじゃなかった……オス犬……だったよな」
さっそく切り札をチラつかせると、リンの表情がすっと消えた。
「嘘……三年間やってて……誰にもバレたことがなかったのに……」
「ネットに『ファイナルメンテナンス』のコスプレして踊ってる動画をあげてるだろ?
偶然そいつを見たんだ。
華一……いや、リン、一発でお前だってわかったよ」
リンは、ため息とともに天を仰いだ。
「ハァ、まいったまいった……。
今まさに家の前でこうして、親に顔を見られても全然バレてないのに……まさかクラスメイトにバレるだなんて」
言葉や仕草とは裏腹に、参った様子は微塵も感じられなかった。
なぜかはわからないが、ちょっと嬉しそうにしている。
「家の前?」
「アレ、ボクの家」
ボクっ子は、桜色のネイルで窓のほうを指さす。
大きな一枚ガラスの向こう、通りを挟んだ対面には花屋があった。
テントのような軒先の屋根には、『フラワーショップ 華一』という屋号が書かれている。
俺がリンをナンパしたあと、適当な喫茶店に連れ込んだのだが……それがまさか家の前だったとは。
店先ではリンの父親らしき男性が品出しをしていて、母親らしき女性が掃き掃除をしていた。
ふたりとも時折こちらを見ていて、俺も目が合ったが、同席しているのが我が息子だとは露ほども気づいていないようだ。
「……で、三十郎、キミの目的はなんなの? ボクが女装してるのを学校でバラして、笑いモノにでもするつもり?」
働く両親を眺めながら、スプーンみたいな先のストローでクリームを口に運びながら尋ねてくるリン。
俺が想像していたのとは違い、コイツはさほど動揺していないようだ。
てっきり必死になって口止めしてくるかと思ったのに……。なんとかそっちの方向に持っていかなきゃな。
「バラすかどうかは、お前の態度次第だな」
俺は思わせぶりに答える。
でも、実をいうと……どう転んでもバラすつもりはねぇんだ。
取引材料としては使わせてもらうが、決裂したところで面白がって人の秘密をバラすようなことをする趣味は、俺には無い。
誰だって秘密のひとつやふたつはあるだろうし、コイツが本当に女装が好きなんだったら、それをブチ壊す権利は誰にもねぇ。
「ボクを、脅すんだ……」
女装男子は窓のほうを向いたまま、流し目で睨んできた。
「要求は何?」
よし、いいぞ。
「バラしたきゃバラせば?」とか開き直られたらどうしようかと思った。
俺は待ちにまった要求を発表する。
慣れないことだったので、ちょっと緊張しながら。
「俺の手……あ、いや、友達になるんだ」
一拍ほどの沈黙の後、向き直った女顔には、
「……ハァ?」
ありありとした怪訝の色が浮かんでいた。
「お前は何を言ってるんだ」という言外の台詞が、空耳のように聞こえてくるほどに。
だが、ここで引き下がるわけにはいかねぇ。
「だ、だから、俺の友達にならないと……」
バァン! という大きな音で、俺の脅迫は遮られる。
男にしては小さな手、服とお揃いのネイルが並んだ手が……テーブル上に叩きつけられていた。
波打つお冷とアイスコーヒーが、衝撃の強さを物語っているようだった。




