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マーメイド

作者: 四境

初投稿です。

学者さんのゆるーいお話をお楽しみいただければ幸いです。


 たゆたう海原。

 風は僕の頬を優しく触れ、カモメが船と並走する。

 僕は生まれて初めて、船酔いを体験しようとしていた。


 研究と取材、この船に乗せてもらったのは今朝の話だ。

 僕の目的地はこの海を越えた先にある大陸だ。そこの国にどうしても用がある。

 でも、この時期の海は非常に危険なようで、どの船乗りも船を出してくれようとはしなかった。

 陽もとっぷり暮れたときに出会ったのは船長のドルマ・ペスカトレだ。彼は港でも一番の変わり者で変人だと聞いていた(それでも腕は確かだという ことはどの船主も遠回しに言っていたことは確かだ)

 最後の頼みの綱で、彼に僕の依頼の旨を伝えると快諾してくれた。彼も僕と同じ場所に行きくつもりだった。

 明朝出発だと聞いて、僕は慌てて荷物をまとめた。


 さて、ドルマ船長の帆船スクアーマ号が港を出て約半日。

「アンタは隅っこで座っていてくれりゃあいいからよ」と言われ、特に手伝うこともなく代わり映えしない景色を眺めて過ごしている。

 多数の木箱の山、樽がいくつも並び、太いロープが甲板にまとめられている。

 乗組員たちは談笑し、時に業務をこなし、酒を飲んでまた仕事に戻ったり大忙しだ。

 さっきまではいろいろ話を聞いていたのだが、船酔いの危機にある今はさすがにその余裕はない。

「や、研究者さん。船酔いかい?」

 僕の顔を覗き込む顔が一つ。乗組員の一人、テオリだ。

 彼は僕よりもずっと年下の子どもで、乗組員の中では最年少である。

 まだ声変わりもしていないし、体格だって華奢だが、日に焼けた肌と希望を見据えた大きな瞳は立派な海の人間のそれである。

「そうなんだ。文字ばっかり見てたからかな」

 僕は手元の手帳を横に振った。そう、原因は間違いなくこれだ。

 暇つぶしに過去の自分を振り返ったりするからこんなことになる。

「なら、これ食べるといいよ」

 テオリはポケットから黄色い果実を取り出して、僕に渡した。

「これは?」

「ゼーロイだよ。船酔いに効くんだ」

「わ、これは悪いな……すごく助かるよ。ありがとう」

 僕が感謝を述べるとテオリは恥ずかしそうに笑った。

「俺が用意したんじゃないよ、これ。船長が『客人が船酔いしたらこれを渡してやれ』って言ってたからね」

 なんと、気の利く船長なんだ。あとで礼を言いに行かなければ。

 僕はゼーロイと言われる果実を食べて、ずいぶん体調が良くなったのを確信した。


 さて、この時期に船乗りたちが船を出さなかった理由はひとつ。

 恰幅のいい船乗りは、僕にこういった。

「この時期のさざめきの岩礁にゃ人魚が出るんだぞ?船なんて出せるわけねえだろ!」

 人魚。そう、人魚が出るから船乗りたちは船を出したがらなかった。

 僕の目指す目的地に限らず、この港から出るにはさざめきの岩礁の近くを必ず通らなければならない。

 人魚は船乗りたちの天敵なのだ。

 仕事柄イキモノについては詳しくなるけれど、人魚は海の生き物なので専門外だ。

 でも確かに危険な存在だときいたことがある。

 はなしによると上半身は美しい女性で、下半身は滑らかな魚の尾になっている。

 彼女たちは美しい歌を唄う。その歌声を聞いたものは急激な睡魔に襲われて眠ってしまうのだ。

 耳栓も効果はなく、船乗りたちが眠りにつくことで操縦の術を失った船は 岩礁に突っ込み、座礁する。

 そして座礁した船を見て人魚たちはケタケタ笑うのだ。

 人魚たちに船を沈められた船乗りは数知れず。

 この季節、この時期は人魚たちの行動範囲が異常に広くなり、船乗りたちの手に負えないという。

 だがドルマ船長は違った。

 彼は「マーメイドなんて怖かねえさ。あいつらは優しい生き物なんだぜ」と言うだけだ。

 確かに、襲ってきたり荷を盗んだりといった直接的な害を及ぼす生き物ではないが、船を座礁させるイキモノを優しいイキモノと言って良いのだろうか?

 まあ、直接見たことはないけど。

 早く向こうへ渡りたい、切羽詰っていた僕は船長の言葉を信じることにした。


 さて、さざめきの岩礁までもう少しといったところか。

 でも乗組員たちに心配する顔のものは一人もいない。

 テオリと船長のおかげで船酔いもずいぶんマシになったところで、僕は立ち上がった。

 海を見ながら酒を飲んでいる乗組員の背中に声をかける。

「シュイジン、もうすぐさざめきの岩礁だね」

 シュイジンの顔つきは他の乗組員とは大分違っている。

 細目で肌の色が少し黄色っぽい。

 どうやら僕の住む国でも、僕らが向かう国でもないまったく違う国から流れてきた人種らしい。

 流れ者である彼を拾ったのがドルマ船長だということだ。

「ん、そうだな」

 シュイジンは酒をあおって、短く答えた。

 僕は隣に立って、目を細めた。陽はずいぶん傾いたものの、白い太陽に反射する光は今もなお眩しい。

「この船の人たちは人魚が怖くないのかい?」

 僕が尋ねると、彼は視線を合わせずに「怖い?」と鼻で笑った。

「怖いわけない。マーメイドを怖がるのはマーメイドを知らないからだ」

 シュイジンは表情一つ変えず、無機質な声で言う。

 僕が怪訝な顔をしていると、シュイジンは「ほら」と言って向こうの海を示した。

 遥か遠くに岩が突き出る瀬があるのがぼんやり見えた。

「岩礁だ。まぁ、自分の目で見ることだな」

 そう言って彼は酒瓶をあおりながら、どこかに行ってしまった。

 人魚のことを知らないから、怖い?

 生物学者として、これは非常に興味深い。

 今まで人魚に深い興味を持ったことはなかったが、今になって急激に興味が湧いてきた。

 海上生物は専門じゃなかったけど、この際だ。人魚との出会いも経験しておこう。

 もしかしたら何かの足がかりになるかもしれないし。


「到着まですぐだ!」

 船長の大声が船上に行き渡る。

 掛け声、船の速度が徐々に落ち始め……。

 僕は船の縁へ近付いた。遠くに岩礁が見える。

 そして向こうから何かが白い波を立てて向かっってくるのが見えた。

 あれが……人魚……姿はよく見えないけれど、すごいスピードだ。

 僕は生まれて初めてサーカスに来た子どものように、じっと目が離せなかった。









 人魚は海のいたずら者で、漁師や船主に恐れられる迷惑者だ。

 しかしそれと同時にもう一つよく聞く文句があった。

 それは“世界で一番美しい生き物だ”というもの。

 世界で一番美しい、だなんて生物の調査をよくしている身からすれば、聞き慣れたどころか聞き飽きたぐらいの言葉だが……。


 船が泊まってしばらく、僕は船長に呼ばれて、小舟に一緒に乗せられた。

 小舟に乗ったのは船長と僕、テオリとシュイジンの四人だ。

 もう一隻、ボートが出されて、航海士のカルマンと他三人が乗り込む。

「一時間で戻る!」

 海の上に降ろされて、少しすると、向こうからやってきていた白波がすぐそこまで来ていた。

 船長の顔を見ると、僕を見て得意げに笑っている。

 テオリはワクワクした顔、シュイジンは表情を変えないでムスッとした真顔。

 僕は向き直って背筋を伸ばした。いよいよ、人魚との対面だ。


 白波の速度が落ち、徐々に透き通った海の中にぼんやりとその姿が見え始める。

 水面のうねりで歪んでよく見えない状態もすぐに終わり。

 一人、二人、三人。ついに人魚が海面に顔を出した。

 四人目、五人目、六人目……計六人の人魚が二隻の小舟の周りを取り囲む。

「……なんてこった」

 僕は、思わず息を飲んだ。

 美しい生き物は僕の国でもいくつも見てきたけど、これは。


 その姿は美しい人間のそれだった。

 いや、人間の美しさなんて軽く凌駕しているかもしれない。

 目鼻立ちがくっきりし、まつ毛が長い。口唇は紅く、肌の色は白に近いものや日に焼けたものもいて様々だ。

 三人の人魚はそれぞれ顔つきも違うが、息を呑むような美しさを持っていることだけは変わりなかった。

 髪もかなり特殊である。ここまで鮮やかな青や朱色の髪の毛を持つ者は人間界でも数少ない、いや存在しないかもしれない。

 さらに水に濡れた髪はより一層艶やかで、顔立ちも相まってなお美しい。

 海の中に見える上半身も人間のものだ。胸は貝殻に収まり、真珠のネックレスが首にかけられている。

 そしてその下に伸びる足ーーではなく、ヒレはまさに魚のヒレと全く同じだ。

 だが、それは生々しい気持ち悪さではなく、一種の芸術品のような、そういった特別なものに見えた。

 水の上からじゃなくて、近くで見ないとわからないことも多いけれど。


「久しぶりね、ドルマ」

 僕が見惚れているのを気にもとめず、人魚の一人が口を開いた。一番先頭に立って泳いできた人魚だ。

 目つきはクールで、髪の色は深い青色。声は凛としていて透き通っている。

 多分、リーダーみたいな存在なのだろう。

「ディーネか。母上は元気か?」

「ああ、おかげで上手くやってる。さ、じゃあ早速行くよ」

 青い髪のリーダーはディーネという名前なのか。

 船長との会話を聞くに、船長は人魚と親しい関係にあるようだ。

 さて、僕が注目していたのは船長とディーネさんとの会話だけだったけれど、僕の後に座っていたシュイジンは朱色の髪の人魚と会話をしているようだった。

 小さな声だったし、あっちもこっちも耳を傾けられるほど僕の耳と脳は器用じゃなかったけど、二人の様子を見るにどうやらこちらも親しい間柄ーー船長とはまた違った意味でのーーらしい。

 あれだけ表情の硬かったシュイジンの顔が明るいことに驚いた。

 対する人魚の女性もまた同じように、むしろ顔を赤らめるほどもっと嬉しそうなのはつまりそういう事なのだろう。


「学者さんよ」

 船長が僕に声をかけた。

「ハイ!」

 人魚に見惚れていた僕は、突然声をかけられて思わず変な声で返事をしてしまった。

「今からもっといいもんを見せてやる。スピードはなかなかのもんだから、しっかり掴まっとけよ」

 船長のくぼんだ瞳にいたずらっぽい光が宿っているのがわかる。

 嫌な予感。

「あら、今日の客人には事前注意をしてあげるのね」

 ディーネ(便宜上敬称は略だ)は海の中で大きく伸びをしながら、船長に笑いかけた。

 船長は笑って返す。

「当たり前だ、客人は“丁寧”に扱うのが当たり前だろう」

 なんだか、含みのある言い方に聞こえた。

 丁寧。客人。

 客人であることには間違いはないだろうけど。

「……じゃあそろそろ出発するわよ」

 ディーネが僕をチラッと見て微笑んだ。

 思わずドキッとする。

 あれだけの微笑みさでさえ、なんて美しいんだ……!

 このまま直視出来そうにない……。

 ……なんて事を考えていたら、船が動き出した。

 三人の人魚が、船の底三箇所(ちょうど三角形の陣形で)に分かれ、水中から押しているんだな。

 子ども一人と男四人乗っているとはいえ浮力もあるし、海の生き物だ。船はすいすい進んでいく。

 でも思ってたよりスピードは出てないけれど。

「スピードが出てないって思ったでしょ」

 テオリが僕の心を見透かしたかのように、後ろから声をかけてきた。

ぎくっとして振り向くと、シュイジンが不敵な笑みを顔に貼り付けていた。

「覚悟決めろ」

 覚悟?

 不穏な言葉。

 僕が恐る恐る前を向くと同時に、船長が声を張って叫んだ。


「全速前進!!」


 潮風が髪を揺らす。

 何かの駆動音のようなものが聞こえた。



 ア。


「アアアアアアアアアアアアアァァァァァーーーー…………」









 次に気付いた時には、岩礁地帯に到着していた。

 僕が軽く気を失う前に感じたものを言っておこう。

 まず聴覚……はドザーっていう何かが流れる音と、僕自身の今までに出した事のないような叫び声(頭蓋骨のてっぺんに穴があいてそこから勢いよく声が出たような感覚)。

 視覚……は全てが早すぎて何も見えなかった。というか目をつむってた。

 あとは触覚。風……なんだろうけどそう言っていいものか分からない、ガラスの破片が顔に連続して突き刺さるような感覚。今もヒリヒリ痺れてる。

もしかして血が出てるんじゃないか、顔をさすってみても手に血は付かなかった。良かった。


「はっはっはっ」

 膝を手を付いて四つん這い状態の僕の頭の上から、船長の快活な笑い声が降ってきた。笑い事じゃないよ……。

 僕が恨めしそうに顔を上げると、船長が帽子をかぶり直しながら腕を組んでニコニコ見下ろしている。

「ほら、早かったでしょ?」

「最初はみんなそうなる」

 テオリとシュイジンが僕を置いて小舟から降りていく。

震える膝を抑えながら(我ながら生まれたての小鹿のようだ)立ち上がり、同じように小舟を降りる。

 足を踏み入れた先は、岩礁……。ここがさざめきの岩礁か。

「うわー……」

 海底から伸び出した岩、たくさんの岩。

 大小様々なそれらが海面に頭を出しており、それがちょうど浅瀬のように なっていて海水に触れはするものの岩の上に立つ形で足が付く。

 それがこんな沖の近くにあるなんて。

 ひときわ大きな岩塊もそこにある。あれなんて、ちょっとした山みたいなもんじゃないか。

 岩礁といったら普通、陸地の近くだけれど、一体なぜこんなところにこれが出来上がったのだろう。

 よく見れば、この近辺の海底は、ところどころ深い場所があるものの基本的に視認できるような非常に高い位置にあるようだ。

 ちょっとした大陸棚、みたいなものなのかしら。

 波は穏やかだが、もしも船員がみんな眠らされてこんなところまで誘導されたら座礁どころではすまないんじゃないか。

 三人の人魚だけであのパワー、大きな帆船を動かすのも人数さえいればわけないだろうし。

 僕は少し怖くなって身震いした。

 そして同時に思い出す。

「そうだ、人魚は……」

 見回しても海上にその姿はない。

 あ、と海面を覗いてみると海の中に彼女達がいた。

 何か意味があるのだろうか?同じところをぐるぐる泳ぎ回っている。

 優雅に泳いでいた薄い青色の女の子……人魚が僕に気付いてこちらに手を振った。

 またまた見惚れてしまっていた。こんなことでどうする、僕。

 でもホント、いつまでも見ていられそうな気もするんだよね。


「船長、僕らこれからどうするんですか?」

 いつの間にか岩肌に座り込んでくつろいでいる船長に尋ねる。

「なにって、情報収集さ」

「情報収集?」

「そうだ。マーメイドはここら近辺のことに非常に詳しい。潮や風の流れ、嵐が起こるとかそういうこともぜーんぶ分かっちまうのさ」

 僕はポンと手を打った。

 もう一隻のボートでやってきた乗組員の中に、航海士さんの姿が見えたのだ。

 ここでそうやって情報を集めるのか。

 ドルマ船長が腕は確か、と言われる所以はこういうところーー船乗りの敵である人魚を味方にしてしまうようなーーにもあるのかもしれない。


 それにしても、どうして船長は人魚と仲が良いのだろう?

 すごく大きな謎だ。頃合いを見て尋ねてみよう。

「そろそろ、終わる頃合いかな」

 船長はよっこらしょと立ち上がり、顎のチクチクしてそうな白い髭を撫でた。

 僕はもう一度海の中を見た。

 ちょうど人魚達がぐるぐる回るのをやめて、海面に上昇してきているところだ。

 これもまたじっと眺めていられるような……。

「マーメイドって生き物は、巷で言われているような厄介な悪戯者ってだけじゃあないんだ。学者さんにはそれを知ってもらいたくてね」

 僕が必死に海の中を覗いている横に座って、船長がそう言った。

「それってどういう……」

「なに、深い意味はないさ。ただ、アンタらーーいや『俺たちの』でもあるんだがーーお国はどうやら、人魚を掃討するつもりでいるーみたいなことを聞いてしまってな」

「……そんな馬鹿な!」

 僕は思わず声を張り上げた。

 僕らの国が悪戯者で厄介者な人魚を掃討する?

 確かに僕は国に雇われた生物学者だ。でもただの雇われの身なだけで、国の他のプロジェクトなんて知る由もない。

 それでも専門は陸地の生物とはいえ、それでもそれだけの理由で一つの生き物を、しかも人間とここまで密接に関係を持てる生き物を掃討するなんてそんなことがあって良いわけがない。

「なんだ、学者さん聞いてないのか」

「え、ええ。僕は雇われの身ですから。それでも、そんな悪行を許すわけにはいきません!」

 僕は鼻息を荒くして答えた。

 本国に送付する抗議の文書を作成せねば。

 なんなら今すぐにでも船に戻って書き始めたい。

「ハハハ、学者さんがそこまでマーメイドを気に入ってくれるとはな」

「気に入っているのは確かですけど、それでも掃討なんて許せないですよ」

「そう言ってくれるだけで嬉しいよ。俺も、あいつらも」

 船長は海を眺めながら、つぶやいた。

 その瞳の中に映るものが何かは僕には見えなかったけど、哀しみが一瞬光っていたことは確かだった。








 で、僕もシュイジンほどまでは行かないけれど、他の人魚に比べると年の若い女の子の人魚と仲良くなることができた。

 薄い青色の髪のマーメイドだ。さっき海の中で、僕に手を振ってくれた子である。

 名前はレイティス。ディーネの妹らしい。

 船長や航海士さんがディーネや他の人魚たちと話をしている間に、僕も彼女からいろいろな話を聞くことが出来た。

「学者さんはどんな仕事をしているの?」

「僕は生き物の調査を国から任されているんだ」

「どんな生き物?私たちマーメイドも含まれるの?」

「いいや、僕の専門は陸の生き物なんだ。君たち海の生き物は僕の専門外なんだよ」

 上半身を岩肌に乗り上げて、レイティスは無垢で無邪気な瞳を僕に投げかけた。

 僕はその隣に膝を抱えて座っていた。

 陸の生き物のことをいろいろ教えてあげると、彼女は目を輝かせてずっと話を聞いていた。


「僕のいた国にはグリフォンっていう鳥の頭をした獅子がいてね……」

 話をしながら考える。

 言語や文字を持つなどの人間に近い、またはそれ以上の知能や力を持つ種族は思いの外多い。

 森のエルフ、洞窟のドワーフ、草原のピクシーや山岳地帯のオーガ、エトセトラ……。

 どれも人間と関わりがある亜人(人間から見れば)だ。

 しかし人魚ーーマーメイドは、それらほど人間との関わりがない。

 むしろ魔物やそれに準ずる者の類に分類されていると知り合いから聞いたことがある。

 それは、人魚との強い大きな関わりを人間が持っていないということとのイコールでもあるんだろうか。

 知恵が高く繁殖力も強い人間が生物界の覇権を取ったからといって、他の種族を“亜人”や“魔物”などと勝手な物差しで分類してしまっていた自分や人々の恐ろしさを、ふと認識した。

 前にドワーフと話したことはあったが、あの時にそれを感じ、考えられなかった自分が憎かった。

 毒されている。そしてその毒を当たり前のように受け取ってしまっている。

 ……いや、これから変えていけばいい。

 認識など、いくらでも覆せる。自分もそうだし、きっと自国の民衆も出来るはずだ。


「そういえば、君たちはどこで寝泊まりしているんだい?」

 さっきからずっと気になっていた疑問をレイティスにぶつけてみる。

 レイティスは邪気の無い笑みを浮かべて答えた。

「岩穴の中だよ!海藻のベッドに包まれて寝るの!」

 岩穴、そう言ってレイティスが指差したのはここらの岩礁地帯で最も大きな岩だった。

 なるほど、一見ただの岩に見えて、海の中からなら中に入れるのか。

 海藻のベッド、というのは海の流れに流されないように、といったところだろうか。あれは川の生き物だけど、陸にも似たような生き物がいる。

「私たちはね、本当はね、もっと遠いところから来たんだよ。でも私のおかーさんがそこから出てきて、この辺りの海に住み始めたの」

「へえ、じゃあ違う場所にも人魚……マーメイドがいるんだね」

「うん!私の従姉妹たちがそこにいるってディーネ姉さんが言っていたわ」

  なるほど、やっぱりマーメイドはここじゃないどこかにも住んでいるのか。

 ここらの海域以外でマーメイドが出ることなんてあまり聞いたないけれど、文献を調べればすぐに出てくるだろう。

 まだまだやりたいことはたくさんある。


「ね、レイティス」

 疑問は尽きない。さらに質問を重ねる。

「マーメイドたちはどうして人間の船にイタズラするのかな?」

 僕が抱いた疑問の中でもトップレベルで大きなモノ。

 レイティスは僕の問いかけによく晴れた夏の日の太陽のように快活に答えた。

「それはね……ヒトが私たちを襲うからだよ」

 ヒトが、人間がマーメイドを襲う?

 僕が顔を歪めると、レイティスは付け加えた。

「マーメイドって珍しい生き物だから、前に船乗りの人たちは私たちにひどいことをしたんだって」

 レイティスは主に何をどうされたのかは口にはしなかったが、その大きな丸い瞳が内容を顕著に物語っていた。

 攫ったり、襲ったり、か。確かに、マーメイドは珍しい。国に禁止されているような裏の市場で高値で取引されている、なんてこともあるかもしれない。

 確かにここまで美しい生き物だ。悪い人間もたくさんいるだろう。

「みんながみんな私たちを襲うわけじゃないっていうのは、私たちも理解しているのよ」

 レイティスは先程までとは一転して、顔を梅雨時の空のように複雑に曇らせた。

「でもいつまた私たちに襲いかかってくるか分からないし」

 自衛のための迷惑ってところか。

 僕はふとここで港の船乗りたちのことを思い出した。

 マーメイドは確かに船に厄介事を振りかけるし、この岩礁近辺にはいつだってマーメイドは現れるだろう。

 でも海は広い。この近くを必ず通らなければならないといっても、岩礁から少しは離れて航行することも可能なんじゃないか。

 航海のことはちっとも知らないし、本当に岩礁の近くしか航海できない(マーメイドの餌食コースしか選べない)っていう可能性も十分高いけど、本当にそうなのだろうか。

 もしかしたら、船乗りたちはマーメイド見たさにむやみに岩礁に近づいているだけなのでは?

 それが祟って船を沈められて逆恨みで、みんなでマーメイドのことを恐れているだけなんじゃないのだろうか。

 そしてお国にマーメイドを“害獣”だと適当に吹聴したのではないのか。

 この時期はマーメイドの活動範囲が異常に広がるとも言っていたけど、あれも人間の何かが関係しているんだろうか。

 様々な可能性が溢れ出てくるな。

 ああ、国に当てる抗議の文書も書かないと。そんなことをもう一回思い出す。


「学者さん」

 僕が腕を組んでじっと思考の海でクロールしていると、幼い男の声がそれを遮った。

 船の乗組員のテオリだ。

 テオリはレイティスに「やあ」と挨拶すると、僕の隣に腰掛けた。

「テオリ!」

 レイティスは瞳を輝かせて少年を見た。

「あはは、今日もレイティスは元気だね」

「二人とも、やっぱり知り合いなんだね」

「そうだよ。僕が初めて話したマーメイドがレイティスなんだ」

 テオリはにっこり笑いながら快活に言った。

 そして話し始める人間の少年とマーメイドの少女を見てああ、と気付く。

 なんの遠慮もない空気、二人はかなり前からの知り合いなのか。

 どれくらい前からの知り合いなんだろう。あっちにもこっちにも聞きたいことがたくさん過ぎて目が回る。

 とりあえずせっかく乗組員がこっちに来たので聞くに聞けなかった疑問をテオリにぶつける。

「そういえばドルマ船長はどうしてマーメイドと仲がいいんだ?」

 僕の疑問、テオリはそれを聞いてうーんと首をひねった。

「…………どうしてなんだろうね」

 なんだそりゃ。

「聞いたけど教えてくれないんだよ。他のマーメイドも、古くからいる乗組員のひとも、誰も教えてくれないんだよね」

 教えてくれない?

 それに船長自身が教えたくない、ならまだしもマーメイドすらも教えてくれない、のか。

 教えてくれない、というよりもしかしたら“教えてはいけない”のかもしれない。

 触れてはいけない過去、といったところなのか。

「私もねー」

 レイティスがつまらなさそうに口を尖らせて言う。

「知らないの。船長とマーメイドが知り合った時はまだ小さかったから、覚えてないの」

 ごめんね、レイティスは申し訳なさそうに付け足した。

「君が謝ることじゃないよ」

 僕がそう言うと、テオリも頷いた。

「そう、誰にだって知られたくないことはあるんだ。それに誰にだって知ってはいけないこともある」

 レイティスは「うーん」と腕を組んで頭をひねった。

 僕もテオリも気付いたら、腕を組んでいた。

 それに気づいたテオリが苦笑しながら、僕に言う。

「とにかく難しい話は無しにして、学者さんももう少しマーメイドの秘密、聞いてみたら?」

 時間は限られてるんだしーー呟いたテオリの視線を追うと、船長と航海士さんがディーネと話をしている様子が伺えた。

 確かに、そうだ。ここに来たのはあくまで航海の情報を得るためであって、(マーメイドのことを知って欲しいと船長は言ったけど)僕がマーメイドとの触れ合い体験をするだめじゃない。

 こんなことならもっと質問はまとめて来るべきだった。

 僕はとりあえず、思いつく限りの疑問をレイティスにぶつけた。









「お前たち引き上げるぞ!」

 マーメイドたちに別れを告げろ!

 十数分後、船長が終わりを告げて、僕の調査タイムも終わりのベルを鳴らした。


 帰り道。

 人魚たちは普通に(そこそこのスピードで)船を押してくれた。

 たった数分足らずで船まで戻れたけど、行き道もこうしてくれたら良かったんじゃないのか……。

 シュイジンはあのマーメイドと別れ際にハグをして、何かを耳元で囁きあっていた。

 相手のマーメイドが顔を真っ赤にしていたのを僕は見逃さない(僕はこういう時は特に目ざといのだ)。

 レイティスは僕とテオリとが乗っていた船を押してくれていた。

 さて、最後に話すとなって、僕らはじっと互いの顔を見た。

テオリはこの船に乗っている限り、またマーメイドたちと出会えるんだろうけど、僕はそうは行かない。

 また会えるとは限らない。

 任務を終えた帰り道にしか海を渡らないという問題や、そもそも帰りはどうするかも決まっていないわけで、マーメイドのいるこの海域を望んで渡る船乗りが向こうの大陸にいるかどうかも疑わしい。

 もしかしたら、レイティスとは今生の別になるかもしれないんだ。

「学者さん!また陸の生き物のこと私に教えてね!!」

 そんな僕の心中を知ってか知らずか、レイティスはニッコリと笑ってそう言った。

 濡れたアルパインブルーの髪が、彼女の顔に張り付いている。

 僕はその髪を手で取った。すると綺麗な顔がよく見えるようになった。

「うん、また来るね。僕もまたマーメイドのこと、たくさん教えて欲しいな」

「うん!約束する!」

 レイティスは右手のかわいい小指を僕に出した。

 ああ、マーメイドの約束の仕方はこうなのか、と最後まで学習を止めない僕。

 同じように小指を出すと、彼女は僕の小指と彼女のそれをくるっと絡ませて、上下に軽く振った。

「これでよし!海の女神様が私たちの約束を取り持ってくれたよ」

 眩しい笑顔。

 本当に、天使みたいな子だ。僕は自然と自分の顔が笑っていることにはっと気づいて、口をぐっと閉めた。

「じゃあ、また!」

「うん!!テオリもまたね!!」

 僕とテオリは並んで手を振った。

 なんだか背中に羽でも生えたような気分だった。


 ふと気づく。

 美しいから。

 それだけじゃなくて、純粋にマーメイドという生き物のことが好きになっていた。











 船から降ろされた二つのフックに引っ掛けられて、船まで曳き上げられる。

 さっきまでいた海の上が下に沈んでいって、まるで空を飛んでいるかのようだ。

 レイティスやディーネ、マーメイドたちは僕らが出港するまでずっと見守ってくれていた。

 僕らは彼女たちの姿が見えなくなるまで手を振った。


 船に戻った僕は船長に机を借りて、さっそく書簡をしたため始めた。

 ……書き上げるのはひっじょうに大変だった。

 なにせ船酔いしやすい体質だということがわかったばかりなのだ。

 なぜ僕は船の中で手紙なんて書こうと思ったのか、いまでも理解に苦しむ。


 船室で船酔いに苦しんでいる僕のもとへ、船長がやって来た。

 得意げな表情はその時も顔から剥がれ落ちてはいない。

「どうだった、マーメイドは」

 パイプをふかしながら、船長は渋い声で尋ねてくる。

 僕は気持ち悪いのをやっとの思いで我慢して、せっせと答える。

「思っていたのと違いました。マーメイドっていうのはもっとどうしようもない生き物かと」

「なるほど」

「でも、話してみたらやっぱり僕らと変わらない生き物なんだなって。ドワーフやエルフと同じように姿が違うだけで、考え方も人間と同じだ」

「うん、うん」

 感慨深そうにうなずく船長。ふぅーっと煙を吐いて、船室の丸い窓から遠い水平線を細い目で眺める。

 ウミネコが鳴く悲しい声がする。先程まで晴れていた空は少し曇りかかっていた。

 僕はその後姿を、どこかで見たことがあるような気がした。

 具体的にどこで、とか誰が、とは言えないし思い出せないが、いつか見たことがあるような気がするのだ。

「学者さん、あんた気づいているかい」

「何です?」

「あんたマーメイドのこと、人魚って呼ばなくなってる」

「……あ」

 僕は驚いた。

 意識はしていなかったが、いつの間にか、だ。

 人魚という呼び方が悪いとは誰も言っていなかったけど、いまさらだがどうだったんだろう。

 ……レイティスの前で、思い切り“人魚”って言っちゃたけど気分を害してなかったらいいんだけど……。

「大丈夫、心配なさんな。“人魚”は蔑称なんかじゃないさ。ただ“マーメイド”って呼び方が親しみが篭ってるから俺たちはそう呼ぶんだ」

 はっはっは、と船長は大声で笑った。

 僕は胸をなでおろす。そこにはヒューマンのことを“人間”と呼ぶか“ヒト”と呼ぶかぐらいの違いしかないんだ。

 “マーメイド”の方が親しみが篭っているということなだけで!

 ……でもいつの間にマーメイドって呼び出していたんだろう。

 記憶を振り返ろうとすると、急に気持ち悪くなって僕は口元を押さえた。

 船長がカツカツ、板を踏み鳴らして近づいてくる。

 そして船長は僕の腕をがっしりとつかんだ。

「学者さん。あんたは俺が思っていた以上に見込みある“良いヒト”のようだ!さぁ!まだまだ船旅は続くぞ!いつまでも舟に酔ってる時間はない!」

船長は僕を立ち上がらせて、船室の外へ連れ出した。

 雲間から覗く太陽光線が僕の瞳に差し込んだ。

 まだ、船旅は続く。

 僕はこの船と波に全てを委ねることにしたーーーー。





「おい!甲板で吐くのはやめろ!」





閲覧ありがとうございました。

こういったサイトに投稿するのが初めてで正直右も左も分からないので、これで出来てるのかすごく不安なんですが、とりあえず投稿はしました!


追記:改行空白など、スマホから投稿してみるとひっじょーに見にくいことに気付きました。また直しておきます。申し訳ありません。

2016/05/01追記:空白など見直し、一部文章を訂正しました。

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