250 もうすぐ、この旅も終わりだな
目に映る景色が、青と緑ばかりとなる。
青は雲一つ無い青空であり、緑は大地を埋め尽くす草の色。
ほんの少し前までは、褐色もしくは黄褐色の荒野を、馬の背に乗り走り続けていた沙門達は、広大な草原に入ったのだ。
一部には緑が濃い森も見られるが、殆どは薄い緑の草であり、吹き抜ける風に波打っている。
「――綺麗」
沙門に抱き付く形で、後ろに乗っている槐花が、見ているだけでも清々しい気分になりそうな景色への、率直過ぎる感想を漏らす。
「どうやら、翠海に入ったみたいだな」
広大な草原を見渡しながら、沙門は槐花に言葉を返す。
翠海と言うのは、仙水を取り囲む様に存在する、広大な草原の名だ。
余りにも広く、一年中緑の草が生い茂り、風に波打つ草原が、緑色の海に例えられ、翠海と呼ばれる様になった(翠とは緑の事)。
盤気の流れが豊かにして清浄である、仙水の近くは、一年中植物が健やかに育つ為、仙水周囲は荒野ではなく、広大な草原となっているのである。
沙門と槐花は、初めて目にする翠海の景色に、見惚れてしまう。
翠海の外周部は景色を楽しむ為、観光客が訪れる場合もある程なので、沙門と槐花が見惚れるのも無理は無い。
政宗は竜の時代に、何度か訪れている場所ではあるし、盤気の流れが豊かで清浄な場所を好む竜は、同程度には美しい景色の場所で暮らす為、沙門達の様な反応は見せない。
それでも、満更ではないという感じの表情で、吹き抜ける風と景色を、政宗は楽しんでいる。
桂彩温泉で夜営をした沙門達は、日の出前には桂林地区を出てた。
その後、西に向かって馬を走らせ続けた沙門達は、本来立ち寄る予定であった緑邕よりも、遙かに北にある小さな江湖、緑池に、正午の少し前に到着、緑池で補給をすると、その後は南西に進路を切り替え、一直線に仙水へと向かった。
その後……何度か休息を取りながらも、黒鉄と白金の並外れた走力を頼りに、沙門達は仙水へと近付き続け、午後三時頃……とうとう翠海に入ったのである。
途中、滅殭屍姫幇の者達と、遭遇する事もなく。
昨夜までは緑池にも、滅殭屍姫幇の実戦部隊が居たのだ。
仙水を目指す沙門達が、立ち寄る可能性がある江湖の一つと、看做されていたので。
ところが、殭屍姫の軍勢との戦いの為、桂林から仙水の間に展開されていた戦力の全てが、桂林に掻き集められたが故に、緑池にいた実戦部隊も、桂林に向かってしまった。
それ自体は、殭屍姫の軍勢が実際に出現した以上、滅殭屍姫幇としては、仕方が無い事ではあった。
殭屍姫の軍勢と戦う必要が無くなった為、桂林を出た滅殭屍姫幇の実戦部隊は、加亮の指揮の下、かなりの速さで仙水周辺に展開した。
だが、常識を超えた黒鉄と白金の走力を頼りに、遙か北を行く沙門達に追い抜かれ、滅殭屍姫幇側が緑池に実戦部隊を戻す前に、沙門達は緑池を通り過ぎてしまったのである。
結果として、夜営地を後にした沙門達は、滅殭屍姫幇の者達とは戦わず、翠海に辿り着いたのだ。
桂林や荒野で遭遇した、十数体の妖魔と戦って倒しはしたので、戦いと無縁という訳には、いかなかったのだが。
「どうやら、槐花を神仙女宮まで連れて行くって約束、もうすぐ果たせそうだ」
翠海に入れば、仙水は目の前。
仙水に入れば神仙女宮に辿り着いたも同然だと、沙門は政宗に聞いていた。
あらゆる方向が見渡せる広大な翠海に、敵となる人らしき存在は視認出来ない。
仙水の影響からか、人を害する類の妖魔も滅多に出現しないのが、翠海なのだ。
槐花を殺そうとする敵は、既に槐花の回りにも、行く手にもいない。
今回の沙門の戦いは既に終わり、蒼岱から始った神仙女宮までの旅も、程無く終わろうとしている。
沙門は槐花と過ごした、激戦続きの旅を思い出しながら、感慨深げに続ける。
「もうすぐ、この旅も終わりだな」
「――そうですね」
安堵や嬉しさだけでなく、どことなく寂しさを感じさせる声で、槐花は言葉を返す。
そして、沙門の身体に回した腕に込める力を、槐花は強める。
(槐花に抱き付かれながら、二人乗りで走るのも、後少しだけか……)
抱き締められる力の変化から、槐花に抱き付かれて二人乗りしているのを、改めて意識した沙門は、もうすぐ一人乗りに戻る事に気付き、寂しさを覚える。
槐花と黒鉄に二人乗りをする様になって、たった三日しか過ぎていない。
それにも関わらず、激しく濃過ぎる旅であったせいか、もっと長い間であったかの様にも思えてしまい、沙門は槐花との二人乗りに、慣れてしまった気がしていた。
寂しさを覚え始めた二人を乗せ、黒鉄は併走する白金と共に、風に波打つ草原を進み続ける。
そして、半時程……翠海を駆け続けた頃、翠海の景色に変化が起こる。
正面方向の数里先に、地上に落ちて来た白い雲を思わせる何かが、行く手を塞ぐかの様に現れたのだ。
「――雲? いや、地面に届いてるみたいだから、霧か」
白が濃くはっきりしている見た目の印象から、沙門は最初は雲だと思ったのだが、良く見ると下が地上に届いているので、霧だと判断した。
何処まで続いているのか分からない程、左右遠くまで伸びていて、一体どれ程の長さがあるのか、沙門には判断が出来ない。
数里先なので、正確な高さは沙門には分からない。
おそらく、一里は余裕で越えるのではないかと、沙門は推測する(一里は四百五十メートル)。
「白雲巨牆っていう、仙水を守る結界さ!」
地上に落ちて来た白い雲の如き、巨大な結界である白雲巨牆を眺めながら、政宗は言い放つ。
牆というのは、塀や垣根を意味する言葉、つまり白雲巨牆とは、白い雲の如き、巨大な塀という意味合いの言葉なのだ。
元々は空から侵入しようとする妖魔を防ぐ為、空に展開される結界を白雲巨牆、地上からの妖魔や人の侵入を防ぐ為、同じ結界を地上に展開した場合は、白霧巨牆と使い分けられていた。
だが、同じ仙術が作り出す同じ結界なので、呼び分けるのが面倒だという事になり、何時の間にか白雲巨牆に統一されてしまった。




